5 : Slip

 右に傾けた車体を体ごと傾けて真っ直ぐに戻し、右ハンドルを前に捻る。


 吸気がシリンダーへ送られ、ピストンがそれを圧縮。配管から直接噴射される燃料、そしてシリンダー内のプラグから火花。


 程良く混じった空気と燃料が結び付き、熱を放出。シリンダー内の空気を膨張させピストンを支えるクランクを回す。


 クランクの回転がフライホイール、そして車輪へ――バイクに乗るレックスを襲う後ろ向きの重圧感。前世紀の廃墟の並ぶ景色が引き延ばされる。


 ヘルメット越しの横目では相手の赤いバイクがほぼ真横に並んでいた。それがレックスの闘志をかき立てる。


 次は左へ九十度。二つの影が傾き、カーブを折れ曲がる。外側のレックスが速度を維持したまま、内側の相手が減速。


 コーナーを抜けた先、レックスは前方二メートル先に相手の赤い車体を認めた。


 両者が緩やかな左カーブを突き進み、レックスが後ろから窺うものの、相手に隙は無い。


 次は右へ三十度程のカーブ。赤いバイクが先に、青いバイクが後続。コーナーが終わると二台は左へ六十度旋回。


 レックスのバイクの頭が相手のバイクの尻を掠めようと距離を縮めていた。


「突っ込みが甘いぞ!」


 叫びながら青いバイクがコーナーの内側から抜かそうと前に出る。


「そういうお前は立ち上がりを大事にしな!」


 前の赤いバイクが右へ向きを変える。次は右への緩やかなカーブだったのだ。車体が左向きのレックスはカーブを外側に逸れるだろう。


「それはお前だ!」


 抗いの言葉を吐いたレックスはグリップを握る力を倍以上に込め、体ごと車体を反対方向へ切り替える。


 青い車体が急激に傾く――膝が地面を掠った。強引なコーナリングを終え、車体を起こすとバイクの先頭が先のバイクに近付く。


「何て野郎だ!」

「余所見と弱音は負けに繋がるぜ?」


 バックミラーからレックスの無茶苦茶な芸当を見ていた男は次の左コーナーに対応すべく身体を傾け、レックスもその後に続く。今度は二台がコーナーアウトへ。


 前後に並んだ二人は次なる左カーブへ差し掛かり、後ろのレックスが抜かそうと伺う。次は緩やかな右カーブ、左カーブ、続けて右、と蛇行するように曲がる。


 ここで二人は視点を正面に集中し、次のカーブを見越した。左へほぼ百八十度方向転換するヘアピンカーブだ。


 最短の距離でギアを落としつつ急ブレーキ。コーナーの内側で二台が競り合う。


 急カーブの直後は右へ九十度程のカーブ。前のバイクが方向を反転させようとした。


 直前、早いタイミングでレックスがハンドルを右に傾け、左足裏のブレーキペダルを踏みながら右手のアクセルを捻る。


 前方向への減速と同時に横方向への加速。ブレーキの掛かった後輪がロック――ボロボロのアスファルトがタイヤを削る。


 青いバイクが横滑りしながら赤いバイクを抜かしつつコーナーを曲がる。


「んなありかよ?!」

「サーキット育ちは生ぬるいぜ!」


 カーブを抜け直線へ。レックスが徐々にギアを上げる。負けじと赤いバイクの持ち主もアクセル全開に。


 しかし、距離は離れるばかりだった。





















 廃墟群の路上に立ち並ぶ若者達。彼らは先程出発した二台のバイクの勝敗を見るべく、スタートから一周したゴール地点で待機していたのだ。


 その中で一際目立つのが長身で紫のドレス姿の艶やかな女性、クラウディア。そして彼女に一人の男性が接近していた。


「クラウディア、何でこんなむさ苦しい所にわざわざ来やがったんだ? お嬢様よお」

「たまにはな。別に良家の生まれではないぞ私は。お前達こそ、仕事が無ければ朝からここで遊び呆けてるのか?」

「そんなところだ」


 笑って誤魔化した茶髪ロン毛の青年は携帯端末の画面に注目する。


 画面にはドローンの上空から見下ろした廃墟街の風景が映り、その中を走る二台のバイク。


「見ろ、もうすぐで見所のモナコだぜ」

「モナコ?」

「ヘアピンの事だ。クレイジーな奴らが挑む」


 百八十度の急激な曲線。そこへ並んだバイク達が減速し始めた。


 突如、後方の青い方が速度を保ったまま横にスライドし、減速中の赤い方がカーブで膨らんだ所を内側から追い抜いた。


「あの野郎、二輪でドリフトしやがった!」


 興奮してリョウが叫んだ。


「やるなあレックス!」


 これは隣で観るクラウディア。


「もう直線抜けたら他に抜かすポイントは殆ど無え、そうなりゃこっちのもんだ!」


 端末の画面を観る限り、前の青いバイクが後ろの赤い方との距離を確実に取っていた。無駄のない最小限のブレーキとコーナリングで隙を見せない。


 すると、観客達は段々大きくなる排気音を耳にすると、それぞれ観ていた端末から荒れた道路へ目を向ける。


 スタート地点前の大きく長めのカーブを傾いて曲がった青いバイク、そのままゴールへ突入。


 青いバイクはゴール地点で急ブレーキ、横へ一回転し停車。合わせてギャラリーが歓声を上げる。直後、赤いバイクが到着したが、こちらに注目するのは少数だった。


「やったなレックス!」

「お前最後のアレどうやったんだよ、すげえな!」

「抜かしてから速かったな。余力残しやがって」


 観衆に群がられた青いバイクのライダーがヘルメットを脱ぎ、ラテン人特有の黒髪と黒目を見せる。


 ラテン系の彼、レックスは無言でバイクから降りると後続していた赤いバイクの方に駆け寄った。


 赤いバイクのライダーがヘルメットを脱ぎ、悔しさの混じった笑顔で言い放った。


「あんな手を残しやがって。だが見切ったからには次は勝つ!」

「じゃあ別の手を思い付くとするか」


 赤いバイクの持ち主は鞄から紙幣を十枚出し、レックスに潔く手渡した。そして二人が握手を交えた。


「そら、約束の千ドルだ。次はもっと違うカスタムを試すよ。お前の真似をしたらタイヤどころか車体が持ちそうにねえ」


 そう言うと赤いバイクに乗った男はマフラーを鳴らしながら何処かへと走り消えた。彼の仲間らしき人物が「あいつ、もっとレース見れば良いのによお」とレックスの横で呟いていた。


「レックス、凄かったぞ」


 後ろから気高い女性のものと思われる声。レックスにはクラウディアだと振り向く前から分かっている。


「あの滑るところ格好良かったぞ」

「言っただろ? 勝って来るって」


 クラウディアの笑顔にレックスも笑って返した。


「お二人さん、昼飯だ」


 と割って入ったリョウがアルミホイルに包まれた棒状の物体を二本投げ渡した。


 キャッチしたら温かい。包みを開けると小麦粉を練って伸ばした白く平らなものが野菜や肉を巻いて入っているのが見えた。


「ブリトーか」

「おう、屋台でやってた」


 リョウは包みを半分剥いたブリトーを三分の一程齧っていた。残る二人も食事にありつける。


「美味え。肉がたまんねえな」

「これはチーズなのか?」

「さあ、あの店主何でも秘密にしたがるから。知らない方が良いな」


 リョウのジョークに吐きそうになったブリトーを口を手で塞いで止めたクラウディア。今度はリョウが話題を提示した。


「レックス、勝ち金どうするんだ? 俺が前食わせてやったから何か奢ってくれよ」

「お前はこの前仕事しなかったから私が奢れと言ったんだぞ!」


 今度はレックスが口にブリトーを含んだまま笑い、吐くのをこらえようとした所、咳き込んだ。


「ゲホッ! 金は折角だからコイツに使うとするぜ……ゲホッ!」


 心配そうにクラウディアが見つめ、レックスは笑顔でむせながら後ろのバイクを親指で指した。


「二輪は分からん。車のパワフルな動きが良いってのに」

「俺も四輪は良く分からん……ゲホッ! ……そうだ、お前朝バイクを出してたが、あれ結局どうするつもりなんだ?」


 訊かれたリョウの顔は楽しみを隠し切れていなかった。


「今から“そいつ”の所へ行くんだ。きっと気に入る筈だぜ」

「お前が誰かに贈り物するなんて、雪でも降るんじゃないか?」


 これはクラウディアの呟きだが、わざと二人に聞こえるように言っ

た風なのは気のせいではなかろう。


「俺みたいなジョークを真似するから驚いたぜ、お嬢さんよお」

「目には目を、馬鹿には馬鹿を、だ」

「誰が馬鹿だ! 石頭女め!」

「誰が石頭女だ! このっ……」


 リョウとクラウディアの皮肉の押し付け合いは激しい口論に、やがて掴み合いの喧嘩寸前にまで進んでいた。先程までレースの観戦をしていた若者達が目の前の争いに声を上げる。


 バイクにもたれかかり冷静に見物しながらレックスはサツマイモ

チップを口にするのだった。

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