3章4話

 昨夜は遅くまで街の方達と楽しく飲み明かしました。どれだけお酒を飲んでも仮の姿では酔いません。飲んでいる感覚も喉越しも味も分かるのに、それによって引き起こされる悪夢だけが取り払われるのは嬉しいことですね。


 今日は朝からオーブンの修理屋さんがきて下さり、台所の一角に陣取って悪戦苦闘しておられます。やはり古い型の修理は難しいようでした。


「温度調整の部品が壊れてますね、こりゃ難しいな」

「あなた、プロでしょ? 勿論直せるんでしょうね」


 ハンナが幾分きつめに詰め寄っています。彼女もなんだかんだでこの旧型オーブンが好きなので、ぜひ直してほしいのでしょう。


「まあ部品さえあれば。でも【招かれざる者たちの森】でしか取れない特殊な素材が必要なんですよね」

「だったら行って取ってきなさいよ」

「無茶言わんでください。冒険者でも兵士でもない私には無理ですって」


【招かれざる者たちの森】は、私がこの世界へ落とされた時に立っていた森です。ウサギの魔物がいるので、戦闘経験のない方が行くには確かに厳しいと思われます。


「部品さえあればオーブンは直るのかしら」

「そりゃもう完璧に」

「でしたら私が行ってきます。これでも現役冒険者なのですよ」

「ええっ、その歳で?」

「冒険者には歳も性別も関係ないわ。必要なのは実力よ、そうでしょうハンナ」

「おっしゃる通りです。特に夜のルリコ様ならね」


 昼間の私でも死霊系魔物は大丈夫なのだけれど。でも歩いて行くには時間がかかりすぎますね。夜なら箒でひとっ飛びなのですから。


「でも心配だなぁ」

「あんた、ドラだめのルリコを知らないのかい」

「さすがに知ってますよ。ドラゴンスレイヤーなんてそう何人もいませんから」

「目の前にいるのが本人さ。それでも心配なのかい」


 ハンナが得意げにこちらを指さすと、修理屋さんは目を丸くして私を見つめます。眼球が忙しく動き回っているので、急激に思考を働かせているのでしょう。


「じゃあ……お願いしても宜しいですかね」

「ええ、任せて頂戴な」

「必要なのは【血塗れの気狂い兎】、通称ウサぐるみが持っている斧です。あの不思議金属は熱伝導率が良いんですよ」


 ウサぐるみというのは可愛らしい通称ですね。見た目に反して可愛さからは程遠い魔物でしたが。でもまさかあの重い斧が必要になる時がくるなんて、思いも寄りませんでした。私に持って帰れるのかしら。斧を置いてきた地点は大体分かりますから、とにかく行ってみましょう。


 その日は早めの夕食を取り、黄昏時からベッドに入りました。こんなに早い時間から眠れるのかしらと思いましたが、さすがに傘寿ともなると寝ることにかけては抜きん出た才能を発揮できるようです。私から分かたれたもう一人の私となって、いざ出陣。


【招かれざる者たちの森】は、街の南にあります。かつてはどれくらいの広さなのか分かりませんでしたが、上空から見渡すとそのあまりにも広い面積に驚かされました。私達はよく最善の方向を引き当てられたものです。斧を探す前に、この森がどこまで続いているのか確かめてみようかしら。


 ミキサーの中で瞬時に混じり合うような眼下の景色。速く飛ぼうと思えばどこまでも速く飛べるのがこの魔法の特徴です。きっと世界の端から端までも一瞬で到達できるでしょう。そう言えば世界の果てはどうなっているのでしょうか。星は丸いのが常識なので果てなどないようにも思えますが、この世界では違うかもしれません。お皿の上に乗った世界をゾウさんが一生懸命支えていたら微笑ましいですね。


 そんなことを考えておりましたら遥か彼方に森を通過してしまいました。急いでスピードを落として現在地を確認します。目指していた森は砂粒ほどの大きさになり、眼下には荒れた大地が広がっています。巨大な隕石でも落ちたかのようなクレーターや、巨人が残した爪痕のような渓谷があり、ところどころ魔法的な光が夜空に立ち昇っていました。私は吸い寄せられるようにその光柱を目指します。


 間近で見たそれは、何とも形容し難いものでした。明らかに自然現象ではないのですが、かといって人の技だとはとても思えません。大地の一区画がメスで切り取られたように消失し、まるでそこには初めから何も存在していなかったように白一色の空間があるのです。それもひとつではなく、幾つも存在していました。

 この光景はさすがに理解を超えています。どうすればこんなことになるのかが、さっぱり分りません。考えて答えの出ることではないと悟った私は踵を返し、通り過ぎた森へと向かったのでした。


 森の上空まで辿り着き、以前あの重い斧を置いてきた場所を探します。確か私達は一直線に進んでいたので、街と森とを結ぶ延長線上を探せば良いはずなのですが。高度を下げて大樹の梢から森へと分け入った途端、頭に無痛の衝撃が走りました。この体は魔素で構成されているため物理的な攻撃は通用しません。それでも脳天をいきなり斧で割られるのは、良い気分ではありませんね。


 私を仕留め損なったウサぐるみは着地した枝の上で地団駄を踏んでおりました。以前出会った日の記憶を手繰ると、この魔物は一撃必殺を旨としておりますので一度襲撃に失敗すれば後がないのです。


「置いてきた斧を探すより、貴方から戴いたほうが早そうね」


 左手で右肘を支えて右手の指でピストルの形を作り、そこから魔法の弾を撃ち出します。


「ばーん」


 弾は見事にウサぐるみの額を貫き、生気を失ったかの魔物は地上へと落下して行きました。


「先に仕掛けたのはそちらですよ、恨みっこなしでお願いしますね」


 ここは現実の世界ですが同時に私の夢でもあります。ですからイメージ次第で大凡のことはできてしまうのでした。夢の中だと私は若い娘であり魔女であり淑女であり、そしてガンマンにもなれるのです。

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