Genesis
19××
生物とは何か、それは宇宙との対極にある存在なのだ、と私は思う。
宇宙は「無限大」に限りなく近い膨大なエネルギーから生まれ、拡散し、限りなく「無」に近づこうとする。
一方、生物は少ない物質とエネルギーの下で生まれ、自らは生き続けようと「無」に抗い、「有」を保持する。
だが、この説明では生物は宇宙とは対極の存在だとは言えない。
生物が行うのは「有」である自己・種族保存であって、限りない力の増大による「無限大」に近づく訳では無い。「無限大」に近づけば自らを滅ぼす事を、生物は本能的に知っているからだ。
そもそも生物の本質とは何か、未だに人類は分かっていない。それを知るために一部の科学者は生命の起源を追い求めている。
だが私の考えは逆だ。
根源ではない、行き先を知るべきだ。
この世に起こる事は何事にも理由があり、理由には目的が伴う。
私の興味はその目的だ。
生物が生まれた最終的な目的とは何か、誰も答えを知るまい。
そして、宇宙が生まれた最終的な目的とは何か。
その目的を探す事こそが私の仕事だ。
では、どうやってそれを探しているのか、答えは私の目の前にある。
強化ガラス越しには男が目を瞑って座っている。被験者は男性、身長百七十五センチメートル、体重六十七キログラム。
この男はつい一か月前まで死刑囚だった人物だ。それを私は、軍という強力なスポンサーを味方に、強化兵士開発という名目で、この男を“所有”したのだ。
強化兵士開発は勿論目的の一つであり、協力者の軍隊の目標でもあるわけだが、私の目的はそんな事ではない。
二週間前から、脳の神経や血管を刺激・変質させる、常人が飲めば間違いなく即死の薬剤を与え続け、脳に直接電気信号を与え、神経組織構造すら大きく変えた。
今日は試験の為に安定剤を飲ませ、観測と拘束を兼ねるケーブルを繋ぎ、マジックミラーと厚さ二メートルを超えるコンクリートと鋼鉄の壁で作られた部屋に閉じ込めている。
「準備が完了しました。記録開始します」
「よし、起動させろ」
報告した研究員の一人に私が指示を送る。研究員は操作パネルにあった大量のボタンの中の一つを、迷わずに押した。
同時に、分厚い防弾ガラスの向こうに居る男が目を開け立ち上がる。少なくとも人体制御は出来ているらしい。
「異常は無いか?」
「脳波、磁気、神経反応、血管、いずれも誤差範囲内、肉体的にも精神的にも非常に安定しています」
「では活性化させ、様子を見るぞ」
「了解、中和剤投与します」
研究員は私の命令に従って慣れた手つきでパネルを操作する。
『グ、グガッ!』
スピーカーに流れたのは、隔離室内のマイクが受け取った苦しそうな呻き声。多少心配になった私はすぐさま別の観測員に訊いた。
「大丈夫か?」
「一瞬不安定になりましたけど、もう戻りました。恐らく薬剤投与に驚いたのでしょう」
「成程、やはり生物としての感情を取り除くのは少々無理があるのかもしれん」
男は顔を歪ませ右手で頭を押さえていたが、やがて無表情になると手をどけ、苦痛無き平気そうな様子を見せた。
「これをご覧下さい、活性度は今までの試作中で一番数値が高いです」
【活性度:二百八十九倍】
操作者の見るモニターの前に立った私はそこに書かれてある内容を見るなり満足した。
「おお、凄いじゃないか! では早速テストしよう。きっと最高傑作が出来るぞ!」
「テスト開始します」
興奮した私が操作者にまたも命じる。操作者がボタンを押すと、壁の向こうの男は後ろにあった一辺一メートルのコンクリート塊の方へ振り向いた。
グシャッ!
一瞬にしてコンクリート塊が跡形もなく完全に砕かれ、そこには男が拳を打ち終えた様に腕を伸ばしていた。
「推定エネルギーは八十四万ジュール以上。次に入りますか?」
「ああ、早くそうしてくれ。良いぞ、予想以上だ!」
私は嬉しくてつい口にしてしまった。
コンクリートを一立方メートル、つまり千リットルを粉々にするには、TNT爆薬二百グラム、丁度ダイナマイト一本分が必要だ。
まさか、これをたったパンチ一発で繰り出したというのか?! それに、エネルギーの破壊への変換によってエネルギー損失が起こるのであれば、これよりも大きな数値だって出せる筈。
それを余所にまたしてもボタンが押される。
男は歩き始め、やがて立ち止まった。
男の目の前には固定銃座。調整で亜音速から音速の三倍まで、様々な種類の銃弾を撃てる。
「まずは秒速三百四十メートルです」
男と銃座との距離は十メートル。ストレートの野球ボールよりも七倍近く速い銃弾を躱すには、同様にアスリートの七倍以上の動体視力が必要になるだろうし、躱すのにそれ相応のスピードで体を動かさなければならない。
破裂音――同時に男の体が横へ大きくスライド。
後ろの壁を見ると新しい銃痕が出来上がっていた。その下の床には先端が潰れた銃弾。
「速度、約秒速百七十メートル」
「何だとっ?!」
秒速百七十メートルとは音速の半分に迫る速さではないか! 陸上選手ですら秒速十メートルが限界だというのに!
しかし、それ程速く動いたとするなら空気が圧縮された音、即ち衝撃波が起こっても良い筈。だというのにスピーカーからは発砲音以外に何も鳴らなかった。
それに、これ程の速さで動くにはどれ程のエネルギーが必要になるか。
「推定エネルギーは九十六万ジュール。こんなエネルギーはもはや呼吸によるエネルギーとは全く別物になるでしょう。動体視力も神経伝達物質が全く別物だと考える他ありません」
「……ああ、ひょっとしたらこれが私の求めていた答えかもしれん……」
炭水化物や脂質を使わず運動するとすればそれは一体何なのか……もしこれが何か新エネルギーの仕業だとすれば大発見ではないか!
一体エネルギー源は何だろうか。観測したところ、質量変化は見られない。被験者の体温も上がっていない。見当も付かない。
もし、このエネルギーの正体が分かれば一体どんな事が出来るだろうか……
「ちょっと、博士?」
部下の呼び掛けによって私は我を取り戻した。遠い夢を馳せるのはまだ早い。今は土台を築き上げ、徐々に鋭く尖らせるのだ。
「ああすまん、次のがまだだったな。試すぞ」
「分かっていますよ。これ程のエネルギーならもう予想出来る事かも知れませんが」
「確認するのに越した事はない」
「次は音速の三倍です」
私も他の研究員達も期待に満ちた中、ボタンが再び押された。
もう一度発砲音。が、ガラスの向こうの男は何も変化を見せなかった。よく見れば、男の足元には拳銃弾らしき弾頭が転がっていた。
「まさか、弾いたのか?!」
「……としか考えられません。映像を確認します」
モニターに映像が流れる。先程銃弾が発射された際のスロー再生映像だ。
銃弾が一直線でゆっくりと男の右肩に向かう。しかし銃弾は男の身体に命中すると、突然何か堅い物体にでも当たったかの様に跳ね返され、後は重力に従って落下した。
銃弾はその尖った先端が凹んでいたが、男の方は無傷で、何かに接触したような赤い痕だけが残っていた。
実験で使われたのはライフル弾と同じ威力だ。コンクリートにヒビを入れ、薄い金属板も貫通するだろう。しかし、この男は傷付きもしなかった。
男は“私達”と同じく“人類”である事に変わりはない。つまりタンパク質で体が構成されているならば銃弾に身体を貫かれる筈だ。
だがそれが無いという事は、この男は先程も言ったエネルギーとやらで銃弾を受け止める、という荒技すら可能にしているのかも知れない。
「凄い……全く負傷無し。精神も非常に安定しています」
「間違いない! これこそ私が求めていた答えを示してくれるに違いない!」
この場に居た研究員達は皆感激していた。私も素晴らしさのあまり跳び上がりそうになった。流石にもう五十代も半ばなので無理だったが。
「軍も喜ぶでしょうね。強い、速い、堅い、これこそ完璧な兵士ですよ」
「まあ待て、今はまだ実験室段階でしかない。この男を完璧にコントロールするには更なる技術も必要だろう。それに、私は求めるものが出て来るまで研究を止めるつもりはないぞ」
「ええ、しかしこれでも偉大な結果と言えます。軍は喜んで更に研究資金を下さる事でしょうね……」
ビーッ!
喜びが突然の警報音にかき消された。周囲から狼狽が見える。
「むっ、何だ?」
遅れて反応した私。不安がる研究者達を余所に、モニターに目をやる。
「何故かは分かりませんが、急に脳波が不安定になりました。見て下さい、命令を与えてもいないのにこれだけ活性化しています」
画面に映る各数値の急激な上昇に私は目を疑った。
「鎮静剤だ! 電気信号も切れ!」
「今やってます! しかし数値が一向に下がらないんですよ!」
私が苛立ちを込めて命令すると、部下も苛立った様に返事する。
不意に遠くから響く低轟音。同時に部屋の照明が消えた。モニターも黒くなっているのも見ると、恐らくは停電か。
この施設には独自の発電システムが備わっており、通常なら十秒以内で電源が復旧する。
だが、二十秒待っても一分待っても照明が灯る事はなかった。発電機に異常でもあったのか?
仕方なく机の下にあった懐中電灯を取り出し、側面のスイッチをスライドさせると、おそるおそるガラスに向けて照らす。
マジックミラーで反射されて何も見えない。
何が起きている?
「電気はどうした?!」
「分かりません。ですが可能性としては……」
『俺だ!!!!!』
ガラスの向こう側からくぐもった怒りの声が聞こえた。
「こいつ、まさか電気を……」
『死ね!!!!!』
男が叫ぶ。途端、私達と男とを隔てる強化ガラスが粉々に砕け、破片が私達に襲い掛かる。
腕を掲げ、目をつぶり、床に伏せ身を守る。伏せる途中で腕に破片が当たり、所々鋭い痛みを覚えた。
音が消え、収まったと思って起き上がる。ガラスがあった向こう側、男は依然と同じ位置から動いていなかった。
今のは何だ? 何も触れていないのにガラスが割れた。まさか超能力か?!
見ると、男は怒りと同時に何か言いたげな眼差しを送っていた。
「お前は何がしたい?」
「こっちの台詞だ!」
男が更に睨み付ける。
「ギャッ!」
「ぐあっ!」
後方から炸裂音と同時に部下の悲鳴。再び無音に。
振り向けば、部下の身体が黒く焦げており、火花を少しと痙攣。操作パネルはショートしているらしく火花を大きく散らしていた。操作パネルから過電流を起こし、感電死させたのか。
前に向き直る。
「よくも俺をこんな目に合わせやがって!」
「……刑務所でしつこく死にたくないと言っていたのはお前の方だ! それを助けてやったんだぞ! 死なせなかっただけでも感謝しろ!」
「黙れ!!!!!」
私の反論を無視するように、男は雄叫びを上げ、私に向かって手を突き出した。
最初は何も感じなかったが、徐々にそれに気付いた。
体が焼けるように熱い、そう感じて見下ろすと私の服があっという間に燃え広がっていた。
「ぐわあああああ!!!!! 焼けるっ!!!!!」
火を消そうと手で払ったり床に身を押し付けたりするが、所詮焼け石に水。電気が無いなら火災報知器が反応しないし、当然散水されない。
既に火の玉となった私はただ死を待つだけ。
意識が朦朧とし、床に倒れてしまった私は、燃える炎の中で確かに警報を聞いた。
『……が実行……自爆まで……』
西暦一九××年、某国のとある軍研究施設が全壊する爆発事故が起こった。
事件はその軍内部のみだけ知られ、捜索隊は死者以外何も発見出来ず、爆発原因は意図的な自爆だと判明。
また、その施設内で行われた研究の証拠も完全に破壊され、全て誰にも知られる事なく一切が秘密のまま破棄された。
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