第88話 おっさん、画策する
「森の木をこれ以上切らせない方法、ねぇ……」
目の前に置かれたふかしたジャガイモを潰しただけのやつを頬張りながら、フォルテは眉間に皺を寄せて考え込んでいる。
因みに今彼女が食べているのはメニュー曰くこの店自慢のポテトサラダらしいのだが、ジャガイモ以外の食材が一切入っていない上に味付けもされていない代物なので、日本で散々美味いポテトサラダを食してきた俺としてはこんなのはポテトサラダとしては認めていない。異論は聞かない。
此処は、宿屋の近くにある食事処だ。何でも夜は酒場として営業しているらしく、店内の装いのあちこちに大人びた雰囲気のあるものが見られるのが特徴の店である。
料理の味の方は……まあ、ろくな食材や調理法がない異世界の店が出すものとしては妥当だろうなと感じる程度のものだった。多分俺が作る適当飯の方が美味いと思う。そんな自信がある。
「素直に事情を話してお願いするのは駄目なのかな。森に住んでるエルフたちのために、これ以上森の木を切るのはやめてほしいって」
「……誰も彼もがそう言っただけで素直に納得してくれるような奴ばかりだったら、この世から絶滅動物なんて呼ばれる生き物が出ることもなかっただろうさ」
エールをくいっと呷って、俺は肩を竦めた。室温ですっかりぬるくなっているせいもあってか、あまり美味くない。これがこの世界で庶民が日常的に飲んでる酒だと思うとちょっと悲しくなるな。これで一杯四ルノって、何かの詐欺だろって言いたくなる。
「あの領主は目の前の大金を手に入れるためには手段を選ばないタイプだ。言葉での説得なんか無意味だぞ。本能に直接叩き込んで分からせてやらない限り、止まることはない」
「……最初から無意味なんだよ、人間との交渉なんて。向こうがその気なら、こっちも望み通りに皆殺しにしてあげればいいんだよ」
「こら、物騒なことを言うな。誰が聞いてるか分からないってのに。特にあの自称勇者に聞かれてみろ、面倒なことになるぞ」
毒づきながらサラダの葉野菜(多分レタスだろうが、微妙な色をしているのでそう言い切る自信がない……)にフォークを突き立てるアヴネラを嗜める。
「そういえばよ、おっさん」
牛肉のステーキを切り分けもせずに豪快に齧りながら、リュウガが言う。
「あの勇者。多分あれだよな」
「……ああ」
あれ、が指し示す意味を瞬時に察した俺は、頷いた。
「俺たちと同類。日本から来た召喚勇者だろうな」
シキ・クジョウと彼は名乗っていた。こんな名前、この世界ではまず聞くことのない綴りの名前だ。
黒髪だし、彼自身自分のことを『異邦の勇者』と言っていたし、まず間違いはないだろう。
それも、俺同様にこの世界の神に会って何らかの能力を授けられた特殊な人間だ。
彼がラウルウーヘンの目論見を知った上で彼に協力しているのかどうかは不明だが、彼が敵対勢力として目の前に立ち塞がってきたとしたらこの上なく厄介なことになる。何とか、彼が動き出さないように手を打っておきたいところだが……
全く……一体誰が召喚したのかは知らないが、此処に来て召喚勇者が出てくるとは何と面倒な……
……ん?
そこまで考えてふとあることに疑問を抱いた俺は、フォルテに尋ねてみた。
「フォルテ。ふと思ったんだが……この世界の人間がわざわざ異世界の人間を召喚する理由って一体何なんだ? 召喚獣は凄い力を持ってるから代わりに戦ってもらうために召喚するってのは分かるんだが、人間なんて召喚したところで所詮は人間だろ?」
幾ら異世界に住んでいる存在だからといって、人間は所詮は人間でしかない。召喚したからといって、その人間が窮地から救ってくれる超人的能力を持った存在である保証は何処にもないのだ。
特に、俺みたいな魔法どころか戦争すら存在していない平穏な世界に暮らしている人間など、召喚したところでこの世界みたいに魔法を当たり前のように使う人間がごろごろしている世界では何の役にも立たない可能性の方が大きいと言っていい。そういう人間が召喚されてしまうリスクがあることは、召喚主となる人間の方も理解しているはずである。
この世界で魔法を行使するためには、相応の対価を必要とする。早い話が命を懸けて魔法を使っているのだ。それは召喚魔法といえど同じこと。
失敗すれば無駄に命をすり減らすだけにしかなりかねない行為。それをしてまで異世界から人間を呼び、それを勇者として崇める意味というのは、一体──
「うーん……これは一種の言い伝えみたいなものだから、本当かどうかは分からないんだけど」
口の中に入っていたジャガイモを飲み込んで、フォルテは答えた。
「異世界からやって来た人間は、神々にすら為せない『倫理すら壊しうる力』を持っているって信じられているの。世界の壁を越えてくる時に、神々を生んだ大いなる存在がそういう祝福を与えるからだとも、そもそも異世界の人間はこの世界の理の枠からは外れているからこそ非常識な存在であるのだとも言われているわ。つまり、私たちにとって異世界から召喚された人間っていうのは、世界に確実に何らかの影響を与える神様みたいなものなのよ。だからみんな、召喚の儀によってこの世界に現れた人のことを勇者として扱うの。その人が自分たちを災厄から救って幸福を与えてくれることを願ってね」
「それは、誰が召喚した勇者とやらにも当てはまることなのか? 俺にも、リュウガにも、……あのシキって奴にも」
「少なくとも、みんなは召喚勇者はそういう存在だって信じてるわ。持っている力が全く同じものかどうかは、分からないけれど」
「……そうか」
「何だよ、それがどうかしたのか? おっさん」
「……いやな」
唇に付いた肉の脂を親指の腹で拭って舐めるリュウガに、俺は神妙な顔をしながら答えた。
「前にな、言われたことがあるんだよ。俺はこの世界にとってイレギュラーな存在なんだって」
君はツウェンドゥスにとってイレギュラーな存在だ。君の一挙一動は、時にツウェンドゥスに大きな波紋を齎すことにもなる。
あの時、アマテラスは俺にこう忠告した。
俺は、その時はその言葉を単純に『俺は異世界から来た人間なんだからイレギュラーな存在なのは当然だ』という風にしか捉えていなかった。
もしも、あの言葉が示す本当の意味が、今フォルテが言ったように『異世界から来た人間は倫理すら壊しうる力を持っている存在である』ということに起因しているのだとしたら。ただの言い伝えとして信じられているだけの話が、本当のことなのだとしたら。
そんな非常識な能力を持った人間が何人も集って、真っ向から本気で争い始めたとしたら──
下手をしたら、それがこの世界にとって最低最悪の災禍となりうる可能性がある。
それだけは、駄目だ。自分たちの都合で周囲を巻き込んで目茶苦茶にするなんて、そんなものは世界征服を目論む悪と何ら変わりはない。
あのシキって奴とは、なるべく対立することを避けなければならない。何とか対話に持ち込んで、俺たちの意図を理解してもらいたいところだが……
幸い、シキの方は今のところ俺たちをただの一介の旅人だとしか思っていない。一度だけならば、こちらから接触を図って交渉を持ちかけることはそう難しいことではないだろう。
だがそれをするためには、前もって確認しておかなければならないことがある。
俺はフォルテに質問を続けた。
「……フォルテ。召喚勇者にとって、召喚主の命令ってのは絶対なのか?」
「そんなことはないと思うわ。召喚勇者には、自分にとって召喚主が絶対的な主人だって認識はないはずよ。過去には召喚主の元から逃げ出して普通の人として余生を過ごした召喚勇者もいたって聞いたことがあるし。……そもそもハルだって、私のことを御主人様だなんて思ってないでしょう?」
……確かに、言われてみればそうだ。俺はフォルテのことを自分の主人だと思ったことは一度もない。
俺にとってフォルテという人間は……
……と、今はそんなことを考えている場合じゃなかった。
ちょっと前のことを思い出して思わず緩みそうになる口元を引き締める。
「あいつが召喚主に忠実な下僕じゃないと分かっただけでも僥倖だ。……皆、耳を貸してくれ。上手くいくかどうかは分からんが、俺に考えがある」
俺は皆の頭を寄せて、声を潜めて、言った。
「……シキと接触する。あいつを説得して、あいつがあの領主が森に手を出そうとするのを止めるように仕向けさせようと思う」
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