6 : Underground

 ロサンゼルスより北へ千九百キロメートル以上も離れた、旧カナダのカルガリー市。西側には雪に覆われた広大なロッキー山脈が見える。


 平野に立ち並ぶ高層ビル群。これらは全て地球管理組織の支配下に置かれたものだ。


 二世紀以上も昔から石油資源に恵まれ、枯渇の可能性がある化石燃料の国際的な使用が減少し始めた西暦二〇三十年代までその発展は続いた。その後、石油の儲けは積極的に観光地や不動産等に投資され、第三次世界大戦前までは繁栄し続けた。


 大戦時、管理組織はこの都市をそのまま利用すべく壊滅ではなく制圧に追い込んだ。特に最小限に被害を抑えられる判断力を有する、汎用人工知能を搭載した制圧用ロボットは猛威を振るった、といわれている。


 ともかく、積み重なった文明の残ったこの都市では更に改装が進み、管理軍の要塞と化していた。人口は約二百万人。住民達は皆厳重な管理体制下に置かれている。


 縦にも横にも広い都市では、ビル達の間を地上だけではなく、高さ五十メートルもの高架道路が結んでいる。


 地面にタイヤを着ける自動車の構造は基本的に発明されてから今まで変化していない。しかし、動力源は電磁誘導によって道路に埋め込まれた電線から供給される電気であり、運転も情報統制が進んだ管制システムによる自律操縦によるものである。これによって渋滞も交通事故も撲滅的に解消された。また、公共交通機関の必要性も失われた。


 ボディも複合材料によって大幅な軽量化が図られ、様々な性能の向上にも繋がった。更にタイヤは分子構造に至るまでの素材改良によって対摩耗性、燃費、低騒音性が格段に向上している。また、雨天時等はナノレベルで設けられた排水溝によって、路面が濡れていてもグリップを維持する事に成功した。


 アスファルトも進歩した。具体的には放熱性や通水性の向上、そして保水性までも持ち、高架道路の道脇には硬い人工の地表から生える並木が、それを証明している。


「しかし、組織共は何かと規制する癖に木だけは植えるのか」


 地上五十メートルのハイウェイ、等間隔に並んだ皆同じ流線型の形状の車両達の中の一台。その中の人物は四人乗り用自動車の右前の席に、腕を組みながら座っていた。他の席には黒いボストンバッグがズラリ。


 独り言は車内で充満する。実は車内には管理組織が監視する為のカメラやマイクが付いており、行動や発言は全て記録される。特に危険な言動だと判断された場合は、管理組織が注意人物として自動的にマークするのだ。


 にも関わらず、彼はそれすらあざ笑うかの如く、ニヤリとカメラへ向かった。小型カメラは黒目黒髪で髭面の男の笑顔を管理軍のデータベースへ送るだろう。


 無機質なビル街の景色が続くハイウェイを走破し、やがて道路の端にある降下レーンへ入った。揺れは空気圧式のサスペンションが快適に制御してくれる。


 日光が半減した。一方、建物の影に覆われた車内の人物は相変わらず笑っていた。邪悪に見えるくらい。


 日の光が届きづらいビルの麓を迷い無く走る事数分、自動車はある地下駐車場の中で停車した。日光などもはや見えまい。


 それに反してこの車の持ち主は何が楽しいのか、まだ笑い続けている。彼は昔ながらの盗難防止キーを抜き、ドアの鍵もわざわざ手動で掛け、地下駐車場から建物に通じる入り口の前へ来た。


「よう、景気はどうだ?」


 彼はそう言ったが、周辺には誰も居ない。彼はエレベーターのような横開きドアの上部にあった、監視カメラへ笑いかけていた。


 ドアの前へ歩み寄る。そして目の前にあったドアスコープらしき物を覗き込んだ。


 ピッ――戸は横に開いた。中の一平方メートル強程度の小さな部屋へ入り、そこの壁にある下方向の矢印の付いたボタンを躊躇無く押した。


 体が浮き上がるような感覚を覚えた。しかしその時間は一秒に満たず、再びドアが開くと、先刻の地下駐車場とは違う風景が待ち受けていた。


 小部屋、エレベーターから足を降ろす。まず彼を出迎えたのはストロボの派手な光と、それに見合った派手な低音帯の揺れる曲。恐らく西暦二〇〇〇年代のトランスと呼ばれる電子音楽か。それらを無視し、髭の男は正面のカウンターへ腰掛けた。


「いつものくれ」

「あいよ」


 寄ってきたバーテンと無愛想な言葉を交わし、バーテンの方は傍の酒類の並んだ棚、には手を付けず、厨房奥へ姿を隠した。


 酒の代わりに出された氷入りの冷水を全部がぶ飲みし、氷をガリガリ歯で砕きながら周囲を一望する。


 席は半分程埋まっている。一人で酒に浸っている者も居れば、数人で会合を楽しんでいる者も。いずれも、管理社会では滅多に見られない光景だ。


 そんな事を頭の片隅に、彼はボサボサの髭を撫でながら景色の一点に着目した。


 奥の方にある二人がけのテーブル席、一人の男性が頬杖をついて腰掛けているのが見えている。その人物は目の前のグラスに注がれた酒を一口上品に含み、警戒心丸出しでキョロキョロと周囲を見渡していた。店内の激しい照明のせいで人相は良く見えない。


「俺ちょっとあっちの席行ってくる」

「アルフレッド、“仕事”は程々にな」


 氷だけの入ったグラスを抱えてアルフレッドと呼ばれた髭面の人物は立ち上がった。バーテンへ言い残し、忠告を耳にすると早速目的の人物の正面へ座り、グラスを置いて卓上のポットから水を注ぐ。


「また役人かよ」

「古い表現だな」

「まあ構わねえけどよ。元々あんたみたいな“表”で動けねえような奴の代わりに“裏”でやるのが俺の“仕事”だがな」


 水を一口、そして無表情の相手の姿を確かめる――小柄で年齢は四十代程か。彫りのやや深い顔立ちはギリシャ系にも見える。カラフルなストロボで見えにくいが、髪はどうやら赤いらしい。


「私はクリストファー・ディック。今日は折り入って……」

「そんなシケたツラすんなよ。気楽に行こうぜ」


 クリストファーと名乗った赤毛の中年男性、管理組織でディック中佐と呼ばれていた人物に間違いなかった。彼の潜めるような声に対し、ニヤけているアルフレッドはその空気を一瞬で取っ払う。


「……では、早速だが、ある人物の捕獲を依頼したい」

「ほう、捕獲とは少々手が掛かりそうだな。殺しならまだ楽勝だが、どうしてもか?」

「ああ、どうしてもだ……」


 中佐は語尾こそしっかり言ったが、やがて自信を無くしたかの如く黙ってしまった。


「アルフレッド、商談はどうだね?」

「久し振り良い運動になりそうってとこかな」

「目立ちすぎるなよ。ほら、いつもの奴だ」


 バーテンは忠告しつつ、テーブルに少々焦げついた肉の塊を置いた。躊躇無く両手で食らいつく髭を生やした男。


「で、どんな奴?」


 口に食事を含みながら話を再開する。クリストファーは、失礼さに対しては何も言わないが、気味悪く視線を返しながら喋りだした。


「この人物だ。名前はアダム・アンダーソン、身長は百六十センチメートル後半。詳しい事は裏面にも書いてある」


 中佐は一枚の写真をテーブル上に出した。この時代で紙の印刷物は、機密文書等に使われる事が大部分だ。


「重要らしいな」


 それを察し、食べ物を噛みながら口の端を吊り上げるアルフレッド。油で汚れた手で写真を引き寄せ、裏返す。数字や文字が並んでいた。


「これは当然“あんた側”の奴らにも極秘って事で良いんだな?」

「そうだ。他に何か?」


 ディック中佐は深刻な表情で問い返す。対して髭の男は肉のあばら骨の部分を持ち手にして、更に肉を囓った。


「無いぜ。必要なもんはこっちで用意する。強いて言うなら契約金増やしてくれ。あるいは待遇改善してくれよ。娯楽が街路樹と地下街だけじゃ寂しいぜ。しかも非合法でゴソゴソとやってりゃあ物足りねえ」

「気持ちは分かる。だが“まだ”厳しいだろうな……」

「ほう……」


 口に肉が詰まったままボソボソの声で返事し、アルフレッドは考えた――赤毛の男は確かに「まだ」と言った。


(こいつ、何か面白い事を隠しているみてえだな。どうやら俺にとっても都合良さそうだ)


 肉へ食らい付きながら目の前の人物の顔を伺い、内心でニヤつく。


「じゃあ商談成立だな。任せたぞ」


 そう言い残した中佐は席を立ち、アルフレッドが来た方とは違う方向の、バーの出入り口の先へ姿を消した。ちなみに料金は、注文時に電子マネーで既に支払っている。


「ったく軍人ってのは律儀だねえ。肉くらい食ってけば良いのに」


 その台詞を店のバーテンが聞いていたら「ここはステーキハウスじゃねえよ」、と滑稽に思った事だろう。それでも再び、牛肉のスペアリブのオーダーが入る事となった。





















「あっ、中佐。こんな所に珍しい」


 カルガリー市郊外に位置する地球管理組織の軍事施設。そのある一室へ、クリストファー・ディック中佐は赴いた。


 縦横それぞれ九メートルの、マットが敷かれた闘技場――中心に立っている、茶髪でオレンジ色のサングラスをした人物、ジャン・フォンボルクに中佐は返事をする。


「たまには“成果”を見たくてな。迷惑だったか?」

「どうぞ、丁度面白い所でしてね。こいつ、自分の手が通じなけりゃすぐに切り替えて次なる手を打つんですよ。目的の為なら手段を選ばないって奴? ともかく、将来は有望だ」


 クリストファーはジャンの目の前一メートルで立ち尽くす、小柄な少年を見る。答えたジャンも同様。


 十代後半、赤毛と赤目をギラつかせるのは、かつてアダムの前でマルク・ディックと名乗った少年に他ならない。


 マルクの赤い瞳は、同色の中佐の目を捉えている。何か不満なのか、少年は怒るように顔をしかめ、クリストファーは思わず怖じ気づく。


「オイオイ、上官を睨むなよ。これは失礼しましたね」

「構わんよ」


 サングラスの男は雰囲気を茶化すように割り入った。中佐の方は冷静に、平坦に声を返した。


 しかし上辺だけ取り繕っても、内面はそうもいかない。


(全く、私はとんだ馬鹿だ……)「では、訓練とやらを拝見しようか」

「良いでしょう。“ディック”、気を取り直してやるとするか」


 ディック中佐は、自分自身を嫌悪する気を取り直すように提言する。上司の言葉にジャンは、目の前の“もう一人のディック”へと呼び掛け、反応した少年は対面する茶髪の男性へ目線を移した。


 闘技場の片方、左半身前で両手を顎の高さに、肘でボディをガードするボクシングの基本的な構えの少年。


 その二メートル先では、左半身を前にするだけで何も構えないサングラス男。手足はブラブラと揺らしてリラックス状態。


「来いよ」


 ジャンの左手がヒラヒラと誘った。

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