7 : Accept

 突進――相手のサングラスへ向かう右ストレート。


 それをジャンは腕でブロック、そして右フックで反撃。だが、マルクの身体は下へ潜り込んだ。


 低姿勢のまま左右のボディブローを連発。ジャンの両手が交互に攻撃を上からはたくだけで当たらない。


 打ち続け、不発が続く。突如、少年が一歩踏み込む――右アッパーカットが顎へ一直線。しかし拳は空を殴った。


「どうした? もっとやれるだろう」


 距離を起き、サングラスを掛けた顔が笑って挑発する。走るように間を詰める少年――左右の拳を交互に突き出す。大人の姿は後ろへ後退しながら、様々な方向のパンチを体の動きだけで躱した。


 側頭部を狙うマルクの左フックをしゃがみ避け、右拳でその腕の肘を殴り上げた。


 続けて無防備な腹へジャンのブローが炸裂――鈍い音を立て、小柄な身体が五メートルばかり後ずさる。


「殴ろうとするだけでは当たらんぞ」

「でも当てるだけじゃ倒せねえじゃねえか」

「それはどうかな?」


 橙色のレンズの奥があざ笑った。触発され、赤い髪を揺らし踏み出す少年。


 マルクが右手を前に――ジャンが左手で外側に逸らしながら、右手刀を首元へヒット。痛みに驚いた少年が左手で除けようとする。


 その上からまた大人の手が横へ逸らし、更に上から少年の手が……双方の回転するような連撃のぶつかり合い。


(動け!動け!)


 苛立ち。自然と歯を食いしばっていた。突如、腕が止まる。


 二人の間では、それぞれの腕が複雑に絡み合って、動かそうにも動かない。拮抗を解くべく、少年の両手が相手を押し込もうとする。


 突然、ジャンの体が沈み込んだ。と思った次の瞬間少年は抵抗を失い、勢い余って相手を飛び越えてしまった。


 床を転がって場外ギリギリの所で体勢を立て直す。振り返った時、ジャンはリング中央で静止していた。


(当たれ!)


 常人には捉えきれぬ走行。同時に左前蹴り――瞬間、大人の姿は短くスライド。半身全体を捻り、ウエイトの乗った体当たりがマルクを直撃した。


 再び場外線まで押しのけられたマルク。懲りずに駆け寄り、今度は多様な連続蹴りを仕掛けた。


 左ローキック、左ハイキック、右半身を前にミドルキックを四連続、右後ろ回し蹴り――全部手だけで止められたが、相手は一歩一歩確実に退いている。


 続けて回転しつつ跳び上がり、四連蹴り。しかし相手が一歩下がるだけで躱されてしまう。ならば、と着地して踵落としを放った。


 一歩前進――少年の振り上げた脛がジャンの肩に止められた。すかさず大人の足が、不安定な相手の軸足を払う。


 バランスを失い、マルクは地面に伏した。背中を踏まれ、相手の拳が目の前で止まる。勝利宣言だ。


「クソッ!」


 屈辱に突き動かされ、向こうが踏む足を押し返し、すぐさま立ち上がる。ジャンは依然として構えずに立っていた。


「威勢だけは一人前だな」

「ふざけるな!」


 苦し紛れに走り出す少年。大人も一拍遅れて前進した。


 踵を踏ん張り、衝突――鈍い音と共に、マルクの姿は後ろ向きに宙を舞った。


 横蹴りの体勢から戻り、サングラス越しに場外まで吹き飛んだ少年の姿を見ながら、言った。


「そんなもんじゃ遅いし、当たらねえし、第一勝てねえ。何故だと思う?」


 問い掛けても少年は答えない。それどころか、赤い目でサングラスのレンズへと睨んでいる。


「怒りは動きを相手の手に取らせてしまうぞ。感情や考え、無駄な物は一切消せ」

「じゃあどうすりゃ良いんだよ!」


 マルクが不満を募らせた。一方、大人の方は平然と言葉を並べる。


「感じろ。目先だけに囚われるな。勝利は手に入らん」

「目先、か……」


 少年の顔がほぐれた。


「そうだ。先を知れば素早く動ける。より速く、それが武術の極める所だ」

「具体的には?」

「さあな、経験を積んでいかなくては分からん。お前が辿り着けるのはお前自身だ」

「……良く分からん」


 怒りを忘れ、静まる少年。ジャンはそれを見て余裕の笑みを浮かべている。


「分かるさ。いずれその時が来る。俺だってそうだった」

「よくも根拠も無く言えるな」

「そういうもんだ。そう深く考えるな。休憩するぞ」


 ジャンは簡単に割り切り、闘技スペースから降りる。マルクも続き、唯一の観戦者の元へ歩み寄った。


「どうです中佐? 中々面白い戦い方でしたでしょう?」

「済まないが、速過ぎて私には全然見えなかった……」

「それは失礼、でも私が保証します。これからを期待してやって下さいな」

「お前がそう言うのなら期待できそうだな」


 少年と同色の髪と目を持つ中年男性、ディック中佐は感心するように言う。その台詞を聞いていた少年は、中佐へ何か視線を送った。


 意味ありげな、少なくとも負の感情ではない、まるで何かを期待するような眼差しだった。それを察した中佐だが、あえて振り向かなかった。


(何故だ。何故俺を見ない)


 不満を心の中で嘆く。無言だったが、歯を噛み締めているのは外から見ても分かる。


 しかし、マルクは何故自分がそんな他人の視線を気にするのか、分かっていなかった。無意識に疑問を受け入れていた。


「まああの性格だから時間は掛かりそうですが」

「それもそうだな」


 何気なくサングラスの男が呟く。ディック中佐も苦笑気味に賛同した。


(何故俺を認めない)





















 ロサンゼルス、反乱軍施設の医務室。


「すまんな、休みだというのにわざわざ呼び出して」


 キャスターと背もたれの付いた椅子に座りながら、白衣を着て申し訳なさそうに言うのはチャック・ストーン医師。


「構わない」


 向かい合って応じるのは、背もたれもない簡素な椅子に腰掛けるアダム。


「それで、アダム君はどうなんですか?」


 今度はアダムの隣、同様に背もたれ無しの椅子でアンジュリーナが背筋をピンと伸ばしている。二人よりも深刻に眉をひそめてもいた。


「アンジュ、別にガンじゃないんだから気楽にしとくんだ。ちょっとした検査だよ」

「あ、はい……でもやっぱりちょっと気になりますし……」

「本人でもないのに熱心だな。こんな奥さんが欲しかった……」


 アイルランド中年男性が呟く。一方、相対する二人は無言で待っていた。少女に至ってはきょとんとしている。


「では取り直して……少年、この前血液検査しただろう」

「ああ」

「実はそれから血液中に面白い物質を見つけてな。これだ」


 チャックが机からタブレット型端末をたぐり寄せ、数回指をパネルに触れると裏返す。若い二人は、点と線で出来た多角形の構造物を目にした。


「これって一体何ですか?」

「簡単に言うと一種のナノマシンだ。分子が大きいから体内に吸収されずずっと残っているらしい」

「ナノマシン……」


 少女の疑問に答える中年男性。アダムが何かを呟いた。


 何かを注射された――夢なのか記憶なのかは定かではない。だが鮮烈に覚えている。


 その注射された物体というのはナノマシンだというのか。ではその目的は何か――疑問が尽きない。


「それでこのナノマシンなんだが、単純に電子の吸収と放出しか出来ないらしい」


 アダムの内なる疑問に答えたのはチャック。彼の顔は何故か楽しそうに活き活きとしている。


「それじゃあ一体どんな目的なんでしょうか? 何か刺激を送るとか」

「最初はそう思っていたが、この物体の放出する電力は最大でも生体電気並みにしか無かったんだ。トランセンド・マンへ刺激を与える分には少々足りんくらいだ」


 アンジュリーナがナーバス気味に問う。一方、答えるチャックの顔つきは何かを楽しんでいるようでもあった。


「そこで、ちょっと仮説を立てた。触媒ってのは特定の物質に作用するんだが、このナノマシンも触媒の一種なんじゃないかとみた。しかし調べたら人体を構成する物質には全然作用しなかった」


 ストーン医師がわざとらしく間を空ける。答えてくれ、と言わんばかりに。


「……じゃあその作用する物体がアダム君の体内にあるという事なんですか?」

「その通り。それで今から調べようと来て貰ったんだ」


 少女の解答。チャックは嬉しそうに肯定した。そしてアダムの方へ向く。


「で、早速だがあっちに寝そべってくれんか」

「分かった。これは何だ」


 短く返事と問い――少年は白いベッドらしき台を示した。その奥には人一人強が入るだろうスペースの空いた筒状の設備。


「MRIだ。磁気を照射して身体の異常を見つけるんだよ。金属か何かを身につけていたら外してくれ」


 それを聞くと、アダムはまず身に着けていたジャケットを脱ぐ。その下にはショルダーホルスターがあり、少年のウエストの両サイドには拳銃二丁がぶら下がっており、それを傍のテーブルに脱ぎ捨てる。ホルスター左側にはナイフも鞘に収まっていた。


「最近の若者は物騒だな……」


 少し呆れたチャックが呟く。そして金具付きのベルトを外し、アダムは台の上に仰向けに寝る。


「ではしばし待っとくれ」


 チャックの指が手元の端末に触れた。途端、甲高い金属を鳴り合わせるような音――共に少年を乗せた台が円筒形の隙間へゆっくりと入っていった。


 台が止まった。MRIの内部は白く、一切の汚れも無い。しかし、それがかえってアダムにとっては落ち着かなかった。


(あまり良い気分ではない……)


 何せ、かつて自身が捕らえられていた地球管理組織と似た無機質な空間なのだ。しかも機械音が相まって気味が悪い。


 しばらくして、台が今度は逆方向に再び動き出す。景色が無機質な機械から多少雑多な医務室に切り替わった時、軽く息を吐いた。


「ご苦労。キャンディでもやろうか?」


 半分冗談めいてチャックが、台から降りるアダムへ棒付きキャンディを差し出した。アダムがそれを無言で素直に受け取ると、流石に拍子抜けたが。


「……見てみるか?」


 気を取り戻し、端末をなぞって対する少年へ見せた。アンジュリーナも寄り、真剣に見詰める。


「精度は昔よりずっと良いから、脳波パターンによる個人の違いまで見分けられる。血中のナノマシンの電気が反応する部分も分かる筈だ」

「あっ」


 少女が気の抜けた声を発した。同時に指を一点に指し、残る二人が注目する。


 アンジュリーナの細い指先には、首と後頭部の間、そこに磁気を発する証拠として僅かに白くなっている箇所があったのだ。長さはほんの一センチメートルにも満たないだろう。


 医師が画面をタッチした。途端に画像が揺れ動く。磁気分布映像に切り替わったのだ。


 問題の物体は依然と発光している。精度の良い証拠として、ナノマシンの微弱な電気を示す発光が血管中をうごめいていた。


「またチップの一種か? しかし妙だな。少年よ、以前お前の首に管理軍がビーコンや識別に使うチップが埋めてあったんだが、そっちはもう取り除いた。だとすればこっちは一体何の目的なんだろうなあ……」

「いや待て、これを……」


 アダムが画面を指差す。それも、数カ所。


 白く四角い領域が、首と同様あらゆる内臓にあったのだ。チャックもアンジュリーナも、落ち着いてはいられなかった。


「こりゃあ正直怖いぞ……」

「大丈夫、なの……」


 アダム自身、心臓の鼓動が速くなるのを感じていた。


(一体管理組織に何をされたんだ)


 それと同時に、ある考えが過ぎる。


「早く摘出してくれ」


 自分が管理されている、そう思うだけで少年は未知の何かに揺れ動かされそうだった。それが恐怖という概念である事も知らず――ただ逃げたい。


「わ、分かった」


 少年が早口だったので、その勢いに医者は怖じ気づきながら返事した。連鎖するように少女まで胸の前で手を組んでいた。


「少々数は多いが、数十分で終わるよ。望むなら今早速始めようか?」

「頼む」


 アダムの青い瞳が鋭さを増す。威圧されたストーン医師は重い腰を持ち上げると、部屋から廊下に出るドアを開け、若い二人を手で招いた。


 真っ先に部屋から出ようとするアダムを、アンジュリーナは後ろからただ見守っていた。

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