2 : Disturbing

「で、早速だが、お前さんの血液からこんな物が発見された」


 ロサンゼルス外れの反乱軍基地、手術道具や薬品類がややゴチャゴチャに置かれた医務室内。


 チャック・ストーンは背もたれ付きのキャリア付き椅子に深く腰掛けながら、目の前の背もたれの無い丸椅子に腰掛ける少年、アダム・アンダーソンの前でタブレット端末を見せていた。


 有機発光ダイオードが作る画面に降り立つのは、表面に多数の突起や孔の付いた球状の白い物体――何も無い空間をポツリと不規則に浮かぶ様はまるで海に漂うクラゲだ。


「バクテリア? ウイルスか?」

「その通りだ。お前さんやリョウの証言だと拳銃の弾が煙になって、それがあらゆる物体を朽ちさせたんだそうだな。調べてみると、物質の結合エネルギーを生命活動にしてた」


 今度は縦横均等に規則正しく並ぶ白い粒の群れを先程の白い物体複数が覆い、畑を食い尽くすイナゴ同然に粒の並びをバラバラにしていく。白い球体は粒よりも遙かに巨大だった。


「面白いのはこれからだぞ少年。このウイルス、血中で群体を形成して電気信号を放つ一種の神経細胞みたいな状態になっていた。しかも、群体からはエネリオンまで検出された。この画面じゃエネリオンは全く分からんがな。何しろ検出する設備が高くてな、いつの時代になったら研究者は金を十分に使えるのか……」


 半分の本音を込めた冗談は、少年の無表情によって不発に終わった。悲しげに呻り、気晴らしに指で画面を大きくスライドさせる。


 球体は寄せ集まり、更に巨大な球を構成する。


「エネリオンによってウイルスの活動が活発にもなっていた。エネリオンを利用する生物なんて“我々”以外には初めてだよ」

「つまり、物質の結合エネルギーをエネリオンを利用して分解したのか? その為にわざわざ群体になってエネリオンを? いや、トランセンド・マンは脳の処理能力が高いからこそエネリオンを利用出来るのでは……」

「あくまでも今まで判明しなかっただけだからな。こういったミクロの生物なら認識出来る可能性があるのかもしれん。ミクロの知覚なんて分からんから詳しくはウイルスに訊かなきゃ分からんが……」


 口ごもり、頭を捻る。二秒後、思い切った医者はタブレットを数回指先で突いた。


「それで、エネリオンによって物質の結合を分解したというのはその通りだな。単純な効果だからウイルスにも出来たのかもしれんが……」


 チャックの茶色い瞳は端末の表を凝視していた。縦長の画面を横にし、左から右へ、目を流している。


「これを見てくれ。ウイルスのDNAを調べたんだが、人類のDNAと一致していた。染色体の数も同じだが、機能するDNAは全く違う。構成するアミノ酸を作る機能を持つRNAは他のウイルスに似ているんだ」


 画面をもう一人と共有する。グラフや二十螺旋構造、そして数字の羅列――素人のアダムには何が何だかサッパリだったが、辛うじて〇・〇〇……パーセントという極端に低い数字だけが見える。人間のDNAとの差異の割合か。


「生物がDNAを転写したRNAをベースにタンパク質を作るのは知ってると思うが、これと同様、DNAを元にエネリオンの変換を決めている可能性があってな」


 トランセンド・マンの特殊能力は個人個人によって決まっているが、何故なのかという理由は解明されていない。現在の所、DNAが有力候補とされているが、それがどう関わっているのかという根拠は見つかっていない。


 特に、生物のDNAにはアミノ酸やタンパク質の生成に関わらない「非コードDNA」が大半を占めており、ここから生物の進化のルーツを探る研究が行われていたが、トランセンド・マンの研究でも注目され始めている。


「具体的には神経細胞のDNAを経由する事で変換されるのかと思われるな。遺伝がトランセンド・マンの能力に関わっているという説がやはり有力か……」


 自分の世界に没頭してしまおうとしているのを自覚し、少年を見詰める。ただ視線を返す相手からはまるで真意が読めない。


(観察する仕事柄だが、観察されるのは苦手だな……)「何か質問は無いか?」

「このウイルスが都市に撒き散らされたらどう対処する?」

「良い質問だ。しかし、使用者が隠密行動主体の工作員らしかったから表で堂々と使われる事は無かろう。ワクチンの製法も分かったから、ロサンゼルスの全人口は賄えるストックはすぐに生産出来るし、他の都市にも伝えてある。企業を閉鎖したり核で消毒する必要は無さそうだ」


 チャックは生徒を褒める教師のように指を差す。流れるような説明にアダムは微塵も表情を変えなかった。


 ふと、アダムが口を開いた。


「あと一つ、自分がこのウイルスの弾の入った拳銃を持った時、銃が勝手に暴発した。工作員の男が任意でウイルスの操作をしているのかもしれない」

「操作?……」


 最後の冗談に応じてくれず冷や汗を流す医師は、相手の話を聞くなり顎に手を当てた。


「少年、テレパシーを知っているか?」

「頭で考えた事を喋らずに意思疎通出来る事か?」

「そうだ、トランセンド・マンにも使える者が居る。最近こちらへ来たカイルや、ジェンキンズの所に居たテレサもその一人だ」


 何処か疲れたような表情を吹き飛ばし、声が若返る。


「テレパシーはエネリオンによって出来ると思われていたが、違った。テレパシーを使う最中の脳からはエネリオンは検出されなかった。しかし、更に面白い事が分かってな」


 画面を弄る。もはやアダムには立体図形や数値が何を表しているか何も分からないが、中年男性の勢いは留まる事を知らない。


「別の素粒子が確認された。大きさは分からないが、エネリオンよりも更に小さいだろうとは見当が付いている。エネリオンの検出器では存在するのは分かっても、それがどんな構造なのかとかは全く掴めないんだ」


 流れるようにタブレットをタップ。飽きもせずアダムは医務室で一人はしゃがんとする勢いの中年男性を青い目で見るだけ。


「エネリオンの検出器は、トランセンド・マンの脳を模して作られている。謎の素粒子が発生している最中は、人間が無意識に使っている領域が特に活性化していた。丁度ここだな」


 今度は脳の3DCG。大脳の中心部分が光っている。


「エネリオンを変換する際には、意識してでも無意識でも切り替える事が出来るが、この素粒子の関わる無意識領域内は脳の一番奥にあって、自我に守られてどうなっているのかを外から見る事は出来ない。例え自分自身でもな」

「ではどうやって調べる?」

「分からんよ。私の専門は医学と生物学だしな。ハンやカイルなら脳に詳しいし、もっと優れた研究者も居る。老人なんてただ運良く生き残れただけだ」


 ため息。背もたれに身を委ねる姿には憂いよりも疲れが多く見える。


(自我か……)


 釣られ、少年も深呼吸する。


「少年よどうした? 恋の悩みか?」


 一時停止したかのように、何かをじっと考えるアダムへ恐る恐る質問した。


「気になる事がある。自分がエネリオンを工作員の男に放った時、命中した箇所の皮膚が赤く腫れ上がっていた。血行が促進されているだけにも見えたが、どうなっているのか分からない」


 間もなく無機質かつ流暢な返答された際には、静止状態とのギャップのあまり医師の心拍が早まってしまった。


(急に動くな……ホラー映画じゃあるまいし……)「ほう、不思議なものだな……まずは調べてみないと分からないが……」


 ブーッ――アダムの着るジーンズの左ポケットが突如鳴り出した。


【メッセージ差出人:Han Yantak】

【緊急招集だ、今すぐ基地の二階のブリーフィングルームに来てくれ】


 どんな情報端末にもある単純なメッセージ機能だが、この場に居る二人を揺れ動かすには十分だった。


「私のには来ないという事は、遠征だろうか……この件は後にしようか。とりあえず行ってこい少年よ」

「分かった」


 スライドドアを乱雑に開き、走っていく。静けさと共に復元力が戸を戻した。


 取り残された医者は机と向き合い、ペン立てと並んだコーヒーポットを手にした。


「私のまともな出番はいつなんだ……」





















「急にすまない。緊急事態なんだ」

「良いぜ、久し振りに仕事したい気分だ」


 眉をひそめるハンに対し、好意的な笑みを浮かべるリョウ。それ以外にも、部屋の一面に黒いスクリーンが埋め込まれた十数人規模の小さい会議室には、”超越せし者達”が集まって円形の机を立ったまま囲っていた。


 部屋のカーテンは閉められ、ハンの立つ後ろの壁にはスクリーンが大小八つからなる東西へ並んだ島々――ハワイ諸島の地図が映し出されている。


「珍しいな。いつもなら労働法違反だとか嘆いている癖に」

「うるせえ、程々が良いんだよ。何ならお前に嫌な仕事全部押し付けてやろうか?」

「綿花栽培は南北戦争の時代まででこりごりだっての。今の時代人民の人民による人民のための政治だろうが」


 リカルドが軽々と口にしたジョークに、リョウとレックスが笑いをこらえる。


 呆然とするアダムとアンジュリーナとカイルの十代トリオを見かね、「早く話せ」とクラウディアが皆を代表して、ハンの黒目を見た。


「では、まずは聞いてくれ。二十分前、ハワイのオアフ島が攻撃され、既に制圧された。戦術級の破壊力を持つトランセンド・マン一人が確認されているけど、どんな能力かは分からない。また。現在オアフ島全域を電波妨害が包んでいて状況が伝わってこない。だが、軍事力を全て差し押さえていると言っても大袈裟ではなさそうだ」


 殆どの人物が息を呑む。アンジュリーナに至ってはハッ、と口に手を当てて驚いていた。リョウですら悩むように頭を掻いている。


 地図の左から三つ目の島【Oahu】を指差した。淡々と早口に告げるハンだが、時折唸るような抑揚が聞き取れる。


「本島の方に揚陸勢力が向かっていて、海上戦力が辛うじて進行を止めているけど、時間の問題だ。水流を操作するトランセンド・マンが確認された。艦船の被害は壊滅的だよ……」


 薄暗い部屋をスクリーンパネルの明かりが微かに照らす。中国人以外の全員が、重力に逆らい、ジェットの如き水流が駆逐艦の鋼鉄のボディを切断・破壊する様子に釘付けだった。


「陸上戦力は侵攻を阻止する程の戦力は残っているけど、日本の味方から増援の艦隊が確認された。それまで時間を稼いだとして、良くても三日だろうか……」

「マジすか。俺だけでも先に行きましょうか?」

「いや、こっちが間に合わないし、揚陸出来るまでの陽動も必要だ。君だって疲れない訳がないだろう?」

「了解。また待ち時間辛抱しなきゃならねえっすか……」


 落ち着きの無い子供のように言い放つ百八十センチメートルのラテン男は、どこか物足なさげに頭を掻きながらも、不安で声が沈んでいた。真剣にハンが続ける。


「確実さが大事だよ。作戦はオーストラリア拠点と合同でやるよ。ただ、今から出動したとしても、二日と半分は掛かる。しかし、オーストラリア側でも三日は掛かるだろう。だから僕達が真っ先に侵攻を翻弄し、波状攻撃を仕掛ける事になるだろう」

「丁度両方の援軍が重なる訳だな。じゃあそれまでに決着付けた方が良いんじゃないか?」

「だね、自分達が早く着いてからの十二時間か、それより短い間が肝心だ。オアフ島はハワイ島での陽動の間に少数精鋭、すなわち“僕ら”で行く予定だ。空挺強襲部隊も来るけど、あくまで主戦力は“僕達”と思ってくれ」


 腕を組んでいるクラウディアの提言。しかし向こうも同じ事を考えていたらしく、彼女は「了解」と勇ましく頷いた。


「しかし、投入し過ぎたらこっちがが手薄になりません? テキサスの時みたいにまた来られたら危ないですよ」

「管理軍が火山から採れるという例の希少な物質を狙っているなら、ここが手薄になったのを襲って来ないか心配ですね」

「ダラスからある程度来て貰える事にはなったよ。前にテキサス侵攻を撃退した際に大陸の東海岸から管理軍は撤退しているから危機的状況に陥る可能性は無いだろう」

「流石ジェンキンズさん、手際良いな」

「でもこっちもある程度残っといた方が良いだろ? それじゃあ俺がはるばる来た意味が無え」


 アンジュリーナ、カイル、ハン、レックス、リカルドの順。最後の問い掛けに、中華人は顔をより一層引き締め、重そうに口を動かした。


「今撃退に向かう者を任命する。レックス、リカルド、アンジュ、カイル、そして僕だ」


 沈黙。呼ばれた者も、呼ばれなかった者も、皆が皆顔を見合わせ、覚悟を決めたように真剣に頷く。


「残りはロサンゼルスで待機だね。向こうが大きく撤退したとはいえ、油断はならない」

「久し振りに働けるかと思ったが、警備だなんてな」


 東洋人に早速突っ込んだのは同じルーツを持つ日系人青年だった。口元は緩まっているが、自然に開かれている目は活力を失っている。


「どうした? 無理矢理笑って、浮かない顔だな」

「いや、この前アダムが誘拐されようとしてたろ……」

「らしくないな。とはいえ、お前にしてはまともな事を言うな」

「うるせえ、俺だって名言くらい言いてえんだよ」

「それに関しては同感だ。アダムも気を付けるんだぞ」


 まだ一言も喋っていないアダム少年を不安に見詰める北欧女性。本人は無言で頷く。


 だが、それ以外は何も応じない。スクリーンを見る目も、集中しているのではなく、周囲に視線を分散させている。喋る機会か何かを窺っているのか……


「むしろ襲えば返り討ちにされそうな気もするな。飼い犬を殺せば暴走したりして」

「映画の観過ぎは良くないぞ」

「ストレッチしろよ。四十代のキャリアウーマンみたいにくたびれた顔してる」


 レックスに言われ、不穏な考えを止めてすかさず突っ込む。二人の間だけではなく、室内の空気が和んだ。


「ひとまず、向かおう。艦隊でも詳しい事情が分かる筈だ。コーヒーも用意している」

「ハン、無理すんなよ。ただし濃すぎると皆飲まんと思うが」

「分かってるさ。たまには気ままな君を見習いたいよ」


 逸れた話を戻し、カーテンが開いて日光が差し込む。アジア系の二人は笑顔で握手を交わした。沈んだ顔をしていた方の顔は微かに苦味を含んでいたが。


 周囲が活気を戻す最中、アダムの青く冷たい瞳はまだ動いていなかった。

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