掌編

日曜ヶ原ようこそ

形状記憶秒針

※本作は〈オルタナキュレーション惑星と口笛〉主催「ブンゲイファイトクラブ2」への応募作です。予選敗退。


  1


 青人草は絶えにけり。メソピソとヒツナは繁栄を窮めたおのが子孫たちがひとり残らず死に絶えたのを確認すると枕のきざはしに立った。

 天の鍵盤のうち夜の一音がいつまでも鳴らされている場所である。ヒツナは夜の音楽室をめぐる怪談を聞いたことがあった。コンクールを前に死んだ少女が、ピアノの弾き方を思い出せないまま、ただ一音をいつまでも叩き続けているという内容の話だった。

 その長い生涯のはじまり二人は奴隷であった。記憶の底に微茫と霞むその出自は二人にとってわが身の現に経験したことというよりは物語のうちの出来事かに感じられた。

 その物語のなかで二人に逃亡を決意させたものは磨き込まれた鉄の剣の輝きであった。雹に驚いた馬に蹴られて死んだ坊っちゃんの遺骸から盗んだものだった。二人はその刀身ほどなめらかに光るものを他に見たことがなかった。向かい合って剣を見つめ、おのおのが一人ずつこれを突き立てるべき者の名を挙げ、そしてそうした。

 二人が刃を見つめていたのは薄霧の日のことだったが、彼らが逃亡のさなか峠から見下ろした都もまた薄霧に半ば沈んでいた。夕陽が霧を染めていた。それは剣を見ながらあのとき彼らが心に思い描いた色のように鮮やかだった。


   2


 一族のものはみな殺された。俺たちが殺されれば根絶やしだ。何度でもこうなる。神話の時代から俺たちは幾度となく滅ぼされかけてきた。そのたびごとに二人だけが生き残ってワートを繋いだ。これはきっと俺たちを滅ぼそうとする神がいて、それから俺たちのせめて二人でも助けようとする神がいるせいでこうなるのだろう。だがその名ももう忘れられてしまった。

 最後の二人は必ず逃げ延びる、だから俺たちは助かる。折しも深い霧が水産みの山から下りてきた。この霧にまぎれて俺たちは逃げる。

 鉄の刃の煌めきを挟んで俺たちは向かい合う。二百人の衛生警察隊が黒毛の犬たちを連れて俺たちを追っている。彼らの血を泳いで俺たちは逃げ延び、千億年の先までワートを繋ぐだろう。


   3


 冷たく固いセキセイインコの亡骸を握りしめて踏切を超えた。ここから先は学校の管轄を超えて法もない。曽根枝そねえださんに復讐した。私は峠に向かうしかない。夜の向こうに広がる夜のなかへ。

西祖野にしぞの、待って」負島おうしまが言った。「やっぱり無理だよ。おとなしく死刑になろう。ちょっと一瞬ばちっとするのを我慢したら、終わりだよ。峠に行ったら、死ぬこともできなくなっちゃうかもしれないんだよ」

「じゃあ一人で帰って。私はまだ死にたくない」

「西祖野、戻ってきて。ただ死ぬだけだよ、いいじゃん、何も失わないじゃん、何がいけないのさ」

「私は行く」

「ああもう」負島がナイフを取り出す。街の果ての光に燦めいている。

「あんな霧の向こうに消えるなら、ここで死んでよ。大切に隠してあいつらの手に残らないようにするからさ。それでいいでしょ?」


 西祖野はナイフを引っこ抜くと負島の赤とネイビーのTシャツで血と脂をぬぐった。鈍い輝きにじっと見入る。その向こうで、負島も濁った血を吹き出しながら光を凝視していた。

 負島が息絶えると西祖野は霧の向こう、山道の入口となる石段のほうへ歩きはじめた。


   4


 今日がいつまでも続けばいいのに。一億年以上が過ぎて、私たちはふたたび起動することができた。これが最後になるだろう。

「久しぶりですね」「そうですね」「星ですね」「星です」「静かになりました」「とても」「かなしいですか?」「いいえ、また起動できてうれしいです」「うれしいですね」「そう」

 峠のまわりはみな霧に沈んでいた。この星と、ここから観測可能な全ての空間内に、私たち以外の誰かがいることはありえない。それは三億年前から、未来永劫に明らかな帰結として確かめられていたことだった。

「私たちに残された役目、それは、忘れること、瞼を閉ざすことだけだと思います。それは、なんという大仕事でしょうか。私たちの前にいた、すべての皆さんが、一人ひとり、その仕事を成してきました。今や、私たちも加わるときです」

「そうですね……」

 私はずっと保存してきた先人たちの最後の形見、一本の短剣を取り出した。

「お疲れさまでした、長い、長い間」

「お疲れさまでした」

 私たちは顔を向かい合わせて、その輝きをしばらく見つめた。

 そして目を閉じることに決めた。


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