9 : Cold

 リョウが手をかざす――放出される大量のエネリオン塊。秒間百発。


 廃墟群の通りを秒速千七百メートルで飛び交う不可視の弾を、身体をスライドさせて逃げる二人の人物。避けられたエネリオン弾はコンクリートの地面を削っていく。


 途端、黒髪の胸に命中。一瞬火花と火炎が散り、怯ませた。そこへ接近する茶髪の青年。


 迎撃しようと黒髪がジャブ、ストレート――ワン、ツーとリズム良く拳で弾き、次なるミドルキックを左手でキャッチした。


 今度は右側から突進してくる金髪を視界端に認めた。右手からエネリオン塊――炭素と水素が主成分のアスファルトの一部を膨大な熱で酸素と化合し、莫大な熱と炎を連鎖的に起こす。


 正面から覆い被さる熱気に煽られ、金髪の男は無意識に止まってしまった。直後、炎の向こう側から仲間の背中が、こっちに向かってくるのが見えた。


 投げ飛ばされた黒髪の男は延直線上に居た味方とぶつかり、一体化してコンクリートに不時着。


 仰向けのまま空を見る。ふと、大空に大柄な青年の姿。それもこちらに……


「危ねえ!」


 咄嗟にそれぞれの反対へ地面を転がる二人。天空から舞い降りし青年の振り下ろし膝蹴りが路上にサークル状の地割れを作った。


 起き上がって敵を挟んだ二人組、そのまま両サイドから反撃を仕掛けていく。リョウから見て右側から黒髪が前蹴り、左からはナックル。


 蹴りを右足裏で跳ね返し、パンチをしゃがんで避けつつ左フック気味に金髪のボディを殴り、怯ませる。


 そのままの姿勢で右足を反対に伸ばし、感触。見ると、足元を掬われた黒髪が片膝を着いていた。


 今度は右足を軸に中段左回し蹴り。丁度黒い頭を蹴り飛ばし、更に回転。続けて金髪の頭に踵を炸裂させる。


 二人は引き離される一方、日系人の方はというと、


「よお、日光浴しようぜ?」


 戦いの最中だというのに、固い地盤の上で寝そべっていた。余裕に笑いを浮かべる青年に煽られ全身に力を込める二人は歯を噛み締めて駆け込む。


 すかさず、待っていた、とでもいわんばかりにリョウの足は右方へ――黒髪の腿に当たり、走行を止める。足を反対側へ。


 金髪は腹目掛けて迫る足裏を掴む。しかし、後続のもう一本に下腹部を突かれ、退いた。


 残ったもう片方へ足を向けるリョウ。戦線復帰した黒髪は足に引っかかるまいと回り込もうとするが、リョウは背を地に向きを変え、仕掛けさせない。


 加勢する金髪の男、頭側から接近する。同時にリョウは後転、地に足を着けて起き上がり、腕を後ろへ。


 直後、黒髪の男の目に映ったのは、パンチを避けながら指で喉を掴む敵の姿だった。金髪は時間を止められたかの如く硬直し、相手の青年の体は後ろ向きに傾いている。


 ふと、白い光。光源を辿ると、青年の指先。


 仲間の喉が白い霜に覆われていた。


(どうなってる? 熱操作が能力じゃねえのか?)


 バリッ――何か乾いた物が剥がれる音。リョウは指を腕ごと横に大きく振り、金髪の男を放り投げる。錐もみ回転しながら数メートル飛び、後は重力に従って金髪は地面に仰向けになった。


 金髪の喉を見ると、丁度指二本分の幅が抉り取られていた。だが何故か出血は無い。大きな傷口とその周辺は霜がかっている。


(霜……待てよ、まさか冷却も出来るのか?)


 冷却は加熱と違って分子の熱運動を減速させるが、実際は加熱とは逆ベクトルだ。熱操作が能力ならプラスマイナス双方の作用が可能でも何ら不自然ではない。


 ところで、エネルギー保存則に従って冷却した分のエネルギーは何処かへ移る事となる。室内の熱を室外に逃がすのはエアーコンディショナーの原理である。


 では、リョウの場合はどうなのか。


(さっきよりもずっとエネリオン量がヤベえな……まさか奪った熱を自分の力にしてんのか?)


 不可視の眩い光――リョウの身体をエネリオンの筋が駆け巡っている。


 一方で倒れた仲間は動く気配を見せない。それどころか体は凍りつき、氷と化した空気中の水分が降り積もって白い人型へと変貌を遂げるのみ。


 もうじき夏を迎えるロサンゼルス、その荒廃した都市の一角では季節らしかぬ現象が起きていた。


 大柄な青年の周囲の空気が冷やされ、分子間の反発力を失った気体は収縮。結果、それを埋めようと風がリョウを中心に向かって吹いていた。冷気が辺りに漂い、水蒸気と二酸化炭素は凝結し、白いもやを作り出している。


 道路も半径五メートル以内は完全に凍結している。その中に取り残された黒髪の男は震えていた。


 少なくとも原因は寒さではない。トランセンド・マンの防御能力は遮熱も可能だ。本来なら熱伝導率の低い空気は大した事はない。


 相手は無意識に体を止めていた。何故自分は止まっているのか、と疑問にすら思わず、服の表面の一部は凍っている事にも気付かなかった。ただ敵の姿を見ているだけ。


「冷凍食品の気分を味わせてやるぜ!」


 ニヤリ、とリョウが掌を突き出す――射出されるエネリオンの束。その飛翔先には黒髪……


 次の瞬間、廃墟住宅地のアスファルトには一人の茶髪の青年だけが立ち尽くしていた。そこから道に沿って直線状に路面が黒焦げだった。焦げは果てしなく道りの先へ伸びている。


 さっきまでそこに居た筈の、黒髪の男の姿は影も形も無かった。精々立っていた所に細かな炭が積もっていたが、すぐに風に消し飛ばされ、結局何も残らない。


「訂正だ。ドライアイスだな」


 見下すような笑顔のまま、膨大な熱で敵を蒸発させたリョウは腕を下ろす。途端、表情は緊張を帯びて真剣になった。


(さあて、迷子はどこだ?)


 リョウの熱操作という能力は分子の熱による振動を捉える知覚があってからこそなし得る技だ。とはいえ熱はエネルギーの中で最も単純な形態であり、トランセンド・マンには振動の程度という物理量の差の情報を探るのは簡単であった。


 見透かす。周辺を、廃墟群を――常温と十数度ばかり差のある領域を見つける。


 市街地と反対側の東へ約二キロメートル。熱源が二点。しかも更に都市から離れる北へ移動している。


(俺の探知ギリギリの距離だ。しかも速い。完全に“俺達”と同じだな……)


 何事も無かったかのように無言で走り出す青年。知覚で燃え盛る家屋など眼中に無かった。






















 目前に迫る大量のパンチ。カイルは腕を使って左右に逸らすも、休む暇無し。


 アルフレッドが一歩、踏み込みストレート。青年の肘が防ぐ、が、強さのあまりに湿った路地裏を約三メートル後ずさった。


 すると突然、男性が前に出している左足が弧を描き、振り向きざま反対側へ――ガシッ、と小気味良い感触。


「きゃっ!」


 背負うバッグを奪おうと忍び寄っていたアンジュリーナがローキックを受け、止まる。そこをアルフレッドが右半身全体を突き出して掌で肩を押し、飛ばす。


 五メートル後退し、よろめく少女。男性は百八十度向きを変え、立ち向かう金髪の青年を認めた。


 両拳を前後へ回転させ、連続して打ちつけていく。それを髭面は正面から対抗し、同様に回転拳を出して相殺させる。


 拮抗する状況を変化させたのはカイルだった。右腕に触れた向こうの腕を掴んで引き、左腕も同様。そして無防備な顎目掛けて両手で掌底打ち。


 しかし青年の打撃は届くどころか途中で止まった。その頃、足元では敵の男のストンプキックがカイルの膝を押していた。


 バランスを崩し体勢を立て直す最中のゲルマン青年目掛けて、アルフレッドがストレートを繰り出す。


 が、パンチは途中で停止した。まるで硬く見えない壁が阻んだかのような手応え――背後で光。


 振り向くと、十メートル距離を取ったロンググレーの少女が手をこちらに向けている。放ったエネリオンによって運動エネルギーを中和させたのだと予想は付いている。


「だが、守るだけじゃ何にもなんねえんだよ」


 反抗し男は地面を蹴る。目の前の青年を再び殴り掛かろうとするが、動きが鈍い。


 スウェー――顔の前を横切る拳を認め、体重を左足に踏み込んでアッパー。顎に一撃決められた大人は二、三歩ふらついた。


 ふと、揺れる平衡感覚が止まる。後ろから何かに支えられ、斜めに傾いている。


 ジジッ、と背後で軽い金属が擦れる音――振り向こうとするが、思い通りに身体が動かない。意識が先回りし、目と首だけを向ける。


 肩に掛かる重みが消えた。その時見えたのは、バッグの肩掛け部分を引き千切って両手で鞄を大事そうに抱えるスラヴ系少女。


 依然としてアルフレッドは見えない圧力に阻まれ、踏み出せずにいた。少女は鞄のジッパーを開けようと指でつまむ。


「危ない!」


 カイルの張り詰まった警告。横を向く――見知らぬ赤毛の人物が至近距離に居た。


 突然の来訪者、手を引っぱたかれ、アンジュリーナはバッグを手放してしまった。


「ボーイフレンドと再開できて満足か?」


 赤毛の男が落とし物を掲げ、隣に出現した茶髪が決め台詞を吐いた。


 その時だった。突如、レンガ製のアパートの壁面が崩れた。


 かと思うとレンガブロック一つ一つが飛散――そしてその中に紛れる人影。


 直後、赤毛に向かって跳び蹴りが炸裂した。バッグが手から落ち、四、五メートルばかり転がる。飛ばされた先にあるゴミ箱を大きく凹ませ、相手はようやく止まった。


「よう皆、スーパーヒーローなもんで遅れて来ちまった」


 キックを放った張本人、リョウからの軽口。緑色の半分錆びたゴミ箱から起き上がる赤毛。


(いつの間に……)「俺はゴミじゃねえ!」


 内心は疑問だが、怒りを露わにするのも忘れない。仲間の茶髪の人物が駆け寄り、前方には上司であるアルフレッド。


「ったくボス、見つかるなと言っときながらあんたがやらかしてどうするんすか」

「非常信号出すなんざあんたらしくもねえ」

「うるせえ不可抗力だ。第一子守は嫌いなんだよ」


 対する反対側は少女を心配して日系青年が寄ってきた。


「ようアンジュちゃん、ボーイフレンドと感動の再会は出来たか?」

「もうリョウさんまで……」


 戦闘中、気の抜けた発言をしたのはリョウも同様だった。からかわれ、そっぽを向いて拗ねる少女。


『リョウ、聞こえるかい?』

『おう。しかし久し振りだなあ。“これ”結構頭がムズ痒くて面白いもんだ』

『君はリーダー格の髭の人物を引きつけてくれ。僕達二人では勝てそうになかった』

『はいよ。ところでアダムはどうなんだ? 今すぐ助けてやるべきか?』


 リョウが訊いた。アンジュリーナの灰眼が僅かに後ろへ逸れる。後ろ七、八メートルで転がっている大型ボストンバッグは沈黙している。


『無事みたいだ。だがまだ拘束具を外せていない』

『なら私が三人をできる限り止めます。でもあのリーダーみたいな人には特に気を付けてください。私でも完全に止めきれなくて……』

『オーケイ、俺がその隙にこじ開けて……』


 目を動かさずに答えるカイル。脳内で会議を繰り広げる最中、後ろで何かが発光したのを網膜に捉えた――ボゴン!


 振り向く。見えたのはバッグの中から立ち上る灰色の煙。


「おっと、よそ見は駄目だぜ?」


 パシュッ――空気が吹き出す音に誘われ、反転。目の前には細いロープ状の物体がこちら目掛けて飛来する最中だった。


 それも三本、それぞれの胸に当たったかと思うと両端が巻き付く。途端、ロープから閃光。


「痛えっ?!」


 大袈裟にリョウの叫び。ロープから発せられた電流が三人の筋肉を硬直させ、動きを止める。


 動けぬ反乱軍三人を差し置き、アルフレッドはリョウとアンジュリーナの間を通り過ぎる。一秒にも遠く及ばぬ時間の内に三人を拘束する痺れは消えた。


 振り向く。バッグを担ぐ男。

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