第68話 五日に一度のおつとめ
夜が更けて、皆が寝静まった後も、俺にはやることがあった。
傍らに積んであるのは、フォルテに召喚してもらったビールの箱が四つ。
胡坐をかいて座る俺の膝の上には、魔法の力を解かれて柄だけとなったアインソフセイバー。
……あいつの相手をするのは正直言って疲れるが、約束だから仕方がない。
すうっと深く息を吸って、俺は頭の中で二人に呼びかけた。
『神様たち、約束のビールだぞ』
俺の方から呼びかけるのは初めてなので、この声が神界にいるアルカディアたちに届いているかどうかは分からない。
だが、暇さえあれば俺の様子を観察しているあの酒飲み女神のことだ。取り込み中とかでもない限りは、ビールという単語には反応を示すはずである。
そのまま待つこと二十秒ほど。
遠くからどたどたと迫り来る足音が聞こえてきた。
『あーっ、ようやくなのね! ずっと待ってたのよっ! さあ、早くビールを寄越しなさい、ビール、ビール、ビール!』
『よう、異世界人。その顔からするに、問題は無事に解決したみたいだな。何よりだ』
ソルレオンは優しいな。何よりもまず俺のことを気に掛けてくれるその心遣いが有難い。流石神というだけある。
それに比べて、アルカディアは……相変わらずビールのことしか考えていないというか、通常運転すぎて溜め息も出ない。
『今日は普段の二倍のビールをくれるって約束だったはずよ。まさか忘れちゃいないわよねぇ?』
言い方がやけにねちっとしているというか、何というかいちゃもんを付けている不良のようである。
まあ、アルカディアだもんな……その辺は気にしたら負けのような気がする。
俺は肩を竦めて、傍らにあるビールの箱をぽんと叩いた。
『ちゃんとこの通り用意してあるから安心しろよ』
『それならいいのよ。まあ、私はおっさん君のことを信用してたけどね!』
『よく言うぜ。もしも忘れられてたらどうしよう……ってぶつぶつ言いながら神殿の周りをうろうろしてたくせによ』
『ちょっとっ、それ言っちゃ駄目だってばっ!』
……何やってるんだか。
『さあ、早くビールを献上しなさい。時間がもったいないわ。こうしてる間にもビールの鮮度はどんどん落ちてるんだから! よく言うでしょ、ビールは召喚したてが一番美味しいんだって』
そんな話なんか聞いたことないぞ。何だよ、ビールの鮮度って。アスパラじゃないんだから。
まあ、此処でこの女神と長話をしてても俺が得することは何もないからな。さっさと用件を済ませてさっさと帰ってもらおう。
俺はビールの箱を二箱ずつに分けて目の前に置いた。
『それじゃあ、今回の献上分だ。一人二箱ずつ。受け取ってくれ』
ビールの箱が白い光に包まれて、消える。
無事に、ビールは神たちの手に渡ったようだ。
アルカディアの馬鹿みたいなはしゃぎ声が聞こえてきた。
『いやっほーぅ! こんなにビールがたくさん……夢みたいだわ! 一日一本なんてケチなことしなくていいのねっ! 飲むわ、飲み明かすわよー!』
『馬鹿か、そんなことしてたら速攻でなくなるぞ。もう少し計画的に味わえよ。……ありがとな、異世界人。オレにも二箱くれるなんて、何だか気を遣わせたな』
ソルレオンはあくまでも冷静だ。
そんなに畏まられて感謝されると、何だかこっちまで背筋を伸ばさなきゃって気になるな。
『いや、色々相談に乗ってもらって助かったのは俺の方だし……気にしないで受け取ってくれ』
『そうか? お前がそう言うなら有難く頂くよ。これからも、何か悩みがあったら遠慮なく言えよ、男同士ならアルカディア相手よりも話しやすいこともあるだろうからな』
『後、これも』
俺は膝の上のアインソフセイバーを手に取って、頭上に掲げた。
『貴重な道具を貸してくれて、助かった。用は済んだから返すよ』
『ああ、それな……おい、アルカディア……って、聞いてないな。それじゃオレが預かるわ』
アインソフセイバーが光に包まれ、消える。
『……そういえば、アルカディアから聞いたんだが、お前、エルフの国に行くんだってな』
『?……ああ』
唐突な話題の振りに俺は小首を傾げた。
『今そこにいるってことは、ルノラッシュシティを通るルートを進んでいるんだろうが』
ルノラッシュシティというのは、通称『夢と娯楽の街』と呼ばれる巨大賭博施設を擁した街らしい。
街の一区画が丸ごと賭博場になっていて、一攫千金を夢見る旅人や大金を動かす遊びを楽しもうとする金持ちたちなんかが世界中から集まっているのだそうだ。
多分、ラスベガスのような雰囲気の街ってことなのだろう。ゲームなんかにも、こういう街があるのを時々見かけることがある。
以前フォルテが話していた闘技場も、この街の中にあるらしい。
俺は賭け事にハマるタイプではないが、ゲームセンターみたいなお祭り騒ぎのような空気は嫌いではない。近くに立ち寄ったらちょっとだけ覗いてみるのもいいかもしれないな。
『忠告しとくぞ。その街に行くこと自体はお前の自由だから止めないが、その街にいる人間は絶対に信用するなよ』
「……は?」
思わず声に出してしまった。静寂の中に俺の声が溶けて消えていく。
周囲を見回すが、皆ぐっすりと眠っている……今の声は、皆を起こさずには済んだようである。
『街の住人を、信用するな? 何で、また』
『神が下界の生き物を差別するのは本当は良くないんだが……その街の人間は、大半が嘘つきなんだよ。何も知らずに街に入ってきた人間を言葉巧みに誘って、騙して、有り金全部を巻き上げて奴隷商に売り払おうと企んでる連中ばかりなんだ。まあ、中にはまともな奴もいるが……そんな奴に会えることは滅多にない。自分の荷物と仲間が大事なら、悪いことは言わない、その街は見なかったことにして通り過ぎるのが一番だな』
奴隷商というのは、文字通り奴隷を売買している商人らしい。
闘技場があるルノラッシュシティでは、勝負に負けて奴隷落ちする人間というものがかなり存在する。そんな者たちを預かって人手を欲している貴族たちなどに高値で売り渡す、そういう商売が普通に成り立っているのだそうだ。
こんな世界だからそういう商売が存在していても不思議ではないと思ってはいたが、何も知らない人間を騙して売り物にしてしまうとは……この世界では人間の尊厳というものを一体どういう風に考えているんだと地位のある連中に問いただしたくなるな。一歩間違ったら犯罪だと思うのだが。この世界ではこういうのは犯罪とは言わないのかね?
『それは、黙認してるってやつだな。自分たちの身内がそこに通い詰めていい思いをしてるとなっちゃ、表立って咎める気にはならないんだろうさ。そもそも奴隷商はれっきとした商売のひとつだし、奴隷になった人間も色々事情があるとはいえ合法の上に成り立っている契約を結んだ上で結果的にそうなったわけだしな。裁く理由がないってやつだ』
成程……何処の世界にも民衆を足蹴にして甘い汁を啜ってる自称偉い人間ってのはいるもんなんだな。
俺がこの世界に来て初めて会った王族であるアルファーナは真面目で民のことを考えている人物だったから、この世界の王族はこういうものなんだと思っていたのだが。認識が甘かったらしい。
これからは、仮に偉い立場の人間から何か頼み事をされたとしても二つ返事で頷かないようにしないとな。いいように使われて犯罪者の片棒を担ぐのは御免だ。
『まあ、あの街に行く行かないを決めるのはお前だ。行ったからってオレが怒るような真似はしないし、仮にそこでお前がどんな目に遭おうともオレは基本的に干渉しない。今の話も、お前には世話になってるからオレの善意でしただけだ。分かったな』
『……ああ、分かった。よく覚えておくよ』
せっかくの街を休憩地点にできないのは痛いが、何も街はそこだけじゃない。食糧だっていざとなったらフォルテに召喚してもらえば済む話だ。
旅の安全のために、ルノラッシュシティは素通りする。明日皆が起きたらそのように話をしよう。
『……さて。話も済んだことだし、オレたちは帰るよ。ビール、ありがとな──おいアルカディア、そこで踊ってないで帰るぞ。後これ、お前が持ち出したんだろ、責任持ってお前が元の場所に返しとけ、おい、聞いてるのか?』
『ビール♪ ビール♪ ふんふふふーん、命のお水~♪』
『おいっ、聞いてるのかおばさん! 帰るぞ! 後これ! お前がやらかしたことは最後までお前が責任持って片付けろ!』
『ちょっ……おばさんですってぇぇ!? 何よ何よ、自分が若い姿をしてるからって当て付けのつもり!? きぃぃっ、思い知らせてやるんだから!』
『何だよ、ちゃんと聞こえてるんなら返事しろっての。ほら、騒いでないで帰るぞ! ……それじゃ異世界人、またな』
ばたばたと乱暴な足音が遠ざかっていく。それを最後に神界からの音はぷつりと途絶えた。
……ソルレオンも、何だかんだで結構苦労してるんだな……ちょっと同情するよ。
まあ、同じ神同士。付き合いが長い分、俺なんかよりも彼の方がアルカディアの扱いには慣れているだろう。後始末は遠慮なく任せてしまおう。
さて……無事にビールの引渡しも済んだことだし、寝るか。
俺は欠伸をしながら全身を伸ばして、ごろりとその場に横になった。
体に触れる岩の感触がちょっと痛い。ひょっとしたら明日全身痛いかもな……そんなことを独りごちつつ、何となく洞穴の外に目を向ける。
僅かに月明かりが差し込んだ、漆黒に等しい真夜中の森の景色。
その中心に見覚えのある若草色のシルエットが佇んでいるのを見つけて、俺は思わず閉じかけていた瞼を開いた。
「……一人で行くんじゃなかったのか?」
「最初はそのつもりだったんだけどね。それができない事情ができたんだよ。だから仕方なく此処に来た」
左手に淡い光を点したアヴネラは、静かに洞穴の中へと入って来ながら、俺の問いに答えた。
「こんなことを人間に頼むのは癪だけど……あれは、ボク一人の力じゃどうにもならない。でも、ボクの魔法を苦もなく消し去る力を持った君なら、ひょっとしたらと思ってね」
彼女は俺の目の前まで来て立ち止まり、背負っているものを下ろして俺へと見せてきた。
それは、奇妙な形をした弓だった。楽器のハープと狩猟弓を合体させたような複雑な形状で、あちこちに弦が張られている。色は素材の色をそのまま生かしているのか柔らかい木の色をしており、表面に蔦のような形の彫刻が施されている。そういうものだ。
「これは、神樹の魔弓。ボクたちの森を守護する神様の力が宿っていた、この世にたったひとつしかない弓。……今は魔力を失ったただの弓だけどね」
あの魔法使いに持ち去られて魔力を取り出すために解体されたっていう、アヴネラの弓か?
解体したって言ってたからてっきりばらばらにされたのかと思ってたけど、弓自体は無事だったんだな。いや、魔力が抜き取られているってことは無事でもないのか。
彼女は弓を元通り背負って、言った。
「ボクは、どうしてもこの弓に魔力を戻したいんだ。そのために、君の力を借りたいんだよ」
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