呪い
この町は、呪われている。
どうしてそう思うのか、詳しい理由なんてものはない。けれど呪いなんて概念を知らなかった頃から、どうにも無視できない仄暗い違和感を、ずっと抱いてきた。でもこの町の住人は、それを知らない。呪われているのに、この町で生まれ、この町で生き、この町で死んでいく。きっとこの町の住人である事をやめるには、呪いに気付かなければいけないのだろう。
違和感を呪いと呼ぶに至ったのは、たった少しのきっかけだった。そう、誰も気付かないかもしれない、ほんの些細な、けれど重大な、きっかけ。兄が死んだから、私はこの町に潜む違和感を呪いと呼ぶ事にした。兄は自殺なんかじゃない。この町の呪いに、この町に殺されたのだ。
この町には、なんでもある。ここで生まれ、ここで生き、そしてここで死ぬのに、なんら、何一つだって不自由しない。都会ではないけれど、田舎というには栄えている。交通の便もいい。けれどなにもない。死んだように生きる町だ。昼は会社勤めの人や学生、夜は水商売の男女が闊歩する。会社も多く、飲み屋も多い、どう働くにも困らない町だ。だけど呪われている。きっと何人も、とり殺されたのだろう。兄のように。あの優しかった、兄のように。
私はこの町で生まれていないから、歪みが良く見える。両親が出会いの地であるこの場所に家を買って、当然兄も私も生まれた土地から離れた。この町に来てから、段々と、我が家の歯車が狂い出した。父がクビを切られ、看護師の収入で我が家の経済を支えていた母は、私たちに愛想を尽かして、お医者様とこの町から出て行った。
まだ幼かった私を、兄は母の代わりとでも言うように、慈しんで育ててくれた。父はこの町の呪いにやられて、酒に浸るようになっていた。母から振り込まれる養育費と、兄が高校を中退してまで稼いでくるお金で、私たちは生きていた。傷心の父は固定資産税も払えなくなった。兄は、日に日に窶れていった。
「お前はきちんと勉強しなさい」
私が働くと言い出すと、いつも口癖のように窘められた。お前も父さんも逃げているのだと。そんな言葉も聞こえていたのだろう、父はたまに兄を殴るようになっていた。
成長とともに、私の視力は冴え渡り、この町の呪いが見えるようになった。母がたまに会いに来る時、父が酒を飲んでいる時、黒い霧のようなものがかかって、どんな表情をしているのかわからない。兄は、厳しくも優しい兄だけは、その霧がかかる時はなかった。いつも笑っていた。
兄は、首を吊って死んだ。三通の遺書を遺して。私にはそのどれも、霧が邪魔で見えなかった。そして、見てしまった、火葬炉に入れる直前、兄の耳から夥しい量の黒い霧が出てくるのを。兄は呪いに感染していたのだ。誰よりも強く、深いところまで。それを見て以降、黒い霧はいろいろな人の顔にまとわりついて、私には人の顔がわからなくなった。当然母は私を心配して、医者に見せた。
お兄さんが首を吊っているところを一番に見たんです、精神的なものでしょう。時間をかけなければ、時間ですよ、お母さん。
「私は、病気なんかじゃない!」
いや、そうだね、病気じゃないよ。ただ君は、少し参ってしまっているだけなんだ。そういうのは誰にだって訪れるんだよ。
「違う違う! 見えるの。あれはこの町の、この町の呪いなの。この町が呪われてるから、お母さんは出て行った。お父さんは仕事がダメになった。この町の呪いのせいで、お兄ちゃんは死んだの!」
……お母さん、これは、思ったより深刻かもしれません。
「なんで見えないの? あなたの顔の前にもこんなに、黒い霧が、お兄ちゃんの」
美保……。ごめんね、お母さんのせいで。
「違う、誰も悪くない! この町が悪いの! じゃないと私、私……」
結果、私には馬鹿みたいに白い薬が三種類出された。みんなを安心させるために飲んだけれど、まだ見える。黒い霧。もう私には、声すらまともには聞こえない。
この町は呪われている。私にはそれがわかる。兄を殺した呪いが、私をもとり殺そうとしているのがわかる。きっと兄にも、黒い霧が見えたんだ。
……本当に、呪われているのはこの町なんだろうか。もしかしたら呪われているのは、町ではないのかもしれない。黒い霧がどこから来るのか、もうわからない。するする人のように歩く影が、
「あれ、見えない」
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