第44話 抱擁

 病室のベッドの上でたくさんの医療器機をつけられ親父は眠ってた。


「リチャード!! 」


 康代の悲鳴に似た悲しい声が病室に響く。



 会社の駐車場から秘書と二人で出て来たところを銃で撃たれ、腹にたまが貫通したとベッドの傍に立つ医者が説明する。


 眠っている親父のベッドの横にはウィル・スミスそっくりな黒人刑事。そして金髪の若い秘書スージーが泣きじゃくって座っている。


「ごめんなさい。私が悪いの。まさかこんなことになるなんて」


 初めてこの女の声を聞いた。



 警察は、すでに犯人を捕まえていた。秘書スージーの夫だった。


「お前、結婚してたのかよ」


「ごめんなさい。こんなことになるなんて」



 康代は、まだ事の成り行きを理解することができず、親父の頬に優しく手を当てている。


「最初は割り切ってつきあってたのよ。私には夫がいるし、彼には婚約者がいる。二人とも人に知られてはいけない関係を楽しむだけのつもりだったの。でも、一緒に過ごすうち、段々と彼の魅力に心まで囚われてしまったわ。私には許されない恋だとわかっていたのに、一緒に過ごす時間が嬉しかった。夫は私の心の変化に気づいてしまったのね。私を殺して自分も死ぬ気だったから。私の前に銃を持って現れた時、リチャードが冷静になるようにとやさしく話しかけたのよ。それなのに、夫はリチャードに向けて発砲してしまったの」


 ウィル・スミス似の刑事が呆れ顔でスージーを見ている。


「リチャードさんが話しかけた時、あなたの相手が彼だと直感したんでしょう。だから、愛しているあなたではなく彼を撃ったのではないでしようかね」


 俺はこの女に怒りを覚え、大声で叫んだ。


「お前にとって、親父はただの金づるだったんじゃないのかよ? 今更、何言ってるんだよ。親父がお前なんかのために、撃たれるなんて! 」



 俺にはわかってた。親父は嫌いな女を愛人になんてしない。この女のことも気に入ってたんだろう。康代とは違う愛をこの女に感じてたのかもしれない。



「お金だけの関係ならよかったのに。あゝ〜、リチャード。お願い死なないで! 愛してるわ」



 康代はひとり、話について行くことが出来ずに混乱しているようだった。小さな声でスージーに聞き返す。


「あの、スージーさん。あなたはリチャードの秘書なんですよね。スージーさんの夫が二人の関係を誤解してあなたを襲おうとした。それをリチャードがかばい撃たれた。二人は仕事の関係だけですよね 」




 康代の言葉に刑事が眉間にしわを寄せた。親父が撃たれただけでもショックなのに、スージー本人から秘密を打ち明けられたら、今の康代の精神状態では受け止められないだろう。



「康代さん、ごめんなさい。本当にごめんなさい」

 

 スージーの嗚咽だけが部屋に響いている。




 刑事が、重い口を開き、話し始めた。


「身内の方が来るのを待っていたんですよ。秘書のスージーさんに、これから詳しい話を聞くことになっています。ロバート君は二人の事情を知ってるようだね。一度話を聞かせてもらうことになるかな。まっ、いずれにしても事実関係は次第に明らかになるはずです」


 俺たちにそう言うと、刑事はついでのように医者に問いかける。


「リチャードさんの意識は戻りますかね。本人から直接、事情を聞きたいのですが」



「最善は尽くしますが……」


 医者が、静かに答えた。



「あゝ、なんてことなの! ごめんなさい」


 スージーは泣き叫びながら親父にしがみつく。刑事はそんなスージーに事情調書を取るので一旦病室を出るようにと指示をする。刑事なりに康代に気を利かせたんだろう。




 今までの雑音が嘘のように、親父の体につけられている機械音だけが病室に鳴り響く。


 康代は黙って親父を見つめている。




「大丈夫か? 」



 重苦しい空気と機械音が鳴り響く病室。


 何も答えず呆然と立ち尽くす康代。


 小さく震えている華奢な肩に手を回し、そっと寄り添う。



「男は、魔がさすんだ。心と体が一体じゃないというか……、親父を許してやってくれ」


 二人の女を同時に愛していたなんて、康代にどう伝えればいいんだ。



 康代の瞳から、大粒の涙が溢れ出た。



 すべてを悟ったんだろう。


 親父が愛していた自分以外の女。それが秘書スージーで、そいつを守るために身代わりになり撃たれたと言うことを……。




 俺は泣きじゃくる康代を背中から強く抱きしめた。


「お前が一番だ」


 今の俺にできるのは、こんなくだらないセリフを吐くことだけだった。一番とか二番とか、康代がそんなものを求めていないのは知っている。だが、俺にとって康代は一番だ。





 無力だった。




「何やってんだよ、親父! 起きろよ」


 話しかけても機械音しか聞こえない。


 親父は俺達の声に一度も反応せずに横たわったままだ。




「ビーーーー」


 無情な機械音だけが鳴り響く病室に俺と康代はいた。


 康代と見届けた親父の最期だった。

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