11 : Dialogue

 アメリカ中部に存在するイエローストーンは、二十一世紀に入ってから間欠泉の活動が一層激しくなったという。特にあらゆる池や湖や泉の水位が上がったらしい。


 かつてはイエローストーンが大規模噴火を起こし、世界が寒冷化するとも噂されていたが、結局は起こらなかった。様々な自然やその景観だって生き残っている。


 景色もさることながら、古代から原住民のインディアンにとっても神聖な場所とされている。そんな聖域に、二人の客が訪れていた。


 観光が目的ではない。その二人は殴り合いながら、杉類の並ぶ森林を転々と進んで偶然辿り着いただけである。


 一方の赤毛の少年は正面から駆け込みを合わせた右ナックル。対するもう一方の青毛の少年が左手で手首を受け止め、右手で肘を折った。


 右へ一歩、ベクトルを後ろに反らして投げ飛ばす――投げ出された赤い少年が右半身を前に地面を転がった。


 起き上がり振り向くと、こちらを追う青い少年の姿。向かってくるジャブ、ストレート、左フック、右フック、とブロック。


 青い方が膝蹴りを仕掛ける、と判断した瞬間、赤い方は左足で前蹴り――向こうの胸に命中し、地面に押し倒す。


 仰向けになった少年に赤い方が飛び乗り、マウントパンチの嵐を掛ける。青い方が腕を掲げてガード。


 すると打たれる少年が襲い掛かる腕を掴み、外側へ逸らしつつ引き寄せ、反撃の肘打ちが顔面に炸裂。


 痛みにのけ反った少年を、青い方が後ろに回って首を腕で絞める。


 振り払おうとする相手を余所に、青い少年は喋った。


「何を知っている?」


 もがき刃向かう相手は、その言葉を聞くと黙った。しかし後ろからではその素顔を拝見出来ない。


「……お前は知らないのか?」

「だから訊いている」


 半分驚きがミックスされた問いに、青い少年は冷酷に返す。それが火種となるのを知らず。


「何故だ、何故知らない、何故俺だけなんだ、何故お前は平気なんだ、何故お前が居る」


 赤い少年はしゃがれた声で言い続ける。普通なら相手が「異常」だと思い、気味悪くなる所だろう。


 だが、今首を絞めている少年はその例外だった。


「お前は何かを知っている。それを教えろ」


 執念深く訊き続ける。まるで命が掛かっているのかとでもいうように。


「……ディック中佐って奴がお前を狙ってる。何故かは知らんが、奴には“俺達”が必要らしい」


 更に訊きたい事が山ほど生まれた。


(ディック中佐?)


 まず、少年にはその名前に心当たりがあった。


 ロサンゼルス防衛戦、ベルと名乗る敵から「中佐の命令」という言葉を耳にした。同じ人物であれば再び狙うのも分かる。しかし、


「何が目的だ」

「知らねえ」


 怒りの一蹴──赤い方が腕を持ちながら、腰を落として背負い投げ。


 地面に叩き落とし、赤い方は持ったままの腕を引っ張り、両足で力一杯首を挟む。


「俺は認められたい。それにはお前が必要だが、俺はお前を殺したい」

「何故だ」


 塞がった声で尋ねた。


「知らねえ」


 台詞の隙を突き、青い方が足を上げて拘束を蹴り離した。すぐさま立ち上がる双方。


 赤い少年が駆ける。そして右半身を前に突き出す足裏――同時に青い方が姿勢を低く、足を滑らせるように前に。


 結果、赤い方の足が虚空を通り、青い少年が両足で相手の脛を挟み、膝を捻り折った。


 足の痛みに崩れ落ちた赤い少年。そして沈黙が破られる。


「お前は何かを知っている。それを知りたい」

「知らねえっつってるだろ!」

「では何故狙う。お前は、いや、自分は誰だ」


 激怒と対照的に、冷静に返す。


「俺はマルク、お前はアダム、それだけだ」


 静粛。刹那、手を着いた相手が勢い良く跳ね上がり、締め付けから逃れた。


 今度は赤い方が正面から再び突進。中腰の相手にぶつかり、まとまった二人は後方の木に衝突──無数の木屑が散り、太い木の幹が抉られた。


 常人を遥かに超えるスピードで森林を飛び出した二人の塊。青い少年が下だ。


 やがて少年を襲ったのは浅い池と荒い岩の大地だった。衝撃によって岩石が抉られ、池の形状が変貌する。。


 バシャン――池と地面を削って転がり、それぞれ蹴って離れ立ち上がる両者。互いの距離五メートル。


 ズシン――彼らが来た方向で巨大な枝付きの杉の丸太が横たわっていた。


 ふと、二人はある事に気がついた。足が浸かる池が温かいのだ。水面から湯気も上がってる。


 周囲を見回す。池の一箇所だけ深くなっているのを確認した。更にそこを中心に青色、その外側に緑、黄色、オレンジ、赤と色がプリズムの如く階層的になっているのだ。


(これは熱水泉か。すると岩の色はバクテリアか?)


 青い少年、アダムの考えは正しかった。泉の岩表面は光合成を行うバクテリアによって岩が緑・黄・赤とグラデーションの如く着色され、虹のように見えるのだ。


 穴の大きさは縦横共に八十から九十メートル。深さは底まで光が届かないものの、エネリオンが可能とする空間把握によって、五十メートル程にも達すると知った。


 この場に居る二人には、この場所が「グランド・プリズマティック・スプリング」と呼ばれる世界最大級の泉である事を知る由も無かった。


 思考に気を取られ、アダムは己に降り掛かる驚異の察知が遅れた。正面を見直すと、真っ直ぐ迫る足先。


 当たる寸前で身体を左に一歩、躱したが今度はそこから払うようなキック。しゃがみ避けるが、次は振り下ろしが――今度は右に一歩、足が横を通り過ぎた。


 赤い方が引き戻し、再び蹴りを突き出す。それをアダムの両手が胸の前で捕らえた。


 掴んだ足を捻り、相手を回す。直後、首の下に衝撃――相手をもう一本の足で蹴り離した赤い少年だが、回転が止まらず不時着した。


 一方、青い少年は飛ばされて水面に波を立てながらブレーキ、反転、駆け寄る。既に向こうも手を着いた反動で起き上がり、駆け込むこちらを見詰めている。


 赤い方が右フックで迎撃――アダムがその腕を受け取って自身を左にスライド。


 向こうの肘を折り曲げながら背後に回る。捻った相手の腕をその背中に押し付け、後ろからローキック。


 水を撥ねてひざまずいた赤い少年。更にアダムがその上体を水面に押し倒し、拘束し続ける。


「では何故お前は狙いたいと、殺したいと思う?」


 ひたすら問い続ける。しかし、半分水に浸かった敵の回答は予想外だった。


「理由など無い」


 理解できなかった。この世の何事にも理由があるのだとアダムは“思って”いるからだ。


「俺にも分からねえ」


 その言葉はこの場に居る少年への紛れもない共感だった。青い瞳は「何故だ」と疑問を浮かべ続けている。


「だが、何故かあるんだよ。そういった理由の無いものがな。問い詰めたって分からねえ。俺だって同じ気分だ」


 唐突な話の内容にアダムはただ呆然としていた。押さえ付ける手には力が籠もり、硬直している。


「俺だって何故お前を殺したいのか分からない。だがこれは事実だ。何故かそう思う、運命だ」

「運命とは何だ?」


 一瞬、うつ伏せのまま舌打ちが聞こえる。それでも返答がなされた。


「この世の出来事はどうせ何もかもあらかじめ決まっている」

「そうなのか?」

「知らねえ」


 答える声が一段と荒々しくなった。


「だが俺はあると思う。俺にはまるで世の中が何か仕組まれたものじゃねえかってな。お前は?」


 逆に問われ、アダムは目を泳がせた。


「分からない」

「じゃあ訊こう。お前は運命のままありたいと思うか?」

「嫌だ」


 即答。アダムの脳内をよぎったのは無限に続く白い廊下――逃げようとしても、逃げ出せない。知りたいのに、知る事が出来ない。


『お前は逃げられない』


 あの時掛けられた言葉が蘇る――アダムは目を見開いていた。


「俺もだ!」


 赤い少年、マルクが声を上げる。ガコッ――押さえる手応えが消えた。


 見ると、赤い方の腕は異様な角度にまで曲がり、仰向けになって左手でこちらの押さえる腕を掴んでいた。


 今度はアダムの腕が後ろに捻られ、後ろに回った少年が背中を蹴り飛ばす。温水の池がその軌道によって波を作り上げた。


 手を着いて顔が地面を擦るのを防ぐ。ずぶ濡れの身体を起こして振り向いた時、視線の十数メートル先では、マルクが自分の右腕を左手で押さえていた。


 ゴキッ――右腕が急に上がる。そしてマルクは幾らか右手を動かしているが、顔が痛みで歪んでいるように見えた。


(成程、先程は関節を外したのか。しかし無理があるように思える)


 歯を食いしばって怒りと苦痛を滲ませながら、濡れた赤い髪が揺れてこちらへ接近する。


 瞬間、アダムが一歩下がる。途端、顔先をパンチが掠めた。


 向こうの赤い瞳が開く――更に踏み出しながら繰り出される多数の拳。


 攻撃の度に青い少年がバック。それだけで攻撃は当たらない。


 後退する内、アダムは巨大な熱水泉の深場の手前まで追い詰められていた。と思ったその時、彼の上体が横に傾く。


 赤い少年の大振りな拳が空振り、代わりに青い少年の拳がその腹へ――接触。その瞬間、全体重を拳に集中し、一瞬で半身を爆発的に加速。


 重い反応。マルクは止まっていた。対するアダムは一メートル程離れ、仁王立ちになる。一方で敵の姿は力を失い、バシャッ、と両膝が水面に波を作った。


 マルクは青い目を捉えながら枯れた声で言った。


「何故、殺さない……」

「知りたいからだ。それに……」


 青い髪の少年がもう一つ言いかけた所で口を止める。青い目は何処か周囲を見渡し、やがて自分達が来た方向を見ていた。


 森林を駆け抜ける人影――遠目でも長い灰色の髪が確認できる。やがて“彼女”は湯気の立ちのぼる泉に足を踏み入れ、アダムの隣で立ち止まった。


「ごめんなさいアダム君!」


 突如頭を下げる少女、アンジュリーナ。唐突の出来事に訳が分からず、呼ばれた少年は硬直していた。


「……引き受けると言った筈だ。この通り無力化した」

「あ、ありがとう……」

「どういたしまして」


 勝手に「引き離してしまった」と思い込んでいたアンジュリーナ。アダムが素直に反応する。


「それよりも奴は自分について何かを知っている。だから聞き出したい」

「そ、そうなの?」


 話が幾らか飛躍し、考えが遅れている少女を余所に、少年はひざまずくもう一人の少年の元へ歩み寄る。


 ふと、マルクが“発光”した――エネリオンによるトランセンド・マンにしか見えない輝き――腕が差し伸べられる。


 残る二人の男女は一拍後に気付くが、もう遅い。マルクの掌から射出されたエネリオンはアダムの腹に衝突した。


 閃光の如き衝撃に少年は怯んだ。慌てて駆け寄るアンジュリーナ。


「死ね」


 そう言い残したマルク、と名乗る少年。彼は鋭い眼光で対する少年を睨み付け、南上に昇っている太陽と反対側の方向に駆け出し、森林に消えた。


「大丈夫?!」


 少女が問う。対する少年は、相変わらず立っていた。

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