第90話 朗報は寝て待て

 宿に戻った俺は、部屋で俺の帰りを待っていた皆にシキと会って話した話の内容についてを説明した。

 因みに部屋は、二部屋借りている。一般的な宿の部屋は基本的に寝るためだけの場所という認識が強いらしく、大人数で入って寛げるような立派な構造はしていないため、普通サイズのベッドを二つ並べたらそれだけで空間が埋まってしまう程度の広さしかないからだ。此処の宿は木造なので煉瓦造りの宿よりかは過ごしやすさは感じるが、宿泊料金を引き上げてもいいからもう少し快適に過ごせる部屋を作ってほしいものだと思う。

 部屋割りは、男女で別々にした。俺とリュウガ、フォルテとアヴネラの組み合わせだ。この世界の人間は日本と違って男女で部屋を分けるという概念があまりないみたいだが、男女混合だと逆に俺が落ち着かないのでそのように決めさせてもらった。

 現在は、男部屋の方に女性陣を呼んで皆で肩を並べ合うという形を取っている。椅子やテーブルなんてものはないから、ベッドの上に腰掛けている状態だ。

 リュウガが二つ並んだベッドの中央を占拠して大きないびきをかいていたりするのだが……まあその辺は、あまり気にしないようにしておこう。

「そう……あの人が、説得のために力を貸してくれたのね」

 シキが友好的に接してくれたことを素直に喜ぶフォルテ。

 その横で、相変わらずつんけんとした様子のアヴネラがぼそりと呟いた。

「……本当に信用できるわけ? あの男」

「でまかせを言っているようには見えなかった。結果がどうなるかは分からんが、信用はしていいと思う」

 多分、シキは単に『勇者として人のためになることをしたいだけ』なんだと思う。

 今まではこの街規模に留まる範囲でしか物事の善悪の区別をしていなかったから、ラウルウーヘンに協力してトレントたちと戦っていたのだろう。

 世界が今こういう状況に陥っているという事実をしっかりと説明してそれが真実であると証明できれば、あいつを味方につけることはそう難しいことではないのかもしれない。

 問題は、シキから説得を受けたラウルウーヘンがどういう行動に出るか。そっちの方だ。

 このまま事の重大さを理解して森に手を出すのをやめてくれるのならいい。

 もしも、そうでなかったとしたら──

「……まあ、今はあいつに任せよう。俺たちが動くのはそれからでも遅くない」

「……分かったよ」

 未だにシキのことは信用ならない様子ではあったが、頷くアヴネラ。

 今日はこのまま夜になるまで此処で休むことにして、夜になったら飯を食べに皆で外に出ることにする。

 そう方針を決めて、この場は解散する流れとなった。

「んー……チンジャオロース……」

 何やらリュウガが寝言を言っている。一体何の夢を見てるんだか、こいつ。

 チンジャオロースか……そういえば、ここ最近中華系の料理って作ってなかったな。基本和食か洋食の二択になっていた気がする。

 街にいる間は料理はできないが、街を出たら作ってやってもいいかもな。大分在庫が少なくなったが妖異の肉はまだ残ってるし、野菜はフォルテに召喚してもらえばいつでも新鮮なやつが食べられるしな。

 とりあえず、日が暮れるまで休憩だ。俺も一眠りすることにしよう。

 リュウガが二人分のベッドを占領しているので、俺は空いている場所に身を寄せるような形で横になった。

 このシーツ、何か木みたいな匂いがするな……そのようなことを考えながら、俺の意識は眠りに落ちていったのだった。


 真っ暗な世界。その中で、何かが眩く燃えている。

 それは絶えず蠢きながら、声を上げていた。

「……た……助け……誰か……」

 愕然と目を見開く俺の目の前で、それは炎に形を食われて徐々に崩れていく。

 生肉が焦げる臭い。燃え尽きて崩れ落ちた炭の中から覗く白い骨。溶けていく顔面から、零れ落ちていく眼球。

 それは、昔夏の特定の時期になると決まってテレビで放映していた、戦争を題材にしたアニメの一場面に出てくる放射能と高熱をまともに浴びて崩壊していく小さな女の子の姿、あれを思い出させる光景だった。

 誰かが、燃えている。

 一体誰がこんなことをした? 何のために? それは分からない。

 呻き声が消え、その人間は完全に力尽きて地面に倒れる。

 いつまでも消えない炎だけが、意思を持った生き物のようにゆらゆらと揺れている──それを見つめながら、ああこれは夢だと何処か他人事のように悟った俺は、

 微妙な後味の悪さを胸に抱きながら、目を覚ました。


 室内はすっかり暗くなっていた。

 ひとつだけある窓の外から差し込んでくる茜色の光が、ベッドの上をぼんやりと照らしている。

 外が随分と騒がしい。この時間帯、この辺りでは人通りが多くなるのだろうか。

 俺は静かに頭を振って、上体を起こした。

 体が、微妙に熱い……

 ちり、と肌が熱に炙られたような感覚を感じて、俺は頬を撫でた。

 それと同時だった。閉ざされていた部屋の扉が勢い良く開いて、リュウガが姿を現したのは。


「馬鹿野郎、いつまで寝てやがるんだよおっさん! 火事だ、さっさと起きやがれ!」


「!?」

 思いがけぬ一言に、俺は目を見開いてベッドの上から転がり落ちんばかりの勢いで下りた。

 今一度窓に目を向ける。

 分厚い曇りガラス越しに不自然な動きをしている、茜色の光。ちらちらとしているのは、これがこの宿を焼いている炎だからか。

 外がやけに騒がしいのは、そのせいか。大方火事を見に来た野次馬で一杯になっているのだろうが……

 そうだ、と俺は外に出ようとするリュウガに尋ねた。

「フォルテとアヴネラは!? 無事なのか!?」

「あいつらはとっくに逃げたよ。此処に残ってるのはあんただけだ。ほら、目が覚めたんなら逃げるぞ!」

「あ、ああ」

 俺はベッドの横に置いてあったボトムレスの袋を引っ掴んで、リュウガと共に駆け出した。

 彼が言う通り、この建物の中に俺たち以外に人が残っている気配がない。皆異変に気付いて外に逃げ出した後だからだろう。

 微妙に煙が充満して白くなっている廊下を走り抜けて、外に出る。

 建物から少し離れて振り返ると、そこには、紅蓮の炎に包まれて派手な黒煙を上げている宿の姿があった。

 木造の建物だからな……よく乾いてるともあっちゃ、さぞかしよく燃えることだろう。

 と、暢気に眺めている場合じゃなかった。このままこの状態を放置しておいたら、いずれ火は隣の建物に燃え移る。そうなったら被害は拡大してしまう。

 この世界には消防車なんてものは存在していないから、迅速な消火活動はあまり期待できない。

 ここは魔法で鎮火させるしかない!

「ウォーターフォール!」

 俺は建物めがけて魔法を放った。

 建物の真上に、大量の水が出現する。それは巨大な滝となって、建物めがけて一気に降り注いだ!

 ウォーターフォール──名前の通り、大量の水を標的の頭上に滝状に落とす魔法である。単純に水が落ちてくるだけの効果しかないので生き物を殺すほどの威力はないが、足場を登って追いかけてこようとする相手を押し流して時間を稼いだり、こうして火事の炎を消す時に使ったりと、用途は結構広い。覚えておくと便利な魔法だ。

 水を被った建物の炎の勢いが多少は弱まった。しかし完全鎮火にまでは至らない。

 いくら木造の建物とはいえ……この燃え方は普通じゃない気がする。木に可燃性の油が含まれていたとかでもなければ、こんなに派手に燃えたりはしないはずだ。

 ……まさか、この火事はランプの失火が原因とかじゃなくて、誰かが人為的に……?

 眉を顰める俺。その目の前に、進み出た人物がいた。


「ロスト・ユニヴァース!」


 その人物は建物に向けて両手を翳し、謎の言葉を叫んだ。

 その言葉を引き金として生まれ出た白い光が、建物全体を包み込む。光に包まれた建物から一瞬にして炎が消え去り、光が消滅した次の瞬間には、建物はすっかり鎮火していた。

 今のは……火を消す魔法? いや、違う。

 俺の眉間の皺が深くなる。

 俺は、こんな魔法は知らない。魔道大全集には、こんな名前の魔法など載っていなかったはずだ。

 謎の光を放ったその人物は翳した両手を下ろし、ふうっと安堵の息を吐いてこちらへと振り向いてきた。

「はぁ、危なかったなぁ、おっさん。街で火事が起きてるって聞いて慌てて飛んできたけど、まさか宿屋が火元だったとはね。火傷はしてないか?」

「……ああ。俺は何ともなってない。すまんな、シキ」

「いいっていいって。街の事件を解決するのも勇者の役目だからな!」

 礼を言う俺に、シキは気にするなと言ってにかっと笑ったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る