おばあちゃんは冒険者

悠木 柚

傘寿転生

1章

1章1話

 その日は祝日でしたが、朝からとても活気のある声が風に乗り届いておりました。


 オーライ、オーライ。

 そこ、ちゃんと持って。

 車きてるぞ、警備は何やってんだ。


 周囲に何もない此処が気に入り、終いの住処にしようと十五年前にこの家を購入。主人と二人、慎ましやかにものんびり暮らしておりましたが、その主人も脳梗塞で倒れたのを境に身体の自由がきかなくなり昨年他界してしまいました。

 それまでは静かで時間の流れが緩いこの場所に何の不満もなかったのですが、独り身となってしまってからは幾分か寂しさを感じていたことも事実です。

 傘寿となる私の両親は既に額縁の中だけの存在となっておりますし、幸か不幸か私達は子宝に恵まれませんでした。若いうちは子供に煩わされることもないので幸せね、とも思っておりましたがこうなってみると本当に幸せなのかどうか疑問に思えてきます。騒がしいのは苦手ですが子供や孫がたまに訪ねてくれる生活も良いのかなぁ、と。


 だからというわけではないのですが、今朝からの騒々しさは癇に障るものではなく逆に楽しささえ感じていました。同じ輪に入れなくとも活気のある声を聞いているだけで年寄りは嬉しいものなのです。


 時計を見ると十時にさしかかった頃で、暑さが本格的に厳しくなる時間でした。九月の第三週とはいえ、まだまだ夏の日差しは衰えを知らず、私などは長く日向ぼっこをしていたらそれだけで干物になりそうな気がします。

 そんな中、何かの工事で頑張っておられるらしい外の人達は本当に御苦労様ですね。この辺りはコンビニエンスストアもなく、冷たい飲み物を買うにも少し離れた場所の小さなスーパーへ行かなければなりません。朝から元気をいただいているだけでは申し訳なく思った私は麦茶の差し入れをしてあげようとヤカンに麦茶パックと水を入れました。もちろんヤカンはたらいの中に置き、周りに冷凍庫から出した氷を敷きつめるのも忘れません。最近は物忘れが酷くなりましたが、毎年繰り返していることは身体が覚えてくれているのです。


 手押し車の荷台にヤカンを置き、玄関を出ました。買い物袋の中には買い置きして今日まで使うことのなかった紙コップの筒も入れています。久しぶりに外へ出かけるからと、あじさい柄の半袖ワンピースを探していたら少し時間が経ってしまいましたが、そのおかげで麦茶がよく冷えたので良しとしましょう。


 私の家は今流行りのバリヤフリーとかいう造りで、玄関から道に出るまでの間は段差がありません。ヤカンは安定していて置いた場所からずれることなく、表面から滴り落ちた雫がゆっくりと荷台に水たまりをつくっていきます。この手押し車は主人が使っていた物で、私はもっぱら杖を愛用していますので使ったことはありませんでした。いつか杖の支えでは辛くなって使う日がくるのかな、とも考えていましたがこんな風に使うだなんて何だか不思議な気分です。若い頃はこれくらいの荷物、片手で持てたものですが今ではそれも叶いません。


 オーライ、オーライ。

 ワイヤー、ちゃんと持て!

 傾いてるぞ、一旦降ろしたほうが良いんじゃないか。


 敷地から出ると斜め向かいの空き地にはクレーン車が停まり、数人の男衆が動き回っていました。活気のある声が響いていますが何を言っているのか正確には聞き取れません。最近はテレビのボリュームを上げても全てを聞き取るのが困難なのでテレビ自体を見なくなりました。動きのあるものを感じたいと思った時に少し見るくらいです。


 クレーンに繋がれた鉄骨がゆっくりトラックの荷台から引き上げられて行きます。この辺りは見渡す限りの田園が広がっていて、遠くに田んぼの持ち主である地主さん宅が見えるだけだったのですが、いつの間にかその田んぼの一つが整地されて建築資材が置かれていました。あと十年もすれば近隣にお家が立ち並ぶのかも知れません。私がそれを見ることはできないと思いますが、主人の愛したこの風景がなくなるのは少し悲しく感じます。


 そんなことを考えながらゆっくり工事現場へ近づくと、急にハッキリした大声が聞こえました。一言、「あぶない!」と。それは本当に一瞬のことで、今まで生きてきた八十年の中でも他に類を見ない出来事でした。戦時中でもこんなに驚いたことはありません。吊るされていた鉄骨が傾いてワイヤーから抜け落ち、その下にあった建築資材を潰して轟音が辺り一面に響き渡ったのです。


 すぐに引き上げろ!

 救急車、救急車だ!


 男衆の慌ただしく切羽詰まった声が聞こえました。音にビックリした私の心臓も暴れ馬のように飛び跳ねています。 この歳で動悸が乱れて良いことなど何一つありません。気持ちを落ち着けるには状況を確認したほうが良いと考え、無意識に閉じていた目をゆっくりと開きました。


 潰れた建築資材の下から赤い液体が染み出していて、それが下敷きになった人の血液であると理解するに至り、私の鼓動はいっそう激しくなって息苦しさのあまりその場へと倒れ込みました。


 相田るり子、享年八十歳。

 死亡原因はショック死。


 これがその日、敬老の日に起こった私が死亡するまでの経緯です。

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