不死の軍団

第59話 雨の中の来訪者

 俺たちがファルティノン王国を発って四日が過ぎた。

 目的地であるエルフ領は、人間領の南東に広がっている森の中に隠されるように存在しているらしい。一国のみで構成されたとても小さな領地で、人間領のように幾つもの街や村なんかはないのだそうだ。

 昔は現在よりもずっと広い領地を治めており、集落もそれなりの数があったというが──人間が数を増やして領地を拡大したことが原因で、彼らが住む森の面積が減ってしまい、それに伴い種としての数が減ってしまったのだという。

 エルフは、森と共に生きる自然の民。森なくして生きることはできない。

 今や彼らは減少の一途を辿る、滅びゆく種族なのだ。

 当然、彼らエルフたちが自分たちの領地を侵蝕してきた人間に良い感情を持っているはずもなく。

 国に住むエルフたちの大半は、人間に対して排他的に接してくるという。

 ……それで、どうして情報が得られると思ったのだろう。ゼファルトは。

 まあ、俺たちには他に縋る指標がないのも事実だ。

 行ってみるしかない。一抹の望みを賭けて。


「……ちょっと早いけど、今日は此処までね」


 切り立った崖の傍。周囲を緑に囲まれて見通しが悪くなっている中偶然発見したのは、熊が寝床にしているような雰囲気の何もない洞穴だった。

 洞穴といっても、奥は浅く何処とも繋がっていない正真正銘の横穴である。天井はそれなりに高いが、横幅は狭い。広さにして十メートル四方くらいだろうか。壁などの様子からして、偶然できた天然の穴倉のようだ。

 それを見つけるなり、フォルテは歩くのをやめてそう言ったのだった。

「まだ明るいぞ? もう少し先に進めるんじゃないか?」

 木々の間から見える空を見上げて、俺は訝った。

 空には雲が掛かっており、白い。しかしまだまだ明るい。俺は正確な体内時計を持っているわけではないが、それでも今がまだ午後であることくらいは分かる。

 そんな俺の言葉にフォルテはううんと首を振って、言った。

「雨の匂いがするの。多分じきに雨が降ってくるわ。流石に雨が降ってる中外で寝たくはないもの」

「……そうなのか?」

 俺は辺りの匂いを嗅いでみるが、感じるのは土と草の匂いばかりだ。雨の匂いと言われても正直ぴんと来ない。

 でも、フォルテがそう言うのだから、多分そうなのだろう。こういう場合は日本人の俺の感覚よりも、この世界での暮らし方を知っている彼女の意見を信じた方がいい。

 俺も、雨の中に身を晒して寝たいとは思わない。偶然こういう雨宿りできる場所を発見できたのはラッキーだったのかもしれない。

「……それじゃあ、今日は此処で野宿するか。リュウガもそれでいいよな?」

「オレはあんたらに付いてくって決めてるし。別に構わねぇぜ」

 俺の言葉に、リュウガも特に異論はないようだった。

 早速俺たちは焚き火を熾すための薪になるものを周辺から大量に掻き集めてきて、洞穴の中に落ちている小石なんかを掃除して地面を綺麗にして、野宿の準備を整えた。

 フォルテの宣言通りに雨が降ってきたのは、それから幾分もせずしてのことだった。


 洞穴の中一杯に、甘い匂いが漂っている。

 焼き上がったホットケーキに蜂蜜を掛けて、フォルテへと出してやる。

「こんな場所で足止めだなんてついてないわね。雨さえ降ってこなかったら、もう少し先に行けたと思うんだけど」

 ホットケーキの載った皿を受け取りながら、フォルテは洞穴の外に目を向けた。

 外は、激しい雨が降っていた。落ちてくる雨粒がヴェールを作り出しており、洞穴の外の様子が全く見えない。まだ昼間なので辛うじて周辺の木々のシルエットが見えるが、日が沈めばすぐにそれらは見えなくなるだろう。

「ま、焦ってもしょうがねぇだろ。天気ばかりは人間の力じゃどうにもできねぇんだからよ。大人しく晴れるのを待とうぜ」

 ホットケーキを一杯に頬張った口をもごもごさせながらリュウガが言う。

 そうね、とフォルテは頷いた。

「まあ……焦って無理に動こうとして何かあっても逆に困るもんね」

「そういうこった」

 二人の会話を横で聞きながら、俺は次のホットケーキを焼き始める。

 横で大人しく寝そべっていたヴァイスが、くんくんと鼻をひくつかせて伏せていた顔を持ち上げた。

 その視線は、洞穴の外へと向けられている。

「……どうした、ヴァイス」

「……ウウウ」

 ヴァイスが立ち上がって唸り声を発し始めた。

 どうやら、洞穴の外に何かがあるのを察したようである。

 フォルテたちもヴァイスのただならぬ様子に気付いたようで、喋るのをやめて、揃ってヴァイスの方を見た。

「何?」


 ぱちゃん。


 水が跳ねる音が、雨の音に混じって聞こえてきた。

 一定のリズムを刻みながら、それは徐々に近付いてくる。

 それも──ひとつ二つではない。

 例えるならば、それは軍隊の行進のように大勢の人間が地面を踏み締めている足音だ。

 俺たちが注目している中、それは水のヴェールを掻き分けて目の前に姿を現した。

 端が擦り切れたぼろぼろの黒い外套を纏った、痩せ細った白い体。そこに肉はなく、昔学校の理科室で見た人体の骨格標本にマントを羽織らせたら丁度こんな感じになるだろうなと思える姿をしていた。外套の下に服は着ておらず、その代わりなのか首と右の足首にサイズが合っていないぶかぶかの鉄の輪っかを填めている。装飾品というよりは、囚人に付ける枷といった感じの代物だ。

 そいつは全身からぽたぽたと雨水を滴らせながら、かたかたと頭蓋骨を揺らした。並びの悪い歯がぶつかり合ってかちかちと音を立て、その音は何だか奴の笑いを表しているように感じられた。

「……し、死霊!? 嘘、何で!?」

 慌てて皿を置いて立ち上がるフォルテ。

「……アンデッド……死霊って、昼間でも出るものなのか?」

 俺の疑問に彼女は杖を構えながら、答える。

「ありえないわ! 死霊は太陽を嫌ってるから、昼間は出て来ないはずなのよ!」

「ま、今は雨が降ってるからな……ちょいと根性出せば活動できるんでねぇの? よく分かんねぇけど」

 頬張っていたホットケーキを飲み下し、空の皿を置いて立ち上がりながら背負っている剣の柄に手を掛けるリュウガ。

 その口元には、僅かながらに笑みが浮かんでいる。

「ま、何だっていいさ。せっかくおいでなすったんだから歓迎してやらねぇとな」

 確かに、リュウガの言う通りだ。何故昼間である今この骨が活動できているのかは分からないが、それを暢気に眺めている場合ではない。

 死霊には、高火力の火魔法か浄化魔法でなければ通用しないとフォルテが言っていた。おそらくリュウガやフォルテではこいつを完全に仕留めることはできない。

 この状況を何とかできるのは、俺だけなのだ。

 外からぞろぞろと姿を見せる、同じ格好をした骨たち──それらを見据えながら、俺は持っていたフライパンを静かに竈の火から下ろしたのだった。

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