1章終話

 中央にはステージ、それを取り囲むように並べられたたくさんの椅子、そしてそこかしこに置かれた動物のオブジェ。確かそのような感じで設置業者さん達が頑張っていた記憶があります。


 しかし広場から溢れんばかりに集まった人の群れを見るに、椅子の数は全く足りていませんしオブジェも邪魔だったと思わずにはおれません。


 いつも座るベンチ周辺にオブジェの設置さえなければ、私は貧民街に行かなかったかもしれず、そうすれば酷い目にも遭わなくて済んだのに。

 少し恨めしい気持ちもしますが、そうするとドーラさんとも出会えなかったはずなので、どちらが良かったのかと問われれば「行ったほうが良かった」と答えるでしょう。時として、台本があるように世の中は上手く回りますね。


 ――故に私達【ローマンの翼】は、可及的速やかに新たな階層へ進出することをここに宣言します――


「あの娘は……」


 私の身長では人々の背中越しにステージを見るのは不可能ですが、翔くんにはそれができたようです。もしかして演説をしていると思しき女性とお知り合いなのかしら。


 ――に探そうではありませんか。この呪われたサイクルを断ち切り、希望を、繁栄を、名声を掴み取りましょう。迷宮は冒険に満ち溢れています――


 人々の歓声が巻き起こり、拍手の音が大津波のように押し寄せます。タイミングを測ったように(実際、測っていたのでしょうけれど)夜空に色とりどりの花火が打ち上げられ、お祭りは一気にフィナーレの様相を醸し出しました。


 まあ、理解はできるけどさ。

 可愛い顔してるのに迷宮なんて行かなくても。

 何だか胸が熱くなってきたよ。

 ちょっと押しつけがましいわよね。


 終宴を見た人達がパラパラと広場から離れて行きます。演説に対する評価は人それぞれのようで、全ての人が好ましく思っている風ではありませんでした。むしろ不快に思っている人のほうが多いとさえ感じます。先ほどの拍手は社交辞令だったようですね。


「そうだよな、迷宮を登ればいつかは……」


 その中にあって翔くんは演説を好意的に受け止めているようです。ただし彼の場合、私と同じく最初から聞いていたわけではないので、その感情は別のところからきているように思えますが。


 何はともあれ、怪我も治りましたし綺麗な花火も見ることができました。その後、屋台の串焼きも食べましたし、何と言っても久しぶりに胸の中へ新鮮な空気を迎え入れられたので、その日はとても良い気持ちで就寝まで過ごせたのです。


 翌日、宿に戻った私はこれからのことを考えていました。お金が心許なくなってきたので何かできる仕事を探さなくてはなりません。

「このままここに住むのはどうか」というゼペットさんとフェルさんの申し出は丁重にお断りいたしました。二人のことは家族のように思い始めておりますので本当にありがたいお言葉でしたが、運命共同体の如くこの世界に落とされた翔くんとでさえ宿の部屋は別々なのです。八十ババアがこんなことを言うと笑われるかもしれませんが、女はいつまで経っても女なのですから。血縁でも夫でもない男性と一緒に暮らすのはそれなりの覚悟が伴うのです。


 それに翔くんとフェルさんのこともあります。二人は打ち解けあっているようですが、それはあくまで知り合いとしてです。ゼペットさんの厚意に甘えてしまえば、自ずと翔くんも一緒に暮らす流れになるでしょう。そうなると結果として彼らも同居することとなります。本人たちはどう思うのかは分かりませんが、私としては二人の本音を覆い隠させたり、未来の選択肢を狭めるようなことはしたくありません。


「さて、どうしたものでしょう。どこかに私ができるお仕事はないかしら」

「おーい、相田さん生きてるかー」


 私が物思いに耽っている間に、翔くんが部屋へ来ておりました。


「ノックはしたんだけどよ。返事がなかったから、くたばったのかと思って」

「ごめんなさいね。昔から考え事をすると周囲が見えなくなるのよ」

「とりま、麦茶頂戴」

「はいはい、今入れるわね」


 私はベッドから起きてテーブルの上に置いたヤカンを取り、麦茶を注ぎました。前の世界ではこれだけのことでも苦労したのですが、この世界にきてからというもの体が健康になり、普通に動くことができています。痛みを伴わずに行動できるのは、それだけで本当にありがたく、この世界に落として下さった方には感謝してもしきれません。


「うはーっ、いつ飲んでもキンキンに冷えてて美味いわ」


 翔くんがそう言ってくれたので嬉しくなり、空いた紙コップにいそいそとおかわりを注ぎました。


「で、さっきの話だけどな」

「何の話だったかしら」

「仕事の話だよ。とうとう鳥並みの記憶力になったのか」


 そう言えばそんなことを考えていたわね。翔くんが顔を見せてくれたので、嬉しくなって忘れていました。でも鳥並みの記憶力は失礼ですね。ベッドからテーブルへ行く間に忘れただけなのに……丁度、三歩くらいでした。


「相田さんも冒険者になればいいんじゃねーの」

「この歳で?」

「歳とか関係ないだろ、そんだけチートなら楽勝じゃねーか」


 久々に難解な言葉が飛び出しました。チートとはどういう意味なのでしょうか。いえ、ニュアンスで何となく解ります。要するにトーチ(たいまつ)みたいに明るく楽観的な性格なので大体のことは何とかなると、そう言いたいのですね。昔から物事を明るい方向に考えるくせがあるのですけれど、それを看破してくるなんてさすが翔くんです。


「資格もいらねーから。なると宣言したらもう冒険者だぜ」

「私にできるかしら」

「できるとかできないとかじゃない。やってほしいんだ……」


 俺が見てないところで逝かれるのは嫌だからな。と小さく続けた彼の言葉に胸が熱くなってきました。


「そうね、できるかどうかじゃないわね。やるわ! 私、冒険者になります」


 こうして私は傘寿にして冒険者となったのです。






 ―― 1章 了 ――

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