3章3話

【女神に寵愛されし夢天の精霊よ 我アイダルリコの錬魔素全てと引換えに泡沫の夢を叶え賜え ヴァンビーソウルブ】


 この呪文はとても特殊で、唱えた時点では錬魔素を抜き取られることも効果を発揮することもありません。私が眠りに落ち、夢の世界へと旅立つことが発動条件になっているのです。


 早めにベッドへと潜ってからどれくらい経過したでしょう。私は私自身から抜け出し、眼下に自分の寝顔を認めます。白髪頭で皺の多い、どう贔屓目に見ても若いとは言えない容姿です。とても幸せそうに見えるのが唯一の救いでしょうか。


「ルリコ様、お気をつけて」


 ベッドの傍らに座り、待機していたハンナが呼びかけてくれます。


「ハンナったら、またこんなところにいたのね」

「だってこんなにも神秘的な光景ですよ。何度でも見たいと思うのは当然でしょう」

「はぁ、もう分かったわ。じゃあ行ってきますね」

「行ってらっしゃいませ。本体のルリコ様は私が責任を持って護りますので」


 足先でトンと軽く空中を叩き、天井をすり抜け屋根へと登りました。この体は魔素で形造られているらしく、物質を透過することができるのです。そのくせ物に触ることも持ち上げる事もでき、触れられても幽霊のようにすり抜けることなく実体としての存在を誇示できるのでした。思い描いた様を忠実に再現してくれるこの呪文は、まさに夢を叶える魔法ですね。


「さて、今日はどこへ行こうかしら」


 私はイメージで出現させた箒にまたがり空へと浮かびます。夢だけど現実の世界。夢の中で行動したことは現実にも起こります。ですからある意味、これは第二の現実なのかもしれませんね。


 今の私は三角帽子に黒いマントで箒にまたがった二十歳くらいの姿です。夜の間だけですが若い頃の姿に戻れるなんて、本当に夢みたいですね。……夢なのでした。


 風を切り街の上空を飛ぶのは爽快で、ついつい無茶な軌道を描いてしまいます。本体でこんなことをすればショックで死んでしまいそうですが今の私なら大丈夫。きりもみ飛行で地面すれすれまで落ち、接触する寸前で上昇するなんてことも簡単です。


「ルリコ見つけたにゃー」


 夜の空中散歩に出かけていた黒助が近づいてきました。この状態になると何故か彼ともお話ができます。それだけではなく、人の体から滲み出る魔素の色も分かるのでした。自分が魔素の塊なので何某かの親和性があるのでしょうか。


「黒助はお散歩の帰りかしら」

「むしろ今から始まるのにゃ」


 そう言って彼は箒の柄先にちょこんと乗ります。黒猫を連れて箒にまたがり空を飛ぶなんて、思い描いていた魔女とそっくりで思わず笑みが零れてしまいました。


「じゃあ飛ばすわよ、しっかり捕まっていてね」


 そうれとばかり加速して、低空で街中を飛び回ります。


 あっ、夜の魔女だ。

 夜の魔女さん、こんばんは。

 箒に乗って夜の散歩とは正しく魔女ですな。


 私を見つけた方が手を振ってくれたり、声をかけてくれたりするのがとても嬉しく、その反応を見るためだけに街中を飛び回っているといっても過言ではありません。最初は怪訝な目で見られることもありましたが、何ヶ月もこうしているので皆さんも慣れっこになってしまったようです。


「ルリコ、おいらお腹がすいたにゃ」

「あらあら、夕食でたっぷりお肉をあげたのに食いしんぼさんね」

「育ち盛りにゃん」


 街の南側へと移動して、賑わっている酒場の前へと着地しました。思い描くだけで凄いスピードを出せるのは便利ですね。黒助は少し目を回しているようですが、いつものことなので大丈夫でしょう。


「やってるかしら」

「いらっしゃい。おっ、夜の魔女さんがきてくれたね」


 夜の魔女さん、こっちへきて座りなよ。一杯奢るぜ。

 まてまて。独り占めはズルいぞ。

 そうだそうだ、夜の魔女さんはみんなのものだ。


 私はみんなのものではありませんが、奢ってくださるのならお言葉に甘えましょう。


「果実酒と簡単なお食事をいただけるかしら」

「はいよ、今日はとびきりの果実酒が入ったんだ」

「じゃあそれをくださいな」


 果実酒とお食事を頼み席へと着きます。黒助も私とセットに思われているので誰もその存在を咎めたりはしてきません。


 夜の魔女さん、空を飛ぶのってどんな気分だい?

 なあアンタ。良かったら今度、その箒に乗せてくれよ。

 まてまて。美女の独り占めはズルいぞ。

 みんなで乗ろう、みんなで乗れば大丈夫。


 周囲に人が集まり、楽しい夜が更けて行きます。怖い思いもしましたが、良い人もたくさんいるこの街が最近では大好きになりました。

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