エッセイ集

@165e83

1、祖母のドーナツ

 小学生のころのわたしは、学校が終わるとばあちゃんちへ帰り共働きの両親の帰りを待っていた。

 ばあちゃんちに帰るといつもおやつを用意してくれるのがうれしかった。ばあちゃんちのおやつといえば、いりこや昆布(出汁とるのに使う)、商店街近くのケーキ屋さんが100グラム50円で売ってるカステラの切れっぱし(裏庭にたむろするスズメのえさ)、じじいの好物でいつも買い置きしていたシガーフライ(こっそり食べているところをじじいに見つかったらげんこつ)、ばあちゃんが焼いてくれるホットケーキ(おいしい)だった。台所と茶の間を遮るカウンターがおやつの配給場所であり、宿題をしながらだったり、携帯ゲームをぴこぴこ操作しながらだったり、片手間にもそもそ、ばりばり、と食べていた。


 学校が終わって、特に遊びの約束も学校からの宿題もなく、することがないから裏戸の方に置いてある水槽を泳ぐ金魚が砂利を口に入れたり出したりしている様子をぼぉんやり見ていたある日、ばあちゃんはわたしに気づかれないようにそっと背後に這いより、不意にわたしの脇腹をこしょばす。ギャッと声を挙げて仰け反るわたしの顔を上から覗きこみ「ドーナツ作っちゃろうか」といたずらっぽくばあちゃんは言う。

 わたしはジェリービーンズを弾に込めた鉄砲を一発食らったように心が跳ねた。わたしはドーナツが好物である。チョコレートや溶かした砂糖のコーティングによるツルツルとした見た目も、準チョコレートの取って付けたようなぬるいあまさも口どけも、一口齧ったときのあのふかふかの刹那も、食べ尽くしてしまった後に口の周りに残った粉砂糖を手で払うことも、そのすべてが好きだった。そんなドーナツは、父が日帰りの出張から帰って来た時のお土産として買ってきてもらったり、母と一緒に街へ繰り出した時に食べに連れて行ってもらったりしなければ、滅多に食べられない幻のおやつだった。


 そんなドーナツが家で作れるなんて、と例のカウンターからわくわくと台所を覗いていたわたしの目の前に、ばあちゃんが用意したドーナツの材料は、卵と牛乳と、ホットケーキミックスだった。つまるところホットケーキと全く同じ材料である。わたしは首を傾げつつ、とりあえずじっと様子をうかがっていた。しかしその疑念はすぐに取り払われる。材料の分量がホットケーキのときと違うのだ。ずいぶんと牛乳の量が少なかった。


 ホットケーキミックスを入れたボウルにたまごと少量の牛乳を垂らして、ばあちゃんのやわらかくて太い指の伸びた手でこねる。しばらくすると生地がねったりとまとまってくる。ばあちゃんは何やらうれしそうな顔でボウルの中をわたしに見せた。これが魅惑のおやつの原型なのかと生地を人差し指でつっついてみれば、ずいぶんひんやりと冷たく、ソフトキャンディみたいにぶよぶよしている。

 おそらくこの後生地を温めるのだろうけど、その方法を知らなかった。わたしは好物のドーナツがどのように作られるのか、ことごとく知らないでいた。オーブンは無いので電子レンジかトースターで焼くのか、それともばあちゃん自慢の年代物の蒸し器で蒸すのか、それともホットケーキ然りフライパンで焼くのだろうかと、ふかふかと考えているそばで、ばあちゃんはコンロ下の戸棚から油の入った天ぷら鍋を温めはじめた。ドーナツとはコロッケや天ぷらと同じように揚げるもので、揚げて作られる洋菓子があるなんてこともこの時まで知らなくてびっくりした。シガーフライも「フライ」のくせして揚げてないのに。


 ここから気合の入れどころであると言わんばかりに、ばあちゃんは袖を肩の方までぐいっとあげると、カウンターにまな板を置き、打ち粉をした。ボウルからまな板の上にドーナツの生地をでっぷりと落としたら、小ぶりのミカン程の大きさにちぎって、それをひとつずつ棒状に伸ばす。端と端をぐるりとつなげればあの有名なO型の形が出来上がった。いよいよ、という感じでわたしはわくわくした。ころころ丸めだけのまんまる型。三つ編みの要領で作られたあみあみ型。つるつるの生地が、ばあちゃんの太い指と大きな掌で平たく伸ばされたり、ちぎられたり、ねじられたりして、様々な形が出来上がってゆく。わたしの目のまえでそうやって形作られている様を見ているのは、まるで手品を見ているようで面白かった。


 ドーナツがきつね色と言わずたぬき色になるまでこんがり揚げたら、クッキングペーパーを何重かに敷いた大皿の上に引き上げる。ドーナツがこんもり盛られた大皿がカウンターに置かれて、ドーナツの表面でちいさく弾く油が中にしみ込んだころ、やけどしないように指でつまんで、かじる。正直、触感がさっくりするのと味に香ばしさが加わったくらいで、ほとんどホット―ケーキのような、メイプルシロップが欲しくなるような物足りない味に変わりなかった。でもホットケーキより、市販のドーナツより、わたしはこっちのほうが好きだと思った。どうしてだろうと考えながら味わっている暇などなく、ばあちゃんはまるで陽気な小悪魔に取りつかれたようにドーナツを作り続けるので、大皿の上にドーナツの山がどんどん積もっていく。わたしは躍起になってドーナツをほおばっては飲み込みほおばっては飲み込み、ようやく山頂が崩れた頃にはすでに次のドーナツの生地が練り終わっていて、崩れた部分に今度のドーナツが埋まってゆく様は、大食い大会の特番で見るのとそっくりそのままで、大食いじゃないわたしは、ただ大皿からドーナツがこぼれ落ちないように間に合わせることしかできなかった。


 心なしかドーナツひとつひとつの味が違う気がしたのは、いま思えばそれぞれの大きさや厚みで熱の通り具合が変わってくるせいだったのだろうけど、ボウルに牛乳を垂らすときの手首の繊細な動きとか、打ち粉をするときの素早い手つきとか、ドーナツの形を作るときのぬいぐるみを編むような愛おしさの滲みでる指先とか、熱い油に浮かぶドーナツが膨らんだときにばあちゃんもいっしょに口元をぷっくり膨らませながら笑みを浮かべる横顔とか、ばあちゃんの動きすべてにはなにか魔法めいたものがはたらいているように子ども心に見えていたからだ。その、端から見ていても分かる程にばあちゃんがうれしそうな表情で料理をする様子は、他の料理でも見たことがあった。じーちゃんは菜食主義者だから滅多に肉料理なんてしないのに、わたしがばあちゃんちに泊まった日の夕食に作ってくれたハンバーグ。夏休みに公園遊んでいるときに急な豪雨に見舞われて、友だちと他に公園にいたクラスメイトをばあちゃんちにつれて、ちょっとあまやどりするはずがお昼が近いからと言って作ってくれた数十人分のオムライス。その時もばあちゃんは決まって、ハンバーグを作っちゃろうか、オムライスを作ちゃろうかと、これから見せるとびきりの魔法にわたしたちが驚くことを確約する魔女のごとく、言うのだ。飲み込んだドーナツが胃に落ちたとき、揚げたて特有のふっくらしたぬくもりと一緒にまばゆいきらめきを胃袋に感じるのは、その魔法の一環なのだろうかと思った。


 揚げたてドーナツの熱が冷めきったころ。わたしがふくらんだおなかをさすりながらうぷ、うぷ、としている傍ら、ばあちゃんは黙々とかたつけをしている。ドーナツの熱と一緒に、ばあちゃんのほとぼりも冷めてしまったようである。調理器具を洗い桶に付けて、カウンターにこぼれた打ち粉をふき取り、調理器具にこびりついた生地ふやけたらスポンジで洗って水切りにしまう。それからようやくいまだ山盛りのドーナツに気づいて唸る。さてこいつらをどうしよう。ばあちゃんは作るのが好きなだけで食べることに関しては何の感情も抱かないようだった。自宅からかかってきた電話に、オカンか父さんが帰宅したという旨のメッセージを聞けば、大皿ごとラップに包みこんだドーナツと一緒に、ばあちゃんの軽四に乗り込んで自宅に送迎される。

 わたしのオカンもこのドーナツが気に入っているらしかった。その日の夕食を食べて終えて(無論わたしは食べてない)食卓から食器を片したら、今度は例の大皿がどどんとのさばる。オカンはインスタントコーヒーと、コーヒーとジャムだったりピーナッツバターだったり、なにやらいろいろを持ってきて、ドーナツを一口サイズにちぎったら、そこにいろいろをでっぷり塗ってから、ほおばる。それをコーヒーで流し込んで「ばあちゃんのつくるベーグルはおいしいなあ」という。トン、と、わたしは少しさみしい気持ちになるので、うぷ、とこみ上げるものを抑えつつ、すがる気持ちでドーナツを手に取り一口かじると、ざくっと冷えた音がした。喉の奥をぱらぱらとおちていくのに、魔法の途切れた温度を感じた。

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