プレイボール

 航空学生にとっての部活動である航友会。野球にサッカー、バスケ、剣道とそれぞれあるが、その中でも野球部は他の部活と比べて対外的な試合に参加する機会が多い。


 山口県はあまり野球熱が強い地域ではなく、県内の社会人野球チームも数える程度にしかない。しかしその中でも防府に所在するとあるチームは各地から腕に自信のある者を集めており、野球経験者は勿論のこと、元プロ野球選手なんかも在籍している強豪チームとなっている。


 今日はそのチームと航学野球部による公式戦。いくら相手が強敵とは言え、こっちだって全国から選び抜かれ者たちが集う精鋭集団。負けるつもりは元よりない。


 参加できる選手の数は限られているため、日和や春香のような初心者なんかはメンバーから洩れてしまい、スタンドでの応援にまわる。実力及ばず、惜しくもベンチ外になってしまった人たちには申し訳ないが、ルールもまだ覚えきれていない彼女たちにとってはむしろ応援の席くらいが居心地よかった。


 選手たちの練習も終え、もうすぐ試合が始まる。仲間を応援しろと言われても、野球の応援がどういったものか分からない日和は、大人しくバックネット裏のスタンドに座って試合の様子を観戦することにした。他の同期や先輩たちは自前の鳴り物やメガホンを使って応援をするみたいだが、日和がその中に加わるにはまだ知識も勇気も足りていなかった。


 と、そこへ自販機でお茶を買ってきてくれた春香が隣に座る。


「野球部は積極的に外のチームと試合をするとは聞いてましたけど、まさか土日を使うなんて思いませんでしたね」


 貴重な休日を部活の時間に使われ、春香は少し残念そうだった。彼女に限らず、もともと野球に興味がない者たちにとっては、こうして休みの日にまで引っ張り出されるのは苦痛なのだろう。


「私は嬉しいかな。いつも土日はやることなくて、防府の街を適当に歩いているだけだし。むしろこうやってイベントがあったほうが退屈しないで済むから」


「それを言われたら私だって、特に用事があったわけじゃないんですけど…というか、坂井さんっていつも休日はなにしてるんですか?」


「何って、別に普通だよ。外出てご飯食べて、ちょっとお店とか見て回って」


「一人でですか?」


「うん。一人だけど…なにその顔」


 急に春香が哀れみに満ちた顔をする。


「今度、一緒に遊びに行きましょうね…」


「いやいや、別にぼっちなわけじゃないから! 時々月音とかとも外出してるから! そんな悲しい顔しないでよ!」


「いいんですよ。同期なのに今まで気にかけなかった私が悪いんです。今まで寂しい想いをさせてしまってごめんなさい」


 日和が否定しても春香は聞く耳を持たない。なんとも腑に落ちなかったが、変に弁解しようとしても新たに誤解を生んでしまいそうなので、ひとまず放っておくことにする。


「おーい坂井に桜庭、悪いけどお使いに行ってくれるか? みんなの昼飯の弁当、注文はしたけどまだ取りに行ってないんだ」


 二人が暇を持て余していることに気付いたのか、先輩が気を使って声をかけてきた。このままここにいたところで、ろくに応援もしなさそうなので、二人は喜んでお使いに向かう。





「そう言えば、さっきの話の続きじゃないですけど」


 弁当屋で会計をしながら春香が言う。


「近々下宿をとるって話があるんですよ」


 航学では学生たちに下宿をとることを推奨している。理由は色々とあるが、学生が外泊を伴う外出を行う際、ネットカフェといった場所で一夜を過ごすというのは、防犯面から見ても服務指導上宜しくないからだろう。


「陣内さんが私たち6人で一緒に下宿をとろうって言ってるんです。来週あたり物件を見に行こうと思ってるんですけど、坂井さんもどうですか?」


 訓練で疲れた身体をゆっくり休めようと思うと、基地内にいてはどうしても窮屈さを感じてしまってリフレッシュできない。だからと言って外出して遊び歩くというのも体力を使ってしまう。そういった時、基地の外に心身を休ませることができる場所があるというのは大きい。特に趣味があるわけでもなく、外出してフラフラと歩き回ることが多かった日和にとっては願ってもない話だった。


「そういうことなら私も行こうかな。ある程度目星は付けてるの?」


「一軒家を借りて、ルームシェアみたいな形で使おうって考えてるんです。学生がよくお世話になっている不動産屋があるみたいで、いくつか良い物件を紹介してもらってるみたいですよ?」


「立地も考えないとね。駅近くか基地近くか、その中間くらいがいいけれど…」


 基地から近い所だと外出した際すぐに下宿で休むことができるが、周辺にあまり店がなく、生活するには不便だ。逆に駅近くだと店には困らないが、下宿に着くまでと基地に戻るのに時間がかかってしまう。一長一短というわけだ。


「あとは名前もつけてあげないとですね」


「名前?」


「下宿に名前をつけてあげると、とあるタクシー会社はそれを覚えてくれるみたいですよ。先輩から聞いたのだと「ホワイトベース」とか「イーグルネスト」とか。名前を言うだけでそこに連れて行ってくれるらしいです」


「なにそれ、変なの」


 でも楽しそうだなと日和は笑った。まるで子供の頃に遊びで作った秘密基地みたいなものだが、こうして名前とかを付けてあげると愛着も増し、下宿に戻るのも特別な気分になれるかもしれない。


 基地の外に拠点があれば、隊舎に置けないような私物も保管することができ、それぞれの余暇の幅が広がる。また下宿で私服に着替えれば、制服を着て外出している時のような縛りもなくなり、自由に行動できる。


 休日の充実度が格段に変わりそうだな、と日和はこれからの生活にワクワクしながら、弁当がたくさん詰められた袋を持ち上げた。





 二人が球場に戻ると試合はもう3回の表まで進んでおり、そろそろベンチの選手たちにも出番が訪れようかという時だった。


 試合展開は1-4で学生側が劣勢。どうやら相手チームに強い打者がいるらしく、先発で投げていた先輩が相手打線に捕まってしまったとのことだった。


 そしてその先輩の交代として沢村がマウンドに登り、スタンドからは歓声が上がる。彼がどれ程の実力を持っているかは、野球部一同知っていることだった。


「おおっ! 切り札登場ってところですかね。私たち、丁度いいタイミングで帰ってこれましたね」


「沢村か…」


 一体どんな活躍をしてくれるんだろうと彼に期待する春香とは逆に、日和は表情を歪ませた。


 航空祭以来、沢村とはまともに話していない。こちらから歩み寄ろうとしても彼はそれを突き放すし、いざ面と向かって話せる機会ができても、変に意識してしまって言葉が出てこなくなる。


 入隊してから3ヶ月近く経ち、少しは彼とまともに話せるようになったかなと感じていたが、どうも最近また距離ができてしまった。


「ねぇ、沢村って5区隊ではどうなの?」


 沢村と同じ区隊の春香に訊いてみる。


「どうって言うと…?」


「いや、沢村ってあんなだからさ。同期からどう思われるてるのかなって」


「あぁ~、まぁ好かれてはないですね。坂井さんの想像通りですよ」


 導入期間中、彼は何度も同期たちと衝突し、他人との間に自分から溝を作ってしまった。日和のおかげでなんとかその溝を埋めることはできたものの、それ以降も彼のスタンスは基本的には変わっていない。なにをするにしても自分のことしか考えないし、他人が困っていても頼まれない限り助けない。集団生活で必要な「協調性」が彼の中ではゴッソリ抜け落ちているのだ。


 それでいて実力はあるものだから、彼の存在を面白くないと思う学生はそれなりにいる。口や態度にこそ出さないが、彼と仲良くしたいと思っている学生なんて71期にはいないだろう。


「先輩たちも「扱い辛い」って話してましたよ。自分からは全く動かないし、積極性もないけど、やるべきことはしっかりやってるから怒ることもできない、とか」


 悪い人ではないが、良い人でも決してないというのが彼に対する皆の評価だろう。


「どうしたんですか? 急に」


「ん? いや、まぁ…」


 試合が再開し、沢村が投球を始める。相変わらず凄い球筋で、相手チームの選手たちも思わず驚きの声をあげる。


「沢村は下宿とかどうするのかなって。一人でとるのは原則禁止だし、かといって一緒にとりたいっていう人もいないでしょ」


「言われてみればそうですねぇ。区隊でもこの話が出てきた時、沢村さんだけは我関せずでしたから」


 瞬く間に奪三振。あまりの鮮やかさに日和も小さく拍手を送る。


「一緒にとってあげたらいいじゃないですか」


「いや、無理無理。男女で一緒に下宿とるとか、そんなの許可がおりるわけないし」


「ですよね。言ってみただけです」


 嫌だ、とは言わないんだなぁと春香はイタズラっぽく笑った。


「まぁ、下宿をとらないっていう選択肢だってありますし、沢村さんのことですから上手く立ち回ると思いますけどね」


 続けてまた奪三振。だけど沢村はクスリとも笑わない。張り合いがない、とでも言いたげな顔だった。


(ホントに野球、上手いんだなぁ…)


 しばらく沢村のことを眺める日和。普段の練習で見るだけでは実感が湧かなかったが、こうして試合で活躍しているのを見ると、彼の持つ実力が平凡ではないことが分かった。


 野球の実力もさることながら、沢村は人を惹き付ける魅力をいくつも持っている。それなのに本人が他人を拒絶するものだから誰も近寄ってこなくなり、自ら孤独になる。そんな彼から、日和は目を離せないでいた。


「坂井さんって、沢村さんのこと好きですよね」


 春香の言葉に日和は僅かに飛び上がった。


「違うよ。そんなんじゃないって」


「そうですか?」


「むしろ嫌いなくらいだよ。こっちの親切は全部無下にするし、人の気持ち考えないし、言葉を選ばないし…」


 続いての打者をピッチャーフライで打ち取り、チェンジとなる。その活躍を讃えて、ベンチにいた同期たちがハイタッチで沢村を迎えようとするが、彼はなにも言わず素通りしてしまった。相変わらず愛想がなく、人の期待を簡単に裏切る性格をしている。


 けれど、と日和は続ける。


「気になるんだ。どうしてああまで人を受け付けないのか、なにか理由があるんじゃないかなって。あそこまで自分を貫き徹すなんて、私にはできないからさ…」


「…なるほど」


 話しながら日和は自分の気持ちを整理していく。航空祭以来ずっと続いていた心のモヤモヤが少しずつ解れていくを感じ、やはり誰かに話すことが一番の解決方だなと日和は思った。その点春香は聞き上手で、適当に相槌を打ってくれる。


「だから、結局今の距離が丁度良いんだろうね。一歩引いて眺めるくらい。あまり近寄ると、また私と沢村はぶつかっちゃうから」


 それはグラウンドの彼をスタンドで観戦するくらいの感覚。触れてしまうと傷付いてしまうから、お互いが干渉しない程の距離。


 しかしそれでいいのか、と春香は思ってしまう。それが日和の本心なのか。彼女は自分の気持ちを無理に抑えているだけじゃないのか。


 だから、こんなことを言ってしまう。


「坂井さん、「好き」の反対ってなんだと思います?」


「…それ知ってるよ。どうせ「無関心」とか言うつもりでしょ?」


「ふふっ、その通りです。相手に興味があるかどうか、その違いです。「好き」の反対は「嫌い」じゃないんですよ?」


「そうだとしても、私が沢村を嫌いなことは変わらないよ」


「分かってます。今はそれでいいんです。でもですね…」


 春香はヒラリと日和の前に立ち、彼女の胸元を軽く指先でつついた。


「その「嫌い」っていう気持ち、それがもし別の気持ちに変わった時、その時はどうか自分に嘘をつかないであげて下さいね?」


「う、うん?」


 そんな時は来ないと思うけど、と日和は返すが、春香はただニコニコと笑うだけだった。



 航学チームの攻撃が始まり、再びスタンドが応援で騒がしくなる。ここにいる以上、自分たちも参加しないわけにはいかないだろうと、日和たちは空のペットボトルを鳴り物代わりにして応援に加わった。


 3回の裏、航学チームの攻撃はクリーンナップの好打順からスタートだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る