第5話 許せないことはある
足を踏み入れた村は、明るい昼下がりの日差しに包まれていた。
馬車にたくさんの藁を積んでいく農夫や、収穫した籠いっぱいの野菜や果物を村の店に卸している人達で溢れている。
幾人か、俺と同じように腰に剣を下げた屈強な男達の姿も見えるが、こちらは噂を聞きつけてやってきた迷宮目当ての冒険者や魔物狩り達だろう。なにしろ、この迷宮の主が守っているという回復薬を手に入れられたら、どんな病気も治すことができるという。余命長くない家族を抱えた金持ち達には、どれだけの大金を積んでも手に入れたいお宝だ。
もちろん、それだけに俺の通っている剣術学校にも補助金と授業料以外の重要な現金獲得手段だ。国立ということで、かなり国庫が助けてくれているが、それでも一般市民には高額の授業料を考えれば、決して安くない運営費なのだろう。
「意外と敵が多そうだなあ」
酒場の前でたむろしている人影を見つめて、俺が呟くと、隣で嬉しそうに歩いていた竜がにっこりと笑う。
「大丈夫、あんな奴らじゃこの迷宮のお宝はとれないよ」
にこにことした笑顔は、奇妙な確信に満ちている。
「だって、ものすごくわかりやすくて攻略しにくい罠だから」
――わかりやすくて、攻略しにくい?
「そうなのか?」
「うん」
思わず眉を寄せて聞き返してしまったが、なぜか竜の笑顔を見ていると心が和んでくる。俺を、にこにこと嬉しそうに見つめているから、なんとなく口元が綻んで、緊張がほどけてしまう。
だから、一つ苦笑の溜息をついて尋ねた。
「そういえば、竜お前名前なんていうんだ?」
「えー兄さん、知っているじゃない。そろそろ思い出してよ」
「いや、別人だから」
――それは教える気はないということなのだろう。
そういえば、竜の固体名ってあまり聞かないな。人には名乗る習慣がないのか、あまり口に出さない習慣なのか。どちらにしても、この旅の間だけだし、まあいいか。そう割り切ると、髪をかきながら村を見渡した。
そして気がついた。
あれ? 俺達なにか注目をあびていないか。
村の広場でぐるりと並ぶ商店を見回したのだが、なぜか女の子達がこちらを見ては、頬を染めている。そして隣りに耳を寄せると、何かを話しているではないか。
なんだろう。
俺の顔に何かついているのだろうか。
変だなと思いながら、後ろの竜に尋ねた。
「なんか、さっきから人に見られているみたいなんだが……俺の顔に何かついているか?」
すると面白そうに竜が笑う。
「あはは。そりゃあ人間から見たら、兄さんがかっこいいからだよ。まあ、背が伸びたらすぐに追い抜いてやるけどね」
「はあ? 俺がかっこいい?」
それを言うなら、お前が綺麗だからだろう。だいたい小さい頃は散々女の子みたいな顔だと言われたのに、成長した途端かっこいいとか言われてもびっくりだ。
――あーでも、それなら少しは喜んでもいいのかな?
なにしろ、小さい頃はあんまり女顔と言われるのに腹がたって、剣で筋肉を鍛えまくった。とにかくひ弱に見える体をなんとかしようと、細いが頑張って鍛えて、だいぶ筋肉質になってきたんだ。しかも、ここ数年は成長期で骨格も男らしくなってきて、やっと女の子みたいと言われる回数も激減してきた。
――苦節十数年……! そんな俺にもやっと男として日の当たる人生が!!
やったと拳を握り締める!
「ねえねえ。あそこの二人組みかっこよくない?」
「そうねえ、お兄さんは強そうでかっこいいわよね」
ふっふっふっ、そうだろう。マッチョと比較されるのでなければ、筋肉にはそこそこ自信がある。
「背も高いしねー」
「でも、もう一人はすごい綺麗よね」
「あ、わかる! なんか世の中にこんなに綺麗な人がいるのって息を飲むほどよね?」
その瞬間、折角の膨らんだ自信がぺしっと折れる音がした。
――仕方ないだろう!? 竜と比べるなよ!
思わずがっくりとして溜息と共に振り返る。恨みをこめて見つめたつもりだったのに、店先に並べられたキャンディーの瓶を見つめている竜は、本当に綺麗だ。赤い髪がさらさらと白い肌を彩って、無邪気に赤い瞳が微笑んでいる。
――まあ、人間じゃないしな……
だが、昔の俺とよく似ているんだ。将来はこういう顔になると諦めて、俺で手を打ってくれないだろうか。
「兄さん、これが欲しい」
買ってやると約束した飴の瓶を選んで、笑っている姿は、まだ十四、五ぐらいにしか見えない。
――その年でペロペロキャンディーを選ぶな!
外見を考えろと言いたいが、なぜかその無邪気な表情には違和感がない。
「うーん……でも、やっぱりお兄さんのほうが頼りになりそうかな」
「そうね」
その姿に、周りの女の子達の評価が一変して、俺は上機嫌になった。
――そうだろう。仕方ないさ、こいつはまだ子供なんだ。
「わかった、これだな」
正直財布の中身にはそんなに余裕はないが、これぐらいならなんとかなる。
ちょっとぐらいなら兄の真似事をしてやってもいいか。そう俺は鼻歌を歌うような気分で頷くと、商品の奥に座っている女の子に案内された会計に向かうのに、店の古い樫の木の扉を開いた。
ちりんと扉につけられた鈴が揺れ、開いた雑貨店の中には、色んな商品が所狭しと並べられていた。
村人が日用品を買うのに使っているのだろう。それこそ食料品や封筒やペン、それにお菓子や果物、果ては花の球根や紅茶、箒までも売っている。
机に並べられた安いパンを二つと乾パンを幾つか、そして干し肉やドライフルーツなど日持ちしそうなものを手に取っていく。
横でたくさん並んでいるお菓子に、竜はよだれをたらしそうな顔で目を輝かせているが、あいにく俺の財布にはあまり余分な物を買ってやれるだけの金額がない。
「兄さん、こっちもおいしそうだねえ」
「気になるのならもそっちに変えてもいいぞ?」
だけどどちらか一つならなんとかなる。そう思って告げると、竜はキャンディーの瓶を持って首をぶるぶると振った。
「ううん! やっぱり飴が一番!」
――変な奴。
飴が大好きなんて、竜らしくない。いや――恐怖の対象としての竜らしくないというべきか。
でも、なぜかそんな仕草が心を暖める気がして、ぽんと竜の赤黒い髪に手を置いた。
「わかった。じゃあ一緒に払ってくるよ」
――もし、俺が迷宮を無事に攻略して、課題以外のお宝も手に入れることができたら、またお菓子ぐらいは買ってやってもいいかもしれない。
「兄さん……」
優しそうに見つめる俺の眼差しに気がついたのだろう。頭におかれた手にえへと嬉しそうに笑う竜の手から、キャンディーの瓶を受け取ると、俺は会計の前へと並んだ。
その時、ちりんと鈴が鳴った。
その音に何気なく振り返ると、今扉を開けて入ってきた二人組みの男の姿を見て、俺は固まってしまった。
入ってきたのは、白に近い金髪に緑の瞳の同じ年頃の青年だ。立派な貴族階級のビロードの上着を身に纏い、後ろに連れたお供の壮年の男性と話している。
「うん?」
けれど、その顔が店の中に振り向いた瞬間、俺はしまったと思った。
急いで会計の方を向いて顔を隠そうとするが、残念ながらばっちりと見られていたらしい。
「おーや、職人階級出身のリトムじゃないか」
青年のこちらに向けた言葉に、連れられていたお供の男も、一緒に店の中を見渡してくる。
「こんなところで油を売っていていいのかな? そろそろ留年だろう?故郷からの仕送りの学費は大丈夫なのかい?」
「サリフォン」
うんざりしながら、俺は同じ学年のそいつの名前を口に出した。
「ああ、だから油を売って稼いでいるのかな? 大変だね、売るものが体の油しかないような貧乏な家は」
「おい、取り消せ。俺の親父は普通の靴職人だが、家は別にほかの町住まいの者に比べて貧しいわけじゃないし、母だって立派な職人だ」
体の油を売って生活をしているわけじゃない。
それなのに、サリフォンは俺の反論を鼻で笑った。
「似たようなものだろう!? 今は職人かもしれないが、お前の母親は昔は――」
サリフォンが言いかけた言葉に、思わず側にあった球根を握る。そして口が続けるより早くに投げつけていた。チューリップの球根が見事にサリフォンの頬に当たり、その後に続けようとしていた言葉を黙らせる。
「いたっ!」
「ちょっとお客さん! 売り物で喧嘩しないでください!」
店主が慌てて制止に入るが、そんなことは耳に入らない。
「うるさいんだよ! お前! 入学試験で俺に一番を取られたからっていつまでもねちねちと絡んできやがって!」
「うるさい! 今の学年一位は僕だ! お前に負けたのなんて、ちょっと調子が出なかっただけだ!」
「それならそれでいいだろうが!? 毎年学年最終試験で俺に負け続けたことなんて、すっかり忘れてやるよ!」
「そういうお前の自信家なところが気に喰わないんだ! 単なる町人の子供の癖して、毎年毎年僕を見下しやがって!」
「それなら俺が見下せないぐらい強くなりやがれ! 嫌味ばっかり上達して、それを言う時間だけ剣を握ればいい話だろうが!」
「うるさい! お前自分の生まれをわかっているのか!? 母も貴族の僕にそんな生意気な口をきいて――」
その瞬間、さっきの球根を俺に向かって投げ返された。顔をあからさまに狙ってくるのを、手のひらでばしっと受けとめる。
「しかも勝手に不調に陥って留年寸前にまで落ちぶれやがって! こんな奴に何年も振り回されてきたのかと思うと腹が立つ!」
言葉と共に、ぴしっと指をつきつけられた。
「いいか! お前が僕のライバルだと思えばこそ、お前の母親のことも黙ってやっていた! だけど、もうこんな落ちこぼれに振り回されるのはごめんだ!」
「なにっ、俺が落ちこぼれだと!?」
「そうだろうが! 違うというのなら、ここで証明してみせろ! 僕は必ずお前より先に迷宮のお宝を手に入れてみせる! そして、お前を今度こそ留年させて僕の目の前から消してやる!」
「面白い! できるもんならやってみろ!」
――冗談じゃない!
なんでこんな奴の言いなりにならないといけない!
売り言葉に買い言葉で叫ぶと、俺は会計のできていた商品の金を置いて、ひったくるようにして扉に向かった。
「に、兄さん……」
扉を飛び出した俺の後ろを驚いたように竜が追いかけてくる。だけど、足を緩めるつもりはなかった。
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