決戦 海自航学
「ねえ、二人の希望機種ってなに?」
全ては
甲板掃除や巡検などの各種見学を終え、あとは消灯を待つだけという短い自由時間。居室で日和たち3人が互いの学生生活について語り合っている中で彼女が発した素朴な疑問だった。
「ちなみに私はSH-60Kだね。最初は戦闘機に未練があったけど、ヘリパイもカッコいいなって思えてきてさ」
SH-60Kは海上自衛隊が持つ対潜哨戒ヘリコプターだ。改造元のSH60-Jと比べて対潜戦・対水上戦能力や輸送、警戒監視能力が向上した機体で、魚雷や対艦ミサイルも装備できる何でも屋だ。
「で、二人は将来なにに乗りたいの?」
目を爛々と輝かせて話す奏星。当然だろう。航空学生にとって将来どんな機体に乗ってどの部隊で活躍したいと夢を語る時間程楽しいものはない。
「私は政府専用機とかE767とかかなぁ」
「あぁ、いいね! 大型機もカッコいいよね!」
先に答えたのは月音だった。もともと彼女は民航に憧れていた為、ボーイング系の航空機に乗りたいようだ。
「日和は?」
月音に続いて訊かれ、日和の心臓が一瞬跳ねる。
「私は、戦闘機…かな」
「へえ! F-2? それとも15か35?」
「や、そこまでは考えてなくて…」
「ふうん?」
瞬間、奏星の目から先ほどの光が無くなる。まずいな、と日和の肩に力が入った。
「日和ってさ、なんで航学に入ったの?」
「え、と…」
言葉に詰まる。日和自身、なぜ「空を飛ぶこと」に憧れを持ったのか理解できていないからだ。
「私は、さ」
日和の答えを待たず、畳み掛けるように奏星は続ける。
「小学生の頃に航空祭に行ってから、ずっと戦闘機に乗ることに憧れてきた。F15が堪らなく好きで、航学に入る為だけに勉強も運動も頑張ってきた」
彼女の目はとても強く芯があって、これほど熱く自分について語れる人は日和も会ったことがなかった。
「その夢は叶わなかったけど、私よりもっと凄い人たちが世の中にはいるんだなって思うと諦めもついた。けどそれって、実際蓋を開けてみるとどうだったのかな?」
「…なにが言いたいの?」
なにも言えない日和に代わり、月音がやや低いトーンで聞き返す。
「つまりさ、どれだけ好きかっていうのとその人の実力は別物なんだなってこと。私はそれが情けなくて、悔しくてたまらない。空を飛びたい気持ちだけは人一倍持ってる自信があったのに、こんな夢とか目標もない子に負けたんだなって思うとね」
「っ、そんな言い方!」
つい声を荒らげてしまう月音を日和は抑えた。なにか返そうと口を開く、がなにも言葉は出てこない。そんな彼女を見て奏星はますます目付きを鋭くさせた。見限ったというような冷たい視線。
「ほんと、残念だよ。日和はもっと理想の高い人だと思ってたのに」
「確かに、奏星の言う通り私には何も無いよ。けどそれでとやかく言われる筋合いなんて…」
「日和には分からない話かもしれないけどさ」
ようやく絞り出せた日和の声を奏星は容赦なく遮った。
「夢を叶えた人には、叶えられなかった人の夢も背負う責任があると思うの。今年の航空学生受験者数3219人に対して合格者数は63人。差し引いて3156人。少なくともこれだけの人数が夢を叶えることができなかったんだよ。どう? こんな大人数のトップに立てる程、日和は大きな夢を持っていたの?」
「そんなこと言ったら、奏星だってもともと海自に入りたいわけじゃ無かったでしょ!?」
「そうだよ。だから私は一人前のヘリパイになろうって目標を決めてる。私のせいで海自航学に入れなかった人たちの為にもね」
本当は戦闘機に乗りたかったのに、と奏星は付け加えた。
八つ当たりだ、と日和は思う。夢を叶えることができなかったことへの理由付け、叶えた者への妬み。それらを全部ぶつけてきているのだと。
だが彼女の気持ちが少しも理解できないわけではなかった。自分がもしなにかの夢を叶えることができなかったとして、代わりに「なんとなく受けたら受かった」という人がその場所にいたとしたら、果たして自分はその人を許せるだろうか?筋違いと分かっていても、その人を恨まずにはいられないのではないか。
言い方を変えれば、自分が軽い気持ちで航学を受験しなければ、代わりに彼女は夢を叶えることができたのではないか。
たられば論はするだけ無駄だとは分かっていたが、どうにも日和は奏星の気持ちを無視することはできなかった。
翌日開かれたバレーボール大会は空自にとって非常にアウェイ感の強い展開となった。
学生たちだけでもかなり熱気のある体育館の中に基地中の海自隊員が応援へ集まり、操縦課程へと進んでいる海自航学の先輩たちはわざわざ横断幕まで作って来ていた。海自に点数が入る度に地響きを起こすほどの歓声があがり、絶対に空自には負けないという強いオーラが会場に満たされる。
試合は各区隊対抗戦で、全部で3試合行われる。もとより海自の空気に飲み込まれ気味だった空自の学生たちだが、試合が始まって少しすると多くの者がすっかり気力を奪われ、6区隊に5区隊と流れるように敗戦を重ねていった。残すは日和属する4区隊だが、ここで彼女らが勝ったところで空自の負けは決定している。せめて一矢報いたいというのが区隊長たちの想いだったが、しかし学生たちには既にそんな元気は残っていなかった。対して海自の面々は勝利が確定してもなお勢いを失う様子はなく、完膚なきまでに空自をつぶすつもりでいる。
「くっそぉ、こんなのありなの? やり方が汚いよ」
コートに立ち、月音が悔しそうに呟く。その声も海自の応援にかき消され、誰にも届くことはなかった。
瞬く間に点を取られ、流れ的に4区隊の敗北が濃厚となってくる。諦めの言葉こそ誰も口にしなかったが、ここから反撃することなんて不可能に近いことくらい誰が見ても明らかだった。区隊長たちですら既に応援することをやめており、面白くなさそうに海自の学生たちを眺めている。
ある程度ゲームが進み、他の区隊員と選手交代となる。月音の代わりに入るのは日和。この局面から一体自分になにができるんだ、というのが日和の本音だったが、コートに入ってきた相手の学生を見て日和の心になにかのスイッチが入った。
「日和ちゃん、どうかした?」
すれ違いざま、不意に様子が変わった日和に気付いて月音も足を止める。
「私、やっぱり負けたくないよ」
「うん?」
「最後まで諦めたくない。せめて私たちだけでも勝ちたい」
なにが…と彼女の視線を追うと、その先には選手交替で新たに参戦してきた奏星がいた。向こうもこちらに気付いたようで、また昨日の氷の針のような目でこちらを睨んできた。
「奏星ちゃんに言われたこと、まだ気にしてるの?」
「まあ、そうかな」
「あんなの、ただの妬みだよ。日和ちゃんには日和ちゃんの人生があるんだから、他人の気持ちまで背負ってたら潰れちゃうよ」
「勿論、それも分かってる。けど、なんでか奏星の気持ちを無視したくないんだ。私は奏星の前では強くありたい。だから、負けたくないんだ」
なんで彼女が奏星にそれほど拘るのか月音には分からなかった。が、静かな炎が宿った彼女の目を見ると、このまま何もせずに終わらせる訳にはいかなかった。
「よしっ! 行っちゃえ、日和ちゃん!」
「わっ!?」
平手で日和の背中を強く叩き、渇を入れる月音。
「月音?」
「私たちはまだ負けてない! 諦めるのはまだ早い! もう勝った気になってる
月音の言葉に、他の学生たちも目を覚ましたかのように顔を上げる。
「そうだ、菊池の言う通りだ!」
「せめて一勝だ! やってやろうぜ!」
「空自、ファイトッ!」
海自の勢いにこそ及ばないかもしれないが、空自の面々が徐々に元気を取り戻していく。そんな彼等を、ネットの向こう側にいる奏星は冷めた様子で、しかしどこか羨ましげに眺めていた。
本当はそこに自分がいたのに
それを夢見て頑張ってきたのに
そう言っているように日和には見えた。
だからこそここで日和は奏星に勝って、彼女の気持ちにけりをつけてあげる必要があった。
(これは、私が奏星に渡す引導だ)
日和は奏星を睨み返す。
(そして、私自身のけじめだ)
自分で選んで
もう誰にも文句を言わせない程の覚悟をするために
日和は絶対に奏星に負けるわけにはいかなかった。
大会の結果は散々なもので、結局4区隊は海自に勝つことはできなかった。
しかしただ一本、日和のアタックが綺麗に決まり、それを奏星がレシーブしきれずに弾いてしまい、空自の得点になるという場面があった。
その瞬間からだろうか。奏星の纏っていた刺が急になくなり、勝っているにも関わらず急に塩らしくなってしまった。
そんなことで、と思うかもしれない。しかし日和が全力で放った弾を受けきれなかったということが、奏星にとっては試合の勝敗よりも衝撃が大きかった。この居場所は誰にも譲れない。日和からのそういったメッセージを、奏星は受け取ったのかもしれなかった。
71期の一同が防府へ戻る時間となり、別れの行事ということで両航空学生たちは再び対面式と同様の形で整列する。
敗北を喫した空自の面々が一様に浮かない表情をしているのに対し、海自の方は非常に晴れ晴れとした様子で見送りに参列する。
しかしその中でも日和と奏星だけは対照的で、試合に負けた日和は清々しく、勝った奏星は浮かない顔をして同期たちと並んでいた。
「昨日はごめん、酷いこと言って」
各対番がそれぞれの別れの挨拶をする中、奏星はまず日和と月音に頭を下げた。
「や、まあ、そんな謝らなくても…」
態度が急変し、反応に困った月音は日和を見る。だが彼女も奏星に対してなにも返さず、言いたいことは分かっているといった感じで奏星のことを優しく見つめていた。
「怖かったんだ…」
僅かに肩を震わせながら奏星は続ける。
「なにか理由をつけないと
自分のせいで航空学生になれなかった人だっている。その人たちの想いを無駄にしないためにも「自分がここにいる理由」を無理矢理作ることで奏星は自分を保ってきた。
それなのに日和はなにか明確な目標を持つわけでもなく、自分が憧れていた場所にいる。それが奏星にはどうにも許せなかった。
「ねえ奏星、連絡先交換しようよ」
「え?」
日和が携帯をかざすのを見て、少し奏星は戸惑う。
「…怒らないの?」
「いいから、ほら」
促され、慌てて奏星も携帯を取り出す。電話番号とメールアドレス、あとは通話アプリのIDをそれぞれ交換。
「私たちはきっと同じなんだ」
「同じ?」
「自分で選んだ道が本当に正しかったのか不安で、そこに居る理由が欲しくて、色々なことを背負ってしまう」
ああ、だから…
「見えない明日が怖くて、なにも持ってない自分が嫌で」
だから私は…
「同じコインの表と裏みたいなものなんだ。似てはいるけど正反対で、交わることは決してない。でも、だからこそ」
彼女を無視できなかった。自分とよく似た、目標が定まらない未来に怯える彼女を。
言い方を変えれば…
「友達になりたいんだ。辛いことや悩み事も、私たちなら支え合える。いや、私たちにしか支え合えないことがある」
奏星を強く抱き締めた。
「私は奏星、奏星は私だよ。お互い居場所は違うけど、一緒に強くなろう。いつか、自分が選んだ道は間違ってなかったって、胸を張って言えるように」
「うん…うん…ありがとう、日和」
なんて真っ直ぐな子だろう、と奏星は大粒の涙を流しながら思う。日和の熱が徐々に自分へと伝わり、いつの間にか体の震えも治まっていた。
「…ずるい」
と、横槍を入れるように小さな低い声が二人の耳に入った。
「ずるい! ずるい! ずるい!」
月音が頬を膨らませて子供みたいに怒る。ああしまった、と日和は少し申し訳なさそうな顔をした。
「奏星ちゃん! 私とも連絡先交換しよっ!」
携帯片手に二人を引き離し、奏星に詰め寄る月音。
「日和ちゃんのパートナーは私なんだから。奏星ちゃんの悩みが日和ちゃんの悩みなら、二人の悩みは私の悩みなんだからね」
分かりやすい嫉妬だと日和と奏星は笑う。しかし彼女も奏星の対番であり、日和の大切な同期なのだから、半ば仲間外れにしてしまったことを日和は素直に反省する。
「挨拶は済んだか! 全員乗車しろ!」
中隊長の声で日和たちはバスへと乗り込む。3人にはあまりに早すぎる別れの時、今度出会えるのは何時のことか、それは誰にも分からない。しかしきっとその時まで、彼女たちは互いを忘れることなんてないだろう。
「総員、帽振れ!」
バスの出発と同時に海自の隊員が帽子を振って送ってくれる。海自の艦が出港する際に行われる登舷礼というものだ。それに習い、日和も窓から身を乗り出して大きく帽子を振り返す。危ないと周りに怒られながらも、それでも最後の一瞬まで奏星の姿を目に焼き付けておきたかった。
また彼女に会った時に、胸を張って話せる自分になるために。
この後日和たちは基地に帰隊後、海自航空学に負けたことから非常呼集をかけられ、地獄のような指導を受けることになるのだが、またそれは別のお話。
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