フィクションの役割

鶴丸ひろ

プロローグ

フィクションの入り口


 俺は気付いている。

 自分が、物語の中の登場人物であることを。


   * * *


 俺は今、6畳ほどの部屋に1人で立っている。


 ベッドも机も何もない、無機質で静かな部屋。周囲は目に染みるほど真っ白な壁。窓も蛍光灯もないのに、なぜだか部屋は明るい。

 そして俺の真正面には、仰々しい装飾がされた大きなとびらがある。


 ここは、フィクションの世界のひかしつ

 ドラマやバラエティの撮影をするとき、出演者が待機する部屋のことを控え室と言うけれど、俺がいるこの部屋も、つまりはそういうこと。


 例えフィクションの物語だったとしても、本番に入る前の登場人物はこうして控え室で自分の出番を待たなければならない。それは、別にこの物語に限らない。小説やドラマなどのフィクションの世界には、すべからくこの部屋が存在している。


 そして今まさに、俺は物語が始まるのを待っている。


 俺の名前は田中たなか裕介ゆうすけ。20歳。

 つり目、短髪、中肉中背。運動は可もなく不可もなく。勉強も可もなく不可もなく。極めて平凡な人間だと自負している。

 今回の物語で、主人公を務めさせてもらうことになった。


 けれど、俺が何をしたら良いのかは知らない。何も聞かされていないのだ。

 この作品がどんな物語なのか、ジャンルが何か、自分以外の登場人物がどのくらいいるのか。


 せっかく主人公として物語に参加できるのに、こんな仕打ちはないと思う。どんなフィクションの物語だって、異世界で勇者になって悪をばっさばっさと倒したりとか、名探偵として難事件を次々解決したりとか、そういうとかあるだろうに、俺には何も用意されていない。要するに自分1人で何とかしろ、ということらしい。むちゃぶりもいいところだ。


 だいたい、いつになったら物語が始まるのだろう。

 辺りを見渡しても、誰もいないものだから聞くこともできない。



 ちゃりん、と背後から音がした。


 振り返ると、大きなリングが通ったかぎが落ちていた。たぶん、目の前にある扉の鍵だろう。リングに通されたタグには、こう書かれている。


『——の役割』


 ——ん?

 役割、の前には、何かしらの文字が書かれていたようだが、削られているのか、文字を読み取ることはできない。

 ……やくわり?

 どういうことなのだろう。この作品のタイトルなのだろうか。それとも、この鍵が何かしらの役割を担っているという意味だろうか。


 よくわからない。


 よくわからないけれど、とりあえず鍵を手に入れてしまった。どうやら俺は今から物語を始めなくてはならないようだ。


「……ふう、」


 小さく息を吐き、仰々しいほどの装飾がされた扉をにらみつけた。この向こう側に、俺の物語が待っている。


 絶対に、面白い作品にしたい。俺が主人公なのだから、この作品を後世にまで残るような面白いものにしてやりたい。

 俺にしかできない物語を、作りたいのだ。


 パチン、と両頬を叩く。


「——よし、」


 気合いを入れて、俺は拾った鍵を差し込んだ。

 ガチャリ、と重々しい音がして、解錠される。


 ノブをひねる。


 重装な扉が、油の足りない音を立てて、開く。物語の始まる音がする。

 光が、漏れる——

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