8 : Heat
コツン、コツン――堅い床を蹴るような音。
暗い。何故か後頭部が痛い。
コツン、コツン――音がする度、身体が大きく揺れる。
目を開ける。が、何も見えない。
何が起きているんだ? 手探りで辺りを把握しようとした。
しかし手は動かなかった。感覚がはっきりしてきた。
両膝を曲げた状態で両手はそれを抱えている。その状態から身体は動かない。枷や縄のような物が体を縛っているらしい。
視界は相変わらず何も見えないままだ。目隠しをされているのか。
だが分かる。自身を拘束する物体が光っているのが視えた。
いや、違う。光っているのではない。
この感覚は網膜を焼き付ける可視光線ではない。直接頭を刺激するような輝き、エネリオンだ。これが自身を止めているのだろうか。
「おっ? お目覚めか?」
低くしゃがれた声。
「言ってもどうせ何にもならんと思うが、お前を捕まえる任務でね。俺の肘打ち強かっただろ?」
こちらに伝えているのだろうと分かる。声は笑っていた。
「とりあえず何をやったって無駄だ。声も出ねえしその縛ってある奴は俺が壊せねえようにしてある」
まだ動けてすらいないのに、こちらの行動を先読みするかの如き発言。少なくとも抵抗は無駄らしい。
「ついでに言っておくが、俺は所謂バウンティハンターでね、何故お前を誘拐したのかはその雇い主しか分からん」
訳が分からない。言っても無駄だと自身で言っていた筈だ。
「しかしだ、俺にはそいつがとても気になるもんでな」
向こうは何やら唸っている。何が気になるのだ?
「スペック的には平均より少し上ってとこか? 戦闘技術は良いが、それだけじゃ雇い主が執拗に追いかけ回す意味が分からん」
ここまでして追ってくるのは確かに何故なのか分からない。管理組織側でも特に重要な秘密を自分は持っているのだろうか。
「だからよお、少し試させて貰おうかと……」
言葉が途切れる。
代わりに、聞き慣れた甲高い声が耳に入った。
「アダム君!」
「よく俺の場所が分かったな」
「アンジュ、嫌な予感がする。気を緩めるな」
「はい……」
アルフレッドがボストンバッグを片手に振り返った。その先には真面目に見詰める金髪の青年と、心配そうに眉をひそめる灰髪の少女。
髭面の男にとって少女の方は要注意していた存在だった。特に部下達からも一目置かれ、嫁にしたい人物ランキング一位となっている始末だった。
しかしもう片方の青年には見覚えが無い。少なくとも目的のアダムという少年の周辺人物は調べた筈だ。
「二枚目兄ちゃんよお、あんたのデータは無かったな。新入りか?」
「いいや、最近ここに越してきただけだ」
二十代だろうか。それには若干顔に幼さは残るが、落ち着いた口調からはそれ以上の年齢を感じさせる。
(コイツ、いくらトランセンド・マンでも俺の場所に気付くなんざ普通じゃねえな。エネリオン探知に引っかからねえように行動を抑え気味にしたが、何故だ?)
バッグの手提げ部分を肩に通し、背負う。一方、普段は優しげな顔で睨むカイルは考えを巡らせていた。
ただ考えるのではない。空間にある見えないものを“視る”――体表から感覚神経を通って脳へ、エネリオンの構造を変える。
ただし、変換するのは物理的な現象を引き起こすエネルギーではない。それはエネリオンを構成する情報そのものを作り替え、別の情報にする。
思考は情報であり、エネルギーではない。しかし、生物は思考を電気信号というエネルギーに変えて伝達する。
情報をエネルギーに変換できるのなら、逆にエネルギーを情報に変換する事も可能なのではないか。と一部の科学者は推測している。
それをカイル・アルベルト・ウィリアムズという青年は同じ状況をまさに実践していた。
エネリオンはカイルの思念を写し、脳から直接発射される。そしてアンジュリーナの脳に伝わり……
『アンジュ、聞こえるかい?』
『あ、はい。カイルさん?』
唐突、耳が振動されるのではなく、頭の中に直接呼びつけるような響く声を少女は“聴いた”。突然だったので彼女は驚いて、無言で背中を一瞬ビクッと震わせた。
『まずは外部に知らせなくては。僕が引きつける』
『一人で大丈夫なんですか?』
『専門じゃないけど、やるしかないさ』
ニヤリ、と髭面が歪んだ――瞬間、男の姿は消えていた。
ボコッ!――アンジュリーナの横二メートル離れていた青年が居なくなっていた。代わりに居るのは髭の男。
音がしたのは後方だった。振り向くと、五メートル先に両腕を頭の位置に掲げた青年がレンガの壁を背にしていた。
直撃は辛うじて防げたらしいが、背後のレンガは一部砕け、直径二メートル弱のクレーターが出現している。
「カイルさん!」
「大丈夫だ! それより……」
「おっと!」
壁にもたれかかったカイルが言うより先に、男性が少女の目の前に移っていた。
いつの間にか、アンジュリーナがポケットから出そうとしていた携帯端末を彼の手が奪い取り、握り潰していた。
「速過ぎる……」
「そんな……」
「出来りゃあ美人は殴りたくねえが、ここから逃がさねえ事くらい訳ねえ。いざとなったらダッチワイフ代わりにでもしてやるか、なんつって、ヘヘへッ。俺アルフレッドってんだ。よろしくな」
何もせず、不気味な笑顔を目の前の少女に見せびらかすだけ。しかし見せられた当のアンジュリーナは、腹の中をまさぐられるような不快感と嫌悪感を覚えていた。
『計画変更だ。せめてあのバッグの中に居るアダムを解放させる』
『分かりました……カイルさん、テレパシーってもっと遠くに繋がらないんですか?』
『いや、皆の場所が分からない以上は……せめてリョウが一緒に来てくれればなあ……』
仲間の反対側に立ってアルフレッドを挟むカイル。本来なら不利なところを、髭の男は依然と笑い続けていた。五十キログラム以上はある筈のバッグを背負いながら。
「チッ、ハズレかよ」
前世紀に住宅地だった廃墟の半分程壊れたアスファルトの通り。
(廃墟走る物好きなんてそう居ねえと思って熱を辿ってきたは良いが、二対一はキツいな……)
冷や汗を流すリョウの目先十メートルには、二人組の男。
「よく分かったな。まあ遊ぼうじゃねえか」
「一人じゃ心細いか?」
「いいや、ストレス発散には丁度良い」
両者とも向かい合うが、構えもしない。
その時、右側の金髪が頭を狙う跳び蹴り――対し、踏み込むリョウ。蹴りをくぐり抜け、彼の左サイドカウンターキックが腹へ炸裂、吹き飛ぶ。
しかし、次の瞬間には彼の軸足を衝撃が走る――黒髪のスライディングキックがリョウの左脛に。
背中から倒れた日系人。追撃に起き上がった黒髪が踏みつけようとした。が、食らうまいとリョウが手で掴んで止める。
体を起こしながら足を引き、相手を倒す。青年は投げ飛ばそうと持ち上げた。
途端、青年の背に痛み――戻ってきた金髪が再び繰り出した蹴りが押し飛ばす。
リョウはコンクリートの地面に背中を抉られ、止まる。一方の二人組は起き上がり、今度は斜め前方から挟むように迫る。
黒髪が跳び上がり、勢いを付けた肘を振り下ろす。左にスライドするリョウ。しかし避けた先には金髪が回し蹴りを放つ最中だった。
すかさず腕で頭を覆う――ブロック、勢いを殺しきれずのけ反る。逃さず、背後に回っていた黒髪が前蹴りで突き飛ばした。
よろめく青年に向かって金髪が横蹴り。日系青年は飛ばされ、道脇の鉄製フェンス突き破る。その先には既に持ち主のない一戸建て住宅。
「ヤロー!」
管理されず、草丈一メートルもの雑草が生い茂る庭を荒らして踏み止まり、突進。ボロボロの歩道に立つ黒髪の元へタックル。
勢いは減衰しなかった。片手で相手の足元を掬い、もう片手で腰を持ち上げ、走り続ける――その先には別の住宅。
グシャッ!――家の外壁が砕けた。リビングを暴走し白い壁のグシャリと突破。破片が飛散する中、リョウは敵を撥水性素材で出来た風呂床の上に叩きつけた。
「クソ野郎!」
近くにあったトイレの便器を引っこ抜き、荒々しく頭を殴る。セラミックの破片を撒き散らし、一瞬怯む相手。
更に体重を乗せた肘打ちを打ち下そうとした時だった。突如、バスルームの浴槽側にある窓が割れる。ガラス片と共に部屋の中に入ってきた靴先が……
侵入してきたもう片方の敵の蹴りを受けふらつき、来た道を戻ってダイニングのテーブルにつっかえ止まったリョウ。相手側は金髪が仰向けで倒れている黒髪に向かって「大丈夫か?」と言っていた。
「なんとか」と手を振り、体を起こす黒髪。二人の様子をリョウは睨んだまま動かない。
「どうした? そんな程度か?」
青年の服に付いた砂埃を見て言う黒髪。向こうも頭を押さえていたが、深手ではないらしい。
「いや、そうでもねえ」
と吐いたリョウは、ダイニングにあった無傷の椅子を引っ張り、座る。背もたれに掛かり、しばらくの間首を曲げたりため息をついたりしていた。
やっとの事で日系人は掌で膝を叩き、椅子から立ち直り、行儀悪く椅子を蹴って後ろにやる。果ては腕を頭上に伸ばしてあくびまでするリョウ。まるで緊張感が無かった。
「ようし! 存分にやらせてもらうぜ。サンドバッグになる覚悟はいいか?」
不敵に笑うリョウ。だが向き合う二人組はそれに反し、シリアスに顔を引き締めた。
青年の顔が怖かったからではない。二人は日系青年の周囲、空気が揺らいで見えたのを視認した。
「いいや、電子レンジの卵だな」
微かに熱気を感じる。途端、二人組の目には相手の掌が輝いて見えた――不可視のエネリオンの塊、それが手の一点から飛び出し……
瞬間、黒髪と金髪の間の床、素粒子の塊が衝突――熱によって空気が膨張し、床の木材は急激に酸素と結びつく。
その結果、建物は爆発を起こし、巻き上げられる火の粉。至近距離で爆熱を浴びせられた二人、怯む。その一瞬を捉え、リョウが床を踏む。
直後、青年は黒髪の懐まで接近していた。膝蹴りが腹を突く。壁に直径二メートルもの大穴を作り、驚愕の表情を浮かべた敵は飛び出し、柵を木片に変えつつ隣の家の壁にクレーターを生み出して止まる。
「何っ?!」
一瞬で仲間が隣から消え、代わりに相手が居た事に動揺した金髪が反射的に右フック。
日系人が掲げた左腕がガード。瞬時に腰を回転、右肘を相手の伸ばした腕の肘裏に叩き込む。
ベキッ、と敵の腕を極めた。更に青年は右膝を掲げ、横へ素早く靴裏で突く。
間接の痛みが残ったまま胸に強いショックを受け、金髪の男は勢い良く後退した。しかもその先にはまだ立ち直れていない味方。その後、彼らは団子状態でクレーターを破って隣の家に強制訪問させられる事となった。
「今年最初のキャンプファイアーだ!」
腕を突き出したリョウ。体表から脳を通り、神経経由で掌へ――熱エネルギーを生み出す性質に変換されたエネリオンが、隣家に向かって飛翔。
木製家屋から巨大な爆炎が上がる。柱の一部が破断したのか、建物の四分の一程がメキメキ崩れた。そして、視界端には吹き飛ぶ人影が二つ。
引火し、たちまち炎を巻き上げる建物。本来なら消防車を呼ぶべき状況だろうに、青年は驚くどころか見向きもしない。そして路上に出た敵二人の元へ、歩み寄る。
「マシュマロになった気分はどうだ?」
「へっ、溶けもしねえよ。ランタンくらいには明るかったかな」
ひび割れた舗道の上で黒髪は強がった。だがジャケットやカーゴパンツが焼け焦げた姿では、説得力は今ひとつだ。
「クッキングタイムだ。食材は新鮮さが命だ、分かるな?」
無人の道路の反対側、リョウの顔が笑みに歪む。エネリオンが神経を通る活性化した流れが見える。
しかし別の異変が起きている事を金髪の男は察知していた。
寒気がした。目の前の若い男が怖い訳ではない。
思わず足元を見ると、路上に白い霜がこびりついていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます