第1話 楢崎孝太郎、アイドルにはまる
目付きは悪いが優しい家族で近所に知られている楢崎家に生まれた俺は三人兄弟の末っ子として可愛がられながら育てられた。しかしその期間は長くは続かなかった。
五歳。妹が産まれ、俺に対する可愛いがられ期間が終了し、全て妹に向けられる。
六歳から十二歳。兄と姉による理不尽過ぎる暴力(兄・姉曰くありがたい人生指導)に襲われる。結果的に身体・精神ともに逞しく育つ。
十三歳から十七歳。反抗期突入。グレようと決心するがどうすればよいのかわからなかったのでとりあえず金髪にしてみると兄と姉と妹にいじられ、両親には怒られてかなりへこむ。
金髪で目付きが悪いため怖がられたり、喧嘩を売られたりするがそれなりの学生生活を謳歌する。
十八歳。大学進学するためグレるのをいったん中断し、勉強に専念をする。結果、志望校に合格し見事大学に進学する。
兄は結婚し実家を離れるが、未婚の姉は実家住まいのまま飲酒大好きウーマンになる。妹は反抗期へ。
十九歳、ここが人生の転機。友人が大ファンだというアイドルのライブに誘われ、人生初のライブに行く。
□
一枚も葉がない木々が冬の冷たい風に吹かれて揺れているのが窓から見える。
外を歩いている男子学生も冷たい風に当てられ足早に校舎に向かっている。
暖房の効いた大学の一室。俺以外誰もおらず、暖房が起動している音とキーボードを叩く音しか聞こえない。
三日後に提出しないといけない課題があったのだが、休日はゴロゴロしていて一切手を付けていなかった。だから今こうして空き時間に一人黙々と課題に取り組んでいる。
結構いいペースで課題が進んだので一息入れようとした時、教室の扉が開いた。
扉を開けた人物を目で追うと大学で数少ない友人と呼べる一人の山田だった。山田は俺を見つけると走って近づいてきた。
「おい楢崎、これなんだと思う?」
興奮した様子で山田は二枚の紙を見せてきた。山田のテンションの高さに少し引いている。
「何って……チケットだろ。見りゃわかる」
どこにでもありそうな普通のチケットだ。それが何なのだろうか。
もしかして、このチケットでどこかのレジャースポットにでも行って最近できた彼女と楽しい時間を過ごす自慢でもしに来たのだろうか。だとしたら破り捨ててやる。
こっちは彼女もいないのに加えて、課題で忙しいのによ。
「そうチケット! じゃあ何のチケットだ?」
そう言って山田は勢いよくチケットを机に置いた。バンッという音が部屋中に響く。
「えーとなになに。“ミラクルlive”? あー来週テレビでやるやつか」
今テレビを見ていると必ずと言っていいほどこのミラクルliveのCMが流れているから嫌でも目に入ってくる。この単語を聞かない日はないくらいだ。
「そう! その年のNo.1アイドルを決めるライブだよ。そのライブのチケットが今ここにあるんだよ!」
「そんなにすごいのか、このチケット?」
机に置かれた二枚のチケットを手に取り、ひらひらと振る。
「おいおいおいっ!! そんな紙みたいに扱うなよ。もっと丁寧に扱ってくれ」
いや紙みたいじゃなくて紙じゃん。それにお前だって数十秒前にチケットを机に叩きつけていたじゃないかという言葉が口から出そうになったが、面倒なことになりそうだったので飲み込む。
「このチケットはそりゃもうすごいチケットなんだよ。全国何万とあるアイドルユニットから厳しい予選を勝ち抜いてきた50のアイドルユニットがさらにしのぎを削ってようやく立てるステージがこの決勝の舞台、ミラクルliveなんだ!
そしてこのライブで優勝することは全てのアイドルユニットの夢でもあるんだ!」
「へーすげーな」
山田の熱い説明から凄いライブというのはミラクルliveの知識が全くない俺でもわかった。山田の熱で暖房がいらないくらいだ。
「それに今回はあの“Forte《フォルテ》”が出場するからいつも以上にチケットの倍率半端ないし」
「あーそのグループなら知ってるぞ。最近よく見るアイドルだ」
アイドルとかにも興味がない俺でもForteは知っている。何故なら今のアイドルブームのトップを走っているからだ。
テレビや雑誌に出まくり、街を歩けばポスターやらなんやらがいたるところに貼ってある。
外に一歩でも出ればForteを見ない日がないほどだ。通学に使う電車の中でもForteの広告だらけだ。
「
「Forteが出るのか……ちょっと興味があるな」
「でしょ! だから一緒に行こうよ」
「なんで俺なんだよ? 彼女誘えよ。俺課題があるし」
今は目の前の課題を終わらせるのが先だ。Forteや他のアイドルはテレビを点ければいつでも見ることができるが、単位はテレビを点けても落とすだけだ。
「花子には俺がアイドル好きなのは隠してるんだ。だから友達と一緒に遊ぶっていうアリバイ作りに付き合って欲しいんだ。課題は俺が手伝ってあげるから」
「俺Forteの曲どころか出演するアイドルの曲たぶん一曲も知らないぞ」
「そんなの勢いで大丈夫だよ」
「何が大丈夫なんだ?」
「とにかく一緒に行こう。頼めるの楢崎だけだし、絶対にこのライブ行きたいんだ。この通り!」
頭を深々と下げる山田。何でここまで熱心に俺を誘うのかわからないが、こうも誘われては行かないとは言いにくい。
まあここ最近課題ばかりで楽しいことがなかったし行ってみてもいいかな。
「……わかった行くよ。行くからこの課題手伝ってくれ」
「もちろん!」
頭を上げると今までで見たことないくらいのいい笑顔で返事をくれた山田。
帰りにCD買っていこうかな。Forteの曲だけでもライブまでに少しくらいは覚えいこう。
「あ、ごめん。言い忘れてたけど会場に朝六時までには着きたいからそこまでの車の運転よろしくね、楢崎」
「早過ぎだろ。運動部の朝練かよ」
「運動? まあある意味そうかもね」
「どういう意味だ?」
「それはライブ当日のお楽しみだよ」
朝早いのは苦手だから、さっそく行きたくなくなってきてしまった。
◆
ミラクルlive当日。山田は彼女に今日は俺と二人で旅行へ行くことになっているらしい。こんな朝早くから男二人旅とか……悲しすぎるだろ。
グッズを必ず手に入れたいのと駐車場が混むという理由で日が昇っていない時間から出発した。
結果、スムーズに車を駐車でき山田もお目当てのグッズを手に入れることができてご満悦だった。
俺はというとサイリウムを購入した。サイリウムはいろんな色で光る棒でこれがあるとライブが楽しめるらしい。
開場時間に近づくと会場の辺り一帯は見渡す限りファン。駐車場も満車状態。山田のアドバイス通り、早く会場に着いて正解だった。
会場に入り、チケットで席番号を確認する。俺たちの席はステージからまあまあ近い。
まだライブが始まっていないのに会場はライブ前のワクワク感からなのか盛り上がっている。山田はブツブツ何か言いながらサイリウムの準備を行っている。
俺も人生初のライブに気分が高揚しているのか喉が乾いてきた。
開演時刻が近くなり、会場が暗転し始めた。
「「うわっーーーーーーーー!!」」
「おおっ! な、なんだ」
暗転と同時に大きな歓声が会場中に響き渡る。
あまりの歓声の大きさと隣の山田の今まで聞いたことのない高い声に思わずビビってしまった。山田ってこんな声出せるのか。
山田に気を取られていると会場全体がサイリウムの様々な色の光が会場を染めていく。
「す、すっげー」
暗い会場内で一斉に光り輝くサイリウムに思わず見入ってしまった。カラフルな光の海の中にいるような錯覚さえ起きてしまう。
写真を撮りたいが、撮影は禁止なので心のシャッターを押しておく。
「何してるの楢崎? サイリウム準備しないと」
「えっ……あ、そうだな」
やべっ。さっきから驚きっぱなしで何もしていない。慌ててサイリウムのスイッチを入れる。
そしていよいよ、ライブが開演する。どうしよ……興奮してきたぞ。
◆
開演して2時間くらいが経過し今は休憩タイム。タオルで汗を拭き、事前に買っておいたスポーツ飲料を飲んで喉を潤す。あー生き返る。
この2時間くらい楽しくて仕方ない。
ライブの音やファンの歓声が大きいのだがうるさいと感じるのではなく、胸や腹にズドンと響いてくる感じだ。
最初はサイリウムをどう振るのかとかわからなかったが、山田や周りの人を見て何となく振り方を覚えた。
結構振ってきたので、腕や肩が疲れるかなと思ったがそれよりも楽しさが上回るのでまったく疲れていない。
たぶん明日とかにこの疲れは一気にやってくるんだろうな。
ライブってここまで面白いものなんだな。曲とかはあまりわからないけど楽しめるし、一曲ごとに会場全体が一体となって盛り上がるのは何かこう胸を打つものがある。
そんで何よりもアイドル全員可愛い。どのユニットもものすごく可愛い。
あんなに可愛い女の子たちは今までの人生で俺の身の回りにはいなかったぞ。いたのは酒飲み暴力独身ババアの姉貴となんか怖い妹くらいだ。
「……山田。今日誘ってくれてありがとな。今、超楽しいよ」
こんなにも楽しいことを体験させてくれたことにお礼を言うと、山田は汗を首かけているタオルで拭いながら微笑んだ。
「はは、どういたしまして。楢崎が楽しんでくれてるようで俺も嬉しいよ。……でもまだだよ楢崎。まだForteが出番が残ってるよ」
「おお、そういえばそうだった」
「Forte見たらたぶん驚くよ」
「マジで?」
「うんマジで」
ここまででも驚きっぱなしなのに、さらに驚くくらいの衝撃なのかForteって。楽しみだ。
◆
休憩時間も終わり、注目ユニットが続々登場。
会場のボルテージも常に上がりっぱなしで頂点がないみたいだ。そして楽しい時間はあっという間に経過し、ライブも終盤を迎えた。
『さあいよいよ今人気No.1アイドルユニット、Forteの登場です!』
「「うわっっっっーーーーーーーーーーーーー!!」」
司会の女性の紹介とともにForteが登場すると、地響きと聞き間違えるくらいの大きな歓声が起きる。
今まで出てきたアイドルたちとの歓声の質が違う。サッカーのW杯で点が入った時の盛り上がりみたいだ。
司会の人が何かを言っているが何を言っているのか聞き取れない。
ようやく歓声が落ち着くと、赤色がかった綺麗な長髪の女の子が息を大きく吸い込みマイクに叫ぶ。
『みなさーん、こんばんはっー!』
「「こんばんはーーーーーーー!!」」
Forteのリーダー“天崎かおる”の挨拶で会場がさらに盛り上がる。
す、すげー本物だ。テレビで見た人だ。普段見ている有名人が今目の前にいることにものすごく感動している。
やっべーForteのメンバー全員テレビで見るより数段可愛いじゃないか。これはファンになってしまうな。
『まだまだライブはこれからだから楽しんでいってねー!』
「「うおっーーーーーーーーーーーーー!!」」
『それじゃーーいっくよー!』
天崎かおるの元気な掛け声とともにForteの曲が流れ始めた瞬間、会場の空気が一変した。
そして俺はこのForteのライブを見て、ある決心をする。
◆
『以上を持ちまして、第5回ミラクルliveを終了とさせていただきます。ご来場の皆さま、お忘れ物をなさらないように今一度ご確認をよろしくお願いいたします。なお――』
ミラクルliveも終了し、多くの人が各々の帰路につき始めていた。
俺たちは俺の車がある駐車場までの道のりをライブの感想を言い合いながらゆっくり歩いていた。
「いやー最高だったね楢崎」
「…………ああ」
「どのアイドルもよかったけど、やっぱり優勝はForteだったね。まあ、ずば抜けてたしね」
「…………ああ」
「かおるちゃんの笑顔最高だったねー。あと照さんと紅子様のサビ部分の伸び具合とかも耳が幸せになるよね」
「…………ああ」
「それと梨花ちゃんのカメラ目線ウインク! あれヤバかったよね倒れるかと思ったよ。そうだヤバかったと言えば、マリカちゃんのダンスさ、キレキレだったよね。なんかシュバシュバって風を切る音が聞こえたよ」
「…………ああ」
「どうしたどうした? こういう時はほら、俺みたいに楢崎も今の高まる気持ちを思う存分ぶちまけていいんだよ、さあ」
「……そうだな。……………………山田、俺な」
「うんうんどうした言うてみ言うてみ」
「俺、卒業したらアイドルの事務所で働くわ」
「うんうんそうか。アイドルの事務所ちゃんね、最高だったよね………ってえええええ! えっ、ちょま、えっ? ど、どういうこと……ですか?」
「止めても無駄だぞ山田。俺は決めたんだ。今の俺は誰にも止められないぜ」
「いやいやいや『誰にも止められないぜ』じゃないよ! 話がぶっ飛び過ぎててワケわからないな。それよりなんでそんな結論になったのか知りたいんだけど」
「よし帰るか」
「全然話が噛み合わないな。車内で絶対聞き出すから!」
まだライブの熱が身体から引いてなく、胸がドキドキしている。
人生初のライブ観戦を終え興奮しているから、こんな突拍子もないことを言ったのだろうと山田は思っているかもしれないがそれは違う。
俺は大マジだ。
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