入隊式

 入隊式当日。その日は防府北基地全体が朝から慌ただしい空気に包まれてていた。行事全体を仕切る指揮所の開設、来基するVIPに対する諸準備、隊員の家族への対応等々、それぞれ役割分担はしているが誰も彼もが忙しそうに動き回っていた。


 その準備には70期の先輩たちも駆り出され、交通誘導や隊員家族の受付業務などについていた。


 本日の主役たる日和たち71期生は各区隊教場にて待機していた。航学群庁舎1階ロビーの受付に家族が訪れれば、その連絡が3階の教場へと伝わり、学生が家族を迎えに降りてくる手筈である。


「ねぇ日和ちゃん、変じゃないかな?」


 さっきから落ち着かない様子で、何度も鏡の前に立つ月音。制服の着こなしが合っているかどうか不安らしい。


 彼女だけでなく、他の学生も互いに服装や持ち物のチェックをしていた。


「どこも変じゃないよ。大丈夫」


 日和はそう答えたが、絶対の自信があるとは正直言えなかった。着こなし、靴の状態、ネームプレートに部隊章、白手等々、見るべきポイントはいくつもある。


 だがそれよりも日和は気になることがあった。ほとんどの学生は1階で家族を迎え、しばし談笑した後に式場である体育館へ向かう予定だったが、その家族が来なかった場合はどうすればいいのか。時間になったら適当に体育館へ行けばいいのか、それとも誰か引率してくれるのか。もしかしたら家族が来ない学生は自分だけじゃないのか。色々と気が気でならなかった。


 が、それも杞憂で終わる。


『6区隊坂井学生、1階まで』


 教場の机に配置された無線機が日和を呼んだ。つまり家族の誰かがやって来たということである。


「あ、日和ちゃんが呼ばれてるよ」


「う、うん。ちょっと行ってくる」


 誰が来るのか事前に連絡は全くなかった。昨日の夜も念のため携帯を確認してみたが着信履歴はなく、メールも届いていない。一体誰が来たのだろうかと不思議に思いながら日和は中央階段を駆け降りた。


(もしかしてお父さんか、それともお母さんかな…だとしたら気まずいな)


 半ば強引に決めてしまった進路。きっと両親はまだ娘のことを許してくれはしないだろう。一週間ぶりに再開して、一体なにを言われるのか不安だった。


 しかし、受付で待っていたのは意外な人物だった。


あかり…?」


 立ち尽くす日和の姿を見て、その少女は笑顔になった。坂井灯さかいあかり。この春から中学生になる日和の妹である。


「わっ、お姉ちゃんカッコいい! 制服似合ってるね!」


「私のことはいいんだよ。それよりどうやってここまで来たの? お母さんは?」


 はしゃいで抱き付いてくる妹を日和は引き離す。聞けば一人で来たのだというから日和は驚いた。


「大森さんから入隊式のこと聞いたんだよ。お父さんもお母さんも行かなくていいって言ってたけど、婆ちゃんがこっそり準備してくれたんだ。バスとか電車とか、全部一人で調べて来たんだよ?」


 胸を張って答える灯。大森さんとは地本の大森1曹のことだろう。日和がここに着隊する際には車で送迎してくれたが、さすがに隊員家族が入隊式に出席する場合までは面倒を見てくれなかったみたいだ。


(それにしてもこの子は、無鉄砲というかなんと言うか…)


 誰に似たんだろうと日和は呆れた。きっと今頃実家では灯が見つからないと両親が慌てていることだろう。二人が灯の行方を祖母に訊ねるまでにはもう少し時間がかかるはずだった。


 それはそれとして、こうして自分の式に出席してくれることは素直に嬉しく、日和は優しく妹の頭を撫でた。



 少し談笑した後、日和と灯は体育館へと向かった。初めて自衛隊の基地にやって来たということもあり、灯は物珍しそうに視線をあちこちに向け、見慣れないものを見つけては「あれはなぁに?」と日和に訊いて困らせた。日和とて着隊してからまだ間もないのだから、知識は灯と大差ない。


 体育館に到着すると、中では西部航空音楽隊が軽やかなマーチを奏でていた。式で必要とされる音楽はCD音源ではなく、全て彼等の生演奏によって行われる。航空音楽隊とはその名の通り音楽を演奏することを主たる任務とする部隊のことで、こういった式典や儀式における演奏の他、定期演奏会や民間の行事への参加等で広報活動を行っている。隊員は実技試験等をくぐり抜けてきた音楽の専門家ばかりで、音大出身者も多く在籍している。


 しばらくすると隊員も学生も家族も皆それぞれの席につき、咳一つ許されないほどの静寂と緊張が体育館一杯に満ち、第12飛行教育団司令、航空教育集団幕僚長、航空幕僚監部人事教育部長、航空教育集団司令官等のVIPが次々入場した。彼等は階級の低い者から順番に入場し、隊員たちはその都度気を付けをかけて迎えるので、しばらく日和たちは立ったり座ったりを繰り返した。


 式は自衛官任命、服務の宣誓、課程履修命課と進んでいき、課程履修命令権者である航空教育集団司令官が訓示を述べた。


「学生諸官、入隊おめでとう。日々緊張高まるこの世界情勢の中、数ある道の中からこの航空自衛隊を選んだ諸官をこうして仲間に迎えることを司令官として嬉しく思う。ありがとう」


 集団司令官である小町空将は淡々と訓示を述べるが、正直なところ日和たちは緊張で全く頭に入って来なかった。学生たちの視線は小町空将から一切逸れることなく、眠そうな様子の者は一人もいない。しかしそれが半ば強制によるものであることを小町空将は見抜いており、我が子を見るかのように僅かに微笑んだ。


「学生諸官、航空自衛隊には様々な任務がある。そしてその全ては安全に航空機を飛ばし、その能力を十分に発揮してもらうこと、ただ一点の為に存在する。そしてその航空機を飛ばす者こそが学生諸官となるわけだ。諸官の現場は航空自衛隊の最前線、言わば槍の先である。後方で任務に着く者が全力で諸官を空に上げたとしても、槍の先が鈍っていては意味がない」


 航空自衛隊は掛け算の組織、とよく言われている。全ての任務が別の任務に影響を与えているという空自の特性から、それぞれがそれぞれの持ち場で全力を発揮した時、その能力は足し算のように増えていくのではなく、互いに影響し合って掛け算のように増えていくという意味だが、その能力が具体的にどこで発揮されるかと言うと、航空機が空に上がった時である。


 航空機が飛ばない限り空自の能力が発揮されることはなく、全ての組織は航空機を飛ばす為に存在すると言っても過言ではない。


「私から諸官に要望することは一つ、強くあれ、ということである。諸官の後ろには4万7千人の航空自衛官が、さらには25万人の自衛官が、そして1億の国民がいる。彼等の想いを無駄にしない為にも、諸官は何事にも負けない強さを身につけなければならない。強くなれ。守る為にただ強くなれ。君たちこそが航空自衛隊の主力なのだ」


 話が大きすぎてイマイチ実感の湧かない日和だったが、槍の先という言葉が妙に印象に残った。


 事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に努め、もって国民の負託にこたえることを誓います。


 自衛官になる際に宣誓する「服務の宣誓」の一文である。


 ここは自衛隊であって民間の航空会社ではない。彼女たちが目指すはただのパイロットではなく「戦闘操縦者」なのだ。戦うため、そして守るために空を飛ぶのだということを忘れてはならない。


 小町空将の訓示の後、航空幕僚長訓示の代読があり、そして県内各基地司令からの祝辞を受け、学生による航空学生の歌斉唱で式は幕を閉じた。この一連の流れを受けて自衛隊がいかに厳しい世界であるかを実感し、涙を流す家族もちらほら見られた。



「お姉ちゃん、カッコよかったよ! お母さんたちも来ればよかったのにね」


 式が終わり、日和たちが解散を告げられるや否や灯が駆け寄ってきた。これほどまでに楽しそうに振る舞っているのも、隊員家族の中では彼女くらいだろう。しかし日和はそんな妹の笑顔を見ると、自分がこの道を選んだことを心から祝福されているようで非常に嬉しかった。


 その後、学生とその家族は飛行場地区へと移動する。これから入隊を祝した展示飛行、そして70期学生によるファンシードリルの展示が行われるのだ。


 展示飛行では最寄りの基地から飛んできた戦闘機、輸送機等、様々な機種が通過飛行を行った。航空学生の入隊式ということもあり、そのパイロットは全て航空学生出身者似たが選ばれている。つまり今日和たちの上を飛んでいる航空機には彼女たちの先輩が乗っているのだ。


 そう思うと、近い将来自分もあの場所にいるのだという実感が湧いてくる。


 展示飛行が終わると飛行場端のほうから吹奏楽による軽快なマーチが流れてきた。ファンシードリルを展示する儀杖隊の入場である。


 ドリルとは本来軍事教練のことを言う。皆で足を揃えて歩くという基礎的なものから、敬礼や銃を扱う動作等、軍人が身につける一連の動作が教練であり、それをパフォーマンスとして「魅せる」教練を行うのがファンシードリルである。


 一糸乱れぬとはこのことだと言わんばかりの先輩たちの行進に、観客たちから既に称賛の声があがっている。


 部隊指揮官であるドリル長と旗手を先頭にして64式小銃を持ったドリル隊が先行し、その後に音楽を奏でるブラスバンド隊が続く。先の入隊式では西部航空音楽隊が演奏を担当していたが、ファンシードリルにおいては学生自ら演奏を担当している。


 整一さをアピールするのが目的であるため、容姿や制服が男性とは異なるWAF学生はドリル隊に入ることができず、日和が探していた巴の姿はブラスバンド隊の中にあった。担当はトランペット。航空音楽隊と比べると聴き劣りはするものの、それでも十分綺麗な音を奏でていた。


 太鼓のリズムに合わせて自由自在に銃を操る学生たち。その腕前は見事と言う他ない。彼等はこれから一年間、他基地で行われる航空祭に度々招待され、何度も演技を披露することになる。そしてその技は卒業していく前に後輩たちに受け継がれ、航空学生の伝統として残っていくのだ。



 ドリル展示が終わり、祝賀会食も終えるといよいよ家族との別れの時間がやってくる。今生の別れというわけではないが、これを過ぎれば休暇まで会うことはできないので、やはり込み上げてくる想いはある。しかし多くの家族が涙する中、そこでも灯は笑顔を絶やさなかった。


「お姉ちゃん、次はいつ会えるの?」


「家に戻るのは、多分8月の夏期休暇かな。それ以外だと、6月の航空祭とかだったら会えるかも」


 防府北基地では毎年6月頃に航空祭が行われている。この時は一般市民にも基地が解放され、隊員と家族が面会する時間もある。


「じゃあすぐ会えるんだね! 航空祭、今度は婆ちゃんたちも連れてくるよ!」


 頑張れ、と言い残して灯は防府駅まで送ってくれるバスに乗り込んだ。窓を開けて乗り出そうとするものだから、危ないからやめなさいと日和は笑う。バスのエンジンがかかり、もうすぐ出発となると家族たちは一斉に手を振り始めた。その中でも灯は人一倍大きく日和に手を振る。


「そうだ、お姉ちゃん!」


 ふと、灯が大きな声で日和を呼んだ。


「お母さんがね、お姉ちゃんのこと心配してたよ。怪我とか病気とかしないかなって」


「お母さんが…?」


 母が自分のことを気にかけているなど、思いもしないことだった。度々衝突し、普段まともに会話をすることもなく、半ば家出のような形で入隊を決めた日和だったが、それでも母にとって日和は自分の娘である。なんだかんだ言いつつも、我が子が親元を離れるというのは寂しく、心配なのだった。


 ずるいな、と日和は緩みかけた目元を押さえた。


「たまには連絡するよ。お母さんにも伝えておいて。私、頑張るからって」


 灯が返事をする間もなく、バスは動きだす。日和の言葉は彼女に届いたのか、灯は窓から手を出して懸命に振り、やがて他の家族に危ないからと止められて手を引っ込めた。


 バスが見えなくなり、他の家族も無事に基地を出て行ったことが確認されると、助教の青木2曹が見送りのために並んでいた後任期学生たちに声を張り上げた。


「お前ら、感傷に浸るのもここまでだ。学生はこの後20分後、作業服2種編上靴で群朝礼場に集合、対面式を行う。以上、気を付け! 別れ!」


 日和たちは一斉に隊舎に向かって走り出す。入隊式を終えたこの瞬間から、彼等はもう一般人ではない。


 短くも長い、厳しい2年間はもう既に始まっていたのだった。

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