9 : Ring

 昔からどこの兵士達も、日々様々な兵器の整備や訓練を怠らない。戦争中であれば尚の事だ。


 それは兵器として革命的な力を持つ、トランセンド・マンもまた例外ではない。エネリオンの変換・使用は筋肉と同様、使用の継続によって強化も可能だが、使わなければ衰える場合もある。それに戦闘の勘というものは、経験を積んでからこそ発揮されるのだ。


 ちなみに、トランセンド・マンの身体的性能は脳の処理速度だけでなく、筋肉や神経どころか、全体的な肉体までも間接的に関わっているとされている。正確な理由は不明だが、肉体の形そのものがエネリオン変換機関として成り立っている、という説がある。


 これはトランセンド・マンがダメージを負ったとき、エネリオン出力が低下するというデータや、人間以外でエネリオン変換が出来る生物が現在のところ皆無という情報に基づいており、最も有力な説ではあるが検証にまでは至っていない。


 それはさておき、ロサンゼルスにある反乱軍基地のとある一室では、床が緩衝マットで出来た闘技場がある。そこで二人一組になって投げ技の練習を行う兵士達を余所に、一台のテーブルが置かれていた。


 テーブルは直径一・八メートルの円形。装飾は無く、支柱は一本だけ。だた、このテーブルの用途は他の物とは明らかに違った。


 一組の男女がテーブルの上に立ち、それぞれの腕を激しく打ち付け合っている。それに応じて台はグラグラ震えていた。


「へっ、弱っちいな。もっと鍛えやがれ」


 自身へ迫り来る手を払いのけながら煽るのは茶目茶髪の男性、リョウ。向かい合う銀髪青目の女性、クラウディアは何も言わず、ひたむきに攻防を繰り広げる。


 卓上の打撃の対決を見物しているのは、黒目黒髪のハン青年と、残るは未成年が二人、アダムとアンジュリーナ。一手一手を見逃すまいと黙々観戦していた。


 台の上に視線をやると、リョウの右拳が女性の顔を狙って繰り出された。


 それを上から手ではたき逸らす──防がれた、と青年は連続してパンチを繰り出すが、クラウディアは手で全て外側へいなした。


 打撃の合間を突いて肘打ち。リョウの掌はそれを真正面から止め、全身を後退させて衝撃吸収。テーブルも後ろへ大きく傾く。


 青年の足がテーブルの端を踏んだ。直後、彼は揺れる台をバネに、跳び上がって回転後ろ蹴り。


 女性がしゃがみ、頭上を脚が掠める──続いて回転下段蹴り。彼女の身が跳ねて躱した。


「もらった!」


 卓上の淵に立たされる相手を逃がさず、リョウが叫び、ジャンプしつつ両足蹴り。


 瞬間、クラウディアの両腕は蹴りを上へ跳ね上げ、リョウの身が後ろへ一回転。攻撃を阻止したクラウディアは、ふらついた足でテーブルを蹴った。


 反作用で女性の身体は、テーブルの反対側に着地した青年に接近、膝蹴り。


 「舐めんな!」青年は真っ向から突進し、同じく膝蹴りで挑む。


 ボゴッ!──テーブルの上方一メートルでは、青年の膝は女性の腹に、女性の膝は青年の腹に、それぞれ食い込んでいた。


 直後、二つの姿は勢い良く反対方向に吹き飛び、テーブル下に敷かれたスポーツマットの上に転がった。


「お前試合中くらい静かに出来ないのか? うるさいぞ」

「知らねえよ、騒音検知器かお前は。ちくしょう、また引き分けかよ」


 間髪入れず、憎まれ口を叩き合う男女。リョウの元へは中華系の同年代の青年が、クラウディアの元へはスラヴ系の十代程の少女が、駆け寄った。


「リョウ、力が入り過ぎだ。それに落ちれば訓練の意味無いし……」

「るせえ、普段から人を怒鳴ってばかりいる恨みだ」


 ハンが差し伸べる手を払い、のっそり起き上がる日系人。彼の茶系の目はテーブル反対側の女性を睨んでいる。


「クラウディアさん大丈夫でした?」

「まあまあかな。セクハラ男に一泡吹かせる事が出来て良かった」


 アンジュリーナの手を借りて立ち上がる北欧女性は、視線を感じ取ってにんまりと笑う。


「こっちこそパワハラ女を成敗してやりたかったぜ」

「柔軟さが大事だ。お前は無茶苦茶過ぎる」

「勝てば良いんだよ勝てば。ちくしょう、せめてテーブルがもっと広けりゃあよお。踏み込みにくいんだっての……」

「でもこの訓練は限られた状況下を想定した戦闘なんだし……」


 男女の発展しかけた口論を東洋人が横からなだめた。クラウディアは何処か得意げで、反対にリやつれた顔のリョウ。


「武器なら負けねえんだがな……おいハン、俺のストレス解消相手になれ」

「全く、君はもう少し穏やかになれないのかい?」

「あーあ、これだからアジア人は説教ばかりしやがって……」


 日系青年はうなだれてマットの上に寝転がり、残る全員は白い目で見る。


「りょ、リョウさん、試合だから良いじゃないですか。次に勝てば良いんだし……」

「そうだぞリョウ。男ならボサッとするな!」

「ウワアアアアア……イヤダー……」


 見ていられなかったのか、女性陣が寄って励まそうとする。それでも意地を通し、床に顔を沈めるリョウ。観察していたハンは肩をすくめた。


「リョウは機嫌が悪くなるといつもこうなんだ……何ならアダム、君はどう?」


 苦笑し、隣で呆然と眺める少年に向かって言ったハン。ちょっとした冗談のつもりだった。


 しかし、それに対する返事は予想外だった。


「やりたい」


 何もおかしくはない、たった一言。ハンは意外感を覚え、アダムを見直していた。


 反応したのは彼だけではなかった。離れた所でアンジュリーナは少年に向かって振り返っており、その隣でクラウディアが様子の変化に気付いて同じ方向を向く。


「ほう? 良いのか?」


 最後にうめき声を上げていたリョウがうつ伏せのまま顔だけを上げ、嬉しそうに問う。


「どんな相手にも対応出来る必要がある」

「てめえ、俺に勝つつもりか? ガキ相手でも容赦しねえぜ?」


 無表情のアダムからの真面目な答えに憎まれ口を叩くが、青年は口の端を上げていた。気付けば立っている。


 三メートルを一跳び、リョウはテーブルの中央へ着地した。端へ寄り、台が三十度ばかり傾く。


 無言でアダムも反対側へ立つ。テーブルはシーソーの如く左右に揺れたが、やがて重量差で若干青年の方へ傾いた所で止まった。


「ロデオは得意か? 負けてもテーブルの機嫌が悪かったとか言い訳すんなよ」

「ああ」


 長く述べる青年に対して、返事は極端に短かった。拍子抜けたリョウは横でこちらを眺めているハンを見ると、言う。


「合図してくれ」

「良いのかい? じゃあ位置について、用意……」


 卓上の双方が構えた。やや大きな青年は左半身を前に、両手で顎を守るボクシングスタイル。向かうは少年、右半身を前に、右平手は顎の位置、広げた左手で腹を覆う。


「始め!」


 威勢の良い合図と共に、二つの姿はテーブルを蹴った。


 リョウの左ジャブを素早く繰り出し、一方でアダムは半身の捻りを加えた左ストレートを仕掛ける。直後、両者の前腕部が中央で衝突した。


 結果、ウエイト勝負を掛けた少年が自分より大きい筈の青年を突き飛ばした。驚愕に顔を歪ませたリョウはテーブルギリギリで踏み止まる。


 次にアダムが踏み込んで横蹴り。やむを得ずリョウはジャンプして躱し、二人の位置が入れ替わる。


 今度は青年が前進──左右の拳が角度を付けて交互に打ち出される。少年も応じて上半身を左右に揺らす。


 上半身を左右に揺らしてアダムは避けるも、引き下がり、とうとうテーブル端に追いやられた。


 リョウが右ストレートを出し、アダムは左へ頭を傾ける──ニヤリ、と青年が不適に笑った。


 直後、彼は身を反時計回りに、左足の回し蹴りで少年の左側頭部を狙う。自分と相手の相対速度を合わせて威力を倍増させる、典型的なカウンターだ。


 ボゴッ!──咄嗟に掲げられたアダムの腕がキックを防いだが、残った勢いに打ち負けて横へふらつく。


 更に青年から、同じ回転方向の下段回し蹴り──アダムは衝撃に脛を刈られ、背中から倒れる。


 テーブルが傾く。少年はバウンドした。背中のの左半分に至っては足場から外れていた。苦し紛れに仰向けのまま腹に向かって蹴る。


 難なく向こうの抵抗を手で弾いたリョウ。一方で少年はすぐさま立ち直り、今度は彼が拳の連撃を浴びせる番だった。


 角度を付けて左右からフックやボディを打ち込んでいくアダム。青年の上げた両腕が防ぐが、確実に押されていた。


「おいおい、最初の勢いはどうした? もっと打って来いよ!」


 にも関わらず、リョウは減らず口だった。口元はほころび、「来い」と手をヒラヒラさせている。


 アダムが前蹴りを出そうと左足を腰の位置まで上げた時だった。


 青年が後ろ足で足場を勢い良く踏み、ジャンプ──ガタン、とテーブルは傾き、更にテーブルは蹴り途中の少年までも空中へ跳ね飛ばす。


 ウエイトを失ったキックをリョウの手ははたき落とし、彼の真っ直ぐな膝蹴りはアダムの胸を突き刺した。


 吹き飛ぶ少年のつま先がテーブルのへりに着く。不安定な足元をものともせず、台の弾力を生かして、飛ばされる反動で跳び上がった。


 宙を舞うアダムが相手目掛けて左右の足から連続蹴り──青年は手で叩いて防ぐ。


 前進したアダムは着地し、続けて拳を連続。腕を掲げてガードするリョウ。


 青年が一歩退いた。パンチが届かない──直後、リョウは腰を捻りつつ後ろ回し蹴り。


 すると、少年の身体が沈み、膝立ちになりながら腕を薙ぐ。結果、リョウの蹴りは空振り、アダムの腕が相手の軸足を殴る。


 リョウは脛に感じた衝撃に成すがまま、テーブルに身を伏した。アダムが場外へ蹴り出そう詰め寄る。


「ヤロー!」


 台に手を着いて支えにし、横蹴り──防ごうとアダムは胸の前で腕を交差させた。


 来るべき衝撃は来なかった。代わりに、長い両足が少年の首を挟んでいた。


 体を回し、アダムをテーブル上に引き倒すリョウ。更に相手の腕を手前に引っ張り、片足の内腿を首の後ろに回して、もう片足の内腿でその足首を固定する三角締めだ。


「どうだ? まいっ…」


 ゴキッ!──堅い物体が折れたような音だった。自身の勝利を確信した言い草のリョウは思わず驚いて黙った。試合を見ていた三人も、得体の知れない音に動揺を隠せていない。


 次の瞬間、捕らわれて動けない筈のアダムはスルリと束縛から抜け出していた。そして、背中を地にした体勢のリョウを、足先が蹴り上げる。


 直後、青年の身体は斜め四十五度方向へ浮き、観戦する三人の足元に背中から墜落した。


「……なあ、今の何だったんだ?」


 立ち上がり、何処か呆気に取られているリョウ。しかしギャラリー達は何も答えず、青年の背後を呆然と見ている。好奇心に駆られ、リョウは振り向いた。


 依然としてテーブルに立つ少年の姿があった。何故か右腕をだらしなく垂らしていた。


 すると、アダムは左手で右腕を持ち、肩へ押し付ける――ゴキッ、と鈍い音。


「さっきのはわざと脱臼させたのかい?」

「ああ」


 一番最初にハンが声を掛ける。即答し、アダムは右腕を動かして無事だと証明した。「脱臼」というフレーズを聞いて、口に手を当て心配していたアンジュリーナはホッと息をつく。


「凄いな、まさか出来るなんて……」

「一体どういうこった。ハン、教えてくれや」


 感心するハン。リョウは頭上にクエスチョンマークを浮かべていた。


「関節を脱臼させて拘束から抜け出すんだ。勿論危険でもあるけどね……しかし、故意に脱臼させるにせよ、自分で戻すにせよ、そんな技を一体どこで覚えたんだい?」


 普段の冷静な態度とは何処か違い、何故か興奮して中華青年は尋ねた。


「敵が使っていた」

「成程、コツを掴むのが上手いのかな……」

「でも、さっきのは身体的な負担としても、隙を生む事としても危ないんじゃないのか?」


 ひとりでに呟き、何かを考えるハン。そこへクラウディアが問い掛けた。


「分かっている。だがあの時点で落としたなら、ルールとしては大丈夫な筈だ」

「駆け引きに強いのか……だがアダム、訓練とはいえ自分が生き残る事が戦いの目的だぞ。試合みたいに条件が整っているとは限らないし、例えば他にも敵が居るだとか、常に最悪な状態を想定するんだ」


 冷静な説明に頷く北欧女性。しかしその後はまるで学校の先生の如く、厳しめに諭すのだった。その表情は困り顔でもあったが、何より教えたいという優しい意思があった。


「ああ。多用するな、という事なのだろう。先程のように当然使うタイミングは決めている。当然訓練と実戦は違うと分かっている」

「ならばよろしい。ちゃんと自分で判断出来るのは実践できている証拠だ。意地でも突っ込もうとする男とは大違いだな」


 アダムは表情一つ変えず返す。冷酷とも見える顔だが、クラウディアにとっては一言一句に誠実さが感じられた。


「頭が痛えよ……ギャンブラー気質だな。だがもう見切った。次は通じないぜ」


 北欧美人の青い目からの視線に刺されながら、笑顔で捨て台詞を吐く日系アメリカ人。腕をまくり上げる。


「こちらも手は考えている。戦い方は大体分かった」

「ほう、言うじゃねえか。土俵変えて圧勝してやりてえところだが、次こそテーブルから落としてやる」

「よしアダム、私が太極拳を教えよう。他の武術と組み合わせやすいし、リョウをボコボコに出来るぞ」


 少年の青い瞳を見詰め、ニヤリと鋭く笑うリョウ。と思ったらクラウディアが余計に放った一言によって、たちまち「てめえ!」と癇癪を起こすのだった。


「楽しそうですね」

「そうだね。ちょっと僕も行ってこよう」


 話題が武術だからなのか、ハンは楽しそうに、喧嘩する男女と傍観する少年に加わった。何やら身振り手振りで武術の技を教えているのが見える。男女も罵倒し合う事をすっかり忘れ、それぞれ笑顔でいた。


 その脇、アダムが何やら口を開いている。アンジュリーナには聞こうと思えば聞ける音量だったが、彼女には仕草の方に集中していて耳には入ってこなかった。


 しかし、更に気になる事があった。喋って動いているからなのか、少年の口元はほころんでいるように……


「……あっ、私にも教えて下さいよー」


 ぼうっと景色を眺めていた結果、遅れて反応したアンジュリーナ。手を振ると気付いたリョウが手招きし、気を取り戻して会話に混じったのだった。

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