第3話:地蔵ミサイル

 マグロオオオオオ。マグロたちが叫びながら空を飛ぶ。月すら隠す大群。


 冗談じゃない。ファンタジーじゃない。

 現実だ。


 マグロが現実に空を飛んでいる。


 すでにあたりでは騒ぎが起きていた。マグロが! 見てマグロが! そういう叫びがそこかしこから聞こえてくる。マグロの叫び声を聞きつけたらしい。

 みか姉も車内からおれに呼びかける。


「ねえ、あれ! モンスターだよ! トビマグロっていう!」

 一方、おれはとても冷静じゃなかった。戦場と化した道路上でうろうろするばかり。


 ピッ。

 1匹のトビマグロがおれのすぐ横をかすめていった。遅れて痛みが来る。


「いてっ」

 手を当てると、ワイシャツの前がぱっくり切れていた。血も出てる。


 やべえ、やべえぞ。

 退魔なんて無理だろ。


 トビマグロはざっと100匹以上いる。丸々と太っていて、市場に卸したら1匹1億円くらい行きそうな感じ。そんなのが抵抗の少ない空気を進めばどうなるか。

 刃だ。刃が渦巻いている。


 マグロオオ。マグロオオオオ。トビマグロの群れがうねる。まるで念仏の大合唱。音が質量を持って迫ってくる。

 ぐるぐると高速でおれたちの周囲を飛び回るトビマグロがいつおれたちに向かってくるか、わかったもんじゃない。おれはもう逃げ腰。


 ギョロリ。

 群れの一匹がおれたちに目を向けた。

(やばい)

 危険を肌で感じた。


 次の瞬間、1匹のトビマグロがみか姉の車に突っ込んできた。危ない!

「みか姉!」

 あわや衝突という瞬間、少女が動いていた。手斧で鮮やかな軌跡を描いてトビマグロを切断。ここはわたしが。そういう眼差しでおれを見る。


(逃げたいのは山々なんだけど)


 おれにも事情がある。店の経営状態も事情のひとつ。

 そしてなにより。

 親父のがんを治療したい。

 だけど。


(どうやって戦えばいいんだよ?)

 おれはポケットを漁る。なにか入っていた。えいっと取り出す。


 アイテム:クッキー


「明らかに攻撃力ゼロおおおおお!」

 おれは絶望のあまり絶叫した。


 絶叫する。絶叫して気付く。

 足元に変な生き物が、いる。顔の濃いウサギが。


「うー、うー」


 ウサギはテコテコ歩きながらあぜ道から林のなかへ。入ろうとして振り返る。おれを見て、首を傾げた。来ないの? そういう顔だ。


(来いって?)

 不意に親父の言っていたことを思い出す。


 ――仏さまってのは入力と出力を担う端末なんだな。で、それにお供え物をするといろいろ返ってくるわけだ。おまえは得意の料理で後方から支援しろ。難しい話じゃないだろ?


 むかし、このあたりで遊んだことがある。

(たしかこの先にお地蔵さまがあったよな?)


 おれはクッキーを握りしめ、そして戦場を振り返る。

 少女が一人、トビマグロと戦っていた。


 魚市場と同じくらい生臭い空気が漂う。耕作放棄地に散乱する肉片。トビマグロの一部が地面に顔を突っ込んで直立する光景はシュールですらある。

 戦況は拮抗。

 少女はトビマグロの大群を相手に決して後れを取っていない。手斧一本で渡り合う。

 だけど。


(だけど一人で戦わせるのはないよな)


 そう思う。

 そう思うから戦場を背にして駆け出した。

 少女を後方から支援するために。


 林のなかは一層、暗い。子どものころとは印象がちがった。光が絶えた林は人を拒絶しているかのよう。時おり、ささくれ立った枝がおれの体を刺した。


 痛い、痛い。泣き言を言いながらおれは進む。

 かつては林道が整備されていた。いまは獣道のように見えずらい。


古宇こう、これ使って」

 みか姉が追ってきて懐中電灯を渡す。パッ。鋭い光が足元を明るくした。かすかに道が見える。おれは、人がかつて歩いた跡を足裏で感じながらウサギを追った。


「おい、どこまで行くんだよ?」

 返事はない。ウサギは無言で林道を行く。


 不意に視界が開けた。

 池だ。黒々とした水面は恐ろしいほど静か。波一つ立っていない。

 

 ここは本来、子どもにとって立ち入りが禁止された場所だ。たぶん、いまもそうだと思う。

 なぜかというと、池で遊ぶ子どもが時おり溺死するからだ。そうした事故がむかしから絶えないらしい。事故が起きるたびに禁止令が出され、事故の記憶が薄らいだころにまた事故が起きる。


 ここに立つお地蔵さまは、慰霊のため置かれたという。子どもを亡くした親たちが、ひとつ、またひとつと、増やしていった。結果、お地蔵さまの数は目がくらむほどに。


 ウサギが案内したのもそのひとつ。

 むかし、ここに来たときはわからなかった。お地蔵さまの意味が。なぜ、こんなにもたくさんあるのかが。いまは集積された死が迫ってくるようで落ち着かない。


「えっと。とりあえずお供えすればいいのかな?」


 おれはお地蔵さまの前にクッキーを置いた。

 手を合わせる。祈る。


 すると。

 お地蔵さまの口からよだれらしき水滴が垂れてきた。よく見ようとしたとき、口が大きく開いてクッキーを袋ごと飲み込む。危うくいっしょに食われるところだった。

 ボリボリ。すごい音を立てながら頬張る。

 そしてニッコリと笑った。


(お地蔵さまが笑った)

 次の瞬間、お地蔵さまが信じられないくらいの大口を開ける。


 ぐ、

 ぱあ。


 口の奥からミサイルが飛び出した。

 ブースター点火。すさまじい噴射炎が吐き出された。

「うわー」

 衝撃でおれは吹っ飛ばされる。


 気が付いたとき、おれは空にあった。

 いつの間にか空は晴れて、整然と描かれた星座が見事だ。

 おれは空を飛ぶ。高速で飛ぶ。

 視界にはなにやら数字が浮かんでいた。


(これって高度計?)


 地表から200メートルの高さにあるらしい。視界の高さが裏付ける。

 どういうこと?

 

 混乱するなか、飛行は順調に推移。ブースター、切り離しに成功。降下。レーザー照射、目標を確認する。トビマグロの一群を目指す。

(わかった)

 おれ、ミサイルの目に同調してるんだ。


 理解すると同時に視界に浮かぶ情報は密度を増す。

 戦場の様子を表示。少女がひとりで健闘している。が、トビマグロは大群だ。ひとりでなんとかできる数じゃない。加勢が必要だ。ミサイルが1発でもきっと役立つ。


「行くぞ!」

 おれは加速、トビマグロの群れに突っ込む。もっとも効果の高いポイントで爆発。破片をまき散らした。トビマグロたちをズタズタに切り裂いてゆく。


「いまだ!」


 おれの声が届いたのかはわからないが、少女が一気に走り出した。土煙を上げながら手斧で耕作放棄地を切り裂いてゆく。大地の裂け目が広がる。広がる。

 裂け目でなにかが見えた。

 地面の下でうごめくモノが、いる。


 少女が、止まった。

 トビマグロの群れを前に言う。ポツリと。


蛇神展開たすけて


 少女の声に大地が反応する。裂け目から次々と大蛇が飛び出してきた。でかい。視界一杯が大蛇で満たされる。

 おれは感嘆のあまり変な声が出た。

「圧倒的じゃないか」


 数的優位は完全に少女へ傾く。圧倒的、圧倒的な数の前にトビマグロは押しつぶされてゆく。大蛇たちの攻撃はただただ暴力だった。切って、叩いて、つぶして、食って、散らかして、トビマグロを皆殺しに。

 戦闘はあっけなく終わる。


 見届けて、少女は力尽きたように倒れた。



 トントントン。台所から小気味よい音が聞こえてくる。みか姉が包丁でトビマグロの肉を切っている音だ。


 おれとみか姉は、少女をおれの家まで運んだ。

 少女は意識を失ったままだ。熱がかなりあるらしく、熱冷ましのシートをおでこに貼っておいた。ないよりはマシだろう。2階にあるおれの部屋で寝かせた。


 おれとみか姉は居間へ移動。みか姉がトビマグロを使った料理を作るというので任せていた。正直、おれもかなり疲れていて、料理をする気力がない。だらしなくちゃぶ台に体を預けて、みか姉の手際を眺める。

 みか姉は栄養士の資格があり、料理はかなりの腕前だ。なにができ上るのかマジで楽しみ。


 それとは別に、この家で女性が台所に立つのは久しぶりのことだ。なんとなく思い出す。母さんは不器用な人だったが、一生懸命母親をやってくれた。

 女性が台所に立つ姿をイイと思ってしまうおれ、たぶんマザコンです。


 という告白を内心で済ませたところで料理が運ばれてきた。


 漬けマグロのどんぶりだった。それだけじゃなく、冷蔵庫に余っていた物をぶっこんである。

 長ネギ、大葉、みょうが、なめこ、めかぶ、と薬味を利かせたネバネバ料理だ。


(これは力が付きそう)

 というのが第一印象。なぞの疲れに襲われたおれにぴったりかもしれない。


「さ、食べよ食べよ」

 みか姉は笑顔でうながす。

 いただきまーす。おれたちは手を合わせて食事を始める。


「うまっ」

 おれは素直な感想を口にする。

 味付けはめんつゆで。そこにわさびも追加してあった。ツーンとした香りがマグロとその他の食材を引き立てる。ごはんが進む。


 ガツガツガツ。おれはマグロ丼をかき込んでゆく。美味い、美味いよ、とみか姉への賛辞も忘れない。

「疲れてるときは効くでしょー? ふふ」

 みか姉はおれの食いっぷりにご満悦。

 自分もマグロ丼を食べながら今日を振り返る。


「いろんなことあったよねー」

「うん、たしかに」

「女の子が落ちてきたかと思ったらさー。バトルでしょ? アタシはついていけなかったよ。お地蔵さまがミサイルなんか吐き出すし」


 でさあ。みか姉は2階を見上げる。


「あの女の子ってなんなの? 古宇≪こう≫は知ってるっぽかったけど?」

「ああ、それなんだけど」


 おれは数年前、少女と出会っていたことを話した。

 へー。話を聞いたみか姉はいたずらっぽく笑う。


「初恋の子かあ。そんな子が成長して現れたらねえ。しかも暗くてよくわからなかったけど、たぶんすごいきれいな子じゃない? アタシじゃかなわないなあ」

「な、なんだよ、それ。みか姉はおれにとって大事な人だよ」

「ふーん?」


 みか姉は意外な方向から攻めてきた。

「大事とか言いながらアタシのクッキー、お地蔵さまにあげちゃったじゃない。古宇に食べてほしくて作ったんだけどなー」

「いやっ、それは」


 おれは狼狽した。

 ここでそれを言う? あのときは仕方なかったじゃないか!


「あーあ」

 みか姉はぼやくように言いながら攻撃をやめない。

「あの状況じゃ仕方ないのはわかるよ。だけどねー。ためらい、全然なかったじゃない。ノータイムだったよねー。初恋の子を助けるためなら、そりゃあ、迷う余裕なんかないよねー」


 うわああ、だれか助けてくれ。

 おれが心のなかでSOSを出したとき。


 話題の少女が2階から降りてきた。ぺリペリペリ。おでこのシートをはがしながらやってくる。

 顔色は良い。


「倒れてしまったようで。まずは助けていただいたことを感謝します」


 少女はおれとみか姉の前に座り、深々と頭を下げる。

 いや、とおれは顔を上げるように言う。


「助けてもらったのはおれたちのほうだし。きみがいなかったらヤバかったよ。ありがとう」

「いえ、わたしは仕事を果たしたまでです」

 顔を上げて少女は淡々と答えた。


 明るい場所で見てみると、美しい少女だと改めて思う。特に目がきれいだ。メタリックな色彩と言うんだろうか。数年前と同じ印象だ。鉱物のように神秘を秘めた眼差し。


 おっと、いけない。吸い込まれそうになった。

 まずは聞きたいことがある。


「えっと、きみは一体だれなの? なんで助けてくれたの?」

「わたしは一之瀬雫那いちのせしずな。あなたのお父さん、升明ますあきさんを助けるために来ました」

「親父を? 親父は東京からお客さんが来るって言ってたけど、それってきみのこと?」

「そうだと思います」

 ついては。少女――一之瀬雫那はまた頭を下げる。


「ここに住まわせていただきます」


 ぶはっ。

 おれはびっくりして噴出した。


「ちょっと汚い」

 みか姉が文句を言う。

 当然の反応だが、かまっている余裕はない。


「住む? ここに? なんで?」

「今回の戦いがそうだったように退魔において料理は極めて重要な要素なのです。人は仏に料理を捧げる。仏は力を貸す。入力と出力。重火器だって出してくれます。升明さんによれば、あなたは仏を探し出すことができるのだと」

「うん、まあ、そうみたいだけど」


 指摘すべきだろうか。顔にごはんつぶ付いてます、と。

 真面目な顔で説明されている手前、ちょっと言いにくい雰囲気だ。完全におれのせいだし。


 キリッとした表情を崩さず少女は語る。


「まずはこの町にある仏について入念に調べる必要があります。また、どんな料理を仏に捧げればいいのか、打ち合わせも必要でしょう。試食ももちろんしておきたい。となると、わたしがここに住むのが一番です」

「確認したいんだけど、きみの目的っておれの親父のがんを治すこと?」

「です」

「だとしたら、おれとしては異存はないよ。うん、ない。これからよろしく、かな?」

「はい」


 しかしです。少女は目を細める。


「あなたの料理の腕が升明さんに比べてどうなのか。確認する必要があります。詳しい話はそれからです」

「いま?」

「いまです。決してわたしがお腹を空かせているわけではありません。これは仕事。わたしの仕事のため。あなたの仕事を確認するため」

「し、仕事?」


 そうです。少女が迫る。

「さあ、仕事の時間です」


 クールな表情をごはんつぶが台無しにしていた。

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