第78話 それぞれの思いを胸に

 俺たちが混乱に乗じて闘技場の外に出た時、空は既に真っ暗になっていた。

 しかし、辺りは昼間のように明るい。周囲の建物が発するカラフルな光が闇を照らしているのだ。

 まさに、夢と娯楽の街──永遠に覚めない夢を見させられているような、そんな活気が辺りには満ちていた。

 そう。此処には夢がある。訪れた人を笑顔にする、幸福の魔法が掛けられている。

 でも、その魔法は、闇の中に落ちていった人の嘆きをも覆い隠す巨大な目隠しでもあって──

 そんなものが本当に人を幸福にできるものなのかと、思わざるを得なかった。

「闘技場に虚無ホロウが出た! 魔帝の襲撃だ!」

「な、何で魔帝がこんな場所に!?」

「知るか! とにかく手が空いてる奴は一緒に来い! 大切な客を食い物にされちゃ敵わん! あいつらにはこの街で大金を落としていってもらうって大事な役割があるんだからな! 金を落とさせる前に死なれちゃ困る!」

 街の人間が、戦える人間を引き連れて闘技場の方へと向かっていく。

 ちらりと聞き流し難い台詞が聞こえたような気がしたが……それは聞かなかったことにするのが現状では正解なのだろう。

 口元を引き締めて、懸命に、人が流れていく方向とは逆方向に走る。走る。

 そして、街を囲っている煉瓦の塀を抜け──

 俺とリュウガは、フォルテたちが待っているという街の外へと到着した。

 今まで賑やかで煌びやかな場所にいたからか、外の静寂が普段よりも何倍も静かなものに感じられる。

 目の前には月が浮かび、俺たちの足下に淡い色の影を生んでいる。

 ざっと見回した感じ、この辺りにフォルテたちはいないようだが……

「こっちだ。街の入口に近い場所にいて誰かに見られんのも面倒臭ぇからな、人の目につかない場所に隠れてもらってんだよ」

 リュウガは付いて来いと言って、街を囲む塀沿いに歩いていく。

 そうして十分ほど塀に沿って進んでいくと。

 別れた時と全く同じ姿で、彼女たちは俺たちのことを待っていてくれた。


「……ハル? ハルなの?」

 フォルテは俺を見るなり、全身を震わせながら近付いてきた。

 俺は被っているフードを脱いで、顔から仮面を外した。

「心配かけたな。すまん」

「…………!」

 フォルテの目から、ぼろぼろと大粒の涙が溢れ出す。

 急に泣き出した彼女の様子に、俺はぎょっとした。

「……お、おい。何もそんなに泣くこと……」

「ハル!」

「うぉっ!?」

 俺はよろけてその場に尻餅をついた。

 フォルテが、俺の胸に勢い良く飛び込んできたのだ。

 それなりに腹も減っていて怪我をしていることもあって体力が落ちていた俺は、圧し掛かってきた彼女の体重を支えることができなかったのである。

「良かった……ハルが連れて行かれた時、もう二度と会えなくなるんじゃないかって思って……そう考えたら、私、私……」

 ぎゅうっと押し付けられる彼女の豊満な胸の感触が、柔らかくて気持ちいい。

 布越しに伝わってくる体温も心地良いし、髪も良い匂いがする。

 つい誘われるように、そっと彼女の体に両腕を回しかけて──

「おい、ラブシーンは後でやれ。やるなとは言わねぇから」

「っ」

 リュウガの冷めた一言にはっとして、俺は男としての欲に負ける寸前のところで両腕を引っ込めた。

 ぐすぐすと鼻を鳴らしているフォルテの頭を優しく撫でて、彼女を体から引き離した。

「悪い、逃げてくるので精一杯だったから、怪我をちゃんと治してないんだ。治療させてくれ」

「そういや、あいつにぶち折られてたんだっけな。平気な顔して走ってるからてっきり治したもんだと思ってたぜ」

 未だに骨がちゃんとくっついてはいないであろう左腕と右足に回復魔法を掛ける俺を、顎に手を当てながらリュウガが見つめる。

 フォルテは俯いて、頬を濡らした涙の後を手の甲で拭いながら呟いた。

「ユーリル……一体、何があったの? あんなに慕ってたハルを、平気で殺そうとするなんて」

 ユーリルが喋っていたあの時、試合場はかなりヒートアップしてたからな。流石に観客席の方まであいつの声は届いてなかったか。

 ──話さなければなるまい。あの時、俺とユーリルとの間にどんな気持ちの遣り取りがあったのか。

 此処にいる皆も、あいつのことを大事に思っている仲間なんだから。

「──話すよ。あいつが俺に何を言ったのか」

 俺は、皆にユーリルが俺に言った言葉の全てを話した。

 あいつが今は魔帝の下僕として動いていることも含めて、全て。

 俺の話が終わると、誰からともなく溜め息が漏れた。

「……たったそれだけのことで、魔帝に下るなんて……救いようのない愚か者だね。一族の恥晒しだよ、同じエルフとして情けなさすぎて掛ける言葉すら見つからない」

 沈黙を破ったのはアヴネラ。

 彼女はある方向に、まるでその彼方にある何かを見つめているような目を向けて、言った。

「何より、あの男は原初の魔石を持ってる……魔帝の手にあれが渡ったら、魔帝は更に手が付けられない最悪の存在になる。何としても捕まえて、奪わないと。ボクたちの森を救うためには、あの魔石がどうしても必要なんだから」

「そりゃ無理だろ。とっくに戦利品を持って魔帝のところに帰っちまってるだろうよ、あいつは」

 俺もリュウガの言う通りだと思う。

 もしもユーリルが魔帝のいる連中の本拠地から此処に来ていたのなら、途方もない遠距離を一瞬で移動する何らかの手段を持っている可能性は高い。ジークリンデやバルムンクが転移魔法を使う力を持っているように。

 そんな奴を徒歩しか移動手段のない俺たちが追いかけて捕まえられるとは、どうしても思えなかった。

 俺は頭を下げた。

「すまん……アヴネラ。俺が、試合に負けたばっかりに」

 俺は、必ず優勝して原初の魔石を手に入れてみせるとアヴネラに約束したのに。その約束を破ってしまった。

 彼女は、さぞかし失望したことだろう。人間は口先だけで約束ひとつ守れない信用できない生き物だという認識を強くしたことだろう。

 今更、謝ったところで状況が変わるわけではないし、彼女の中にある人間への嫌悪感が薄れるわけでもないが。

 それでも、言わずにはいられなかった。

 アヴネラは俺の方をちらりと見て、溜め息をついて。

「……そのことはもういいよ。君が謝ったって魔石が手に入るわけじゃないし。それに」

 ふいっと視線をそらして、小さく呟くように続ける。

「君は、命を賭けてボクのお願いを叶えようとしてくれたお人好しだからね」

 最後の方は小声すぎて聞き取れなかったが、今までつんけんとしていた態度がほんの少しだけ柔らかくなったような、そんな感じがした。

「──さて」

 話がひと段落したところで、リュウガが腕を組みながら皆に言った。

「とりあえず無事におっさんも戻ってきたことだし、この街から離れようぜ。おっさんが逃げたことがバレたら面倒なことになるからな」

「……そうだな」

 俺は相槌を打ちながら立ち上がった。

 今此処で俺たちが暢気に会話をしていられるのは、まだ闘技場の方の騒動が解決していないからだ。騒ぎが収まって地下牢のひとつが空になっていることが闘技場の関係者に知られたら、捜索の手が此処まで伸びてくるかもしれない。

 そうなる前に、この街からは離れた方がいい。

 夜なのにゆっくり体を休められないのは正直言って痛いが、此処で皆までお尋ね者にするわけにはいかない。

 離れてしまえば、わざわざ商品にすらなっていない奴隷一人の存在などそのうち諦めるだろう。それまでの辛抱だ。

「何処か落ち着けそうな場所まで移動しよう。皆腹減ってるだろうけど、すまんが少しの間だけ我慢してくれ」

 とりあえず、当初の通りエルフの国を目指して南東へ行く。

 約束を果たせなかったのでアヴネラの口利きは得られなくなったが、俺たちのやることは変わらない。エルフの国へ行って、魚人族に関する情報を集める。

 前途多難だが……やる前から諦めていても始まらない。俺たちのやれる範囲で、やれることをするだけだ。

 頑張ろう、と思ったら、少しだけ歩く気力が沸いてきた。

 俺は月の位置を見て方角を確認して、こっちだと皆に進む方向を指し示した。

 ……その時、何処からともなくがらごろと何か重たいものを転がす音が聞こえてきた。

 音の主は徐々に近付いてきて、俺たちの行く手を塞ぐように立ち止まる。

 西部劇なんかに時々出てくる旧型の列車、あの車両をライトバンサイズに縮めて左右に大きな車輪を付けたような代物で、前には立派な体格をした馬が二頭繋がれている。そんな見た目をしているものだ。

 それは──この世界ではありふれている、馬車と呼ばれている乗り物だった。

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