8 : Change

 窓から昼間の太陽光を浴び、コーヒーを飲んで好きな医学雑誌を読みながら、赤毛のアイルランド系男性、チャック・ストーンはビルの一室の、クッションの効いた椅子の上でくつろいでいた。


「実に平和なものだな。つい夜中まで戦闘があったなんて嘘みたいに静かだ」





















(実に大変なものだな。つい昨日にも戦闘があったばかりだというのに……)


 心の中で悲観しながらも、広東系の青年、ハン・ヤンテイは一切気を緩めなかった。


(そういえばチャック先生は『顕微視』は出来ても、距離が離れれば探知能力に適性が無かったんだった……)


 表情は向き合ったまま、頭の中では苦虫を噛み潰す。それは相手の女性も同じだった。


(この男かなり厄介だわね。しかも狭いし……あとは『予備軍』が上手くやってるかしら……)


 静まりかえった廊下を目の奥にやり、そして口を開ける。


「言っとくけど、あたし“北派”なのよね。勝負は蹴りで決まるからさ」

「いいや、拳は流派を問わず、打あるのみ。人で決まる」

「うるさい!」


 逆上し、体勢を低くした女は右下段回し蹴り。ハンは後ろに下がるだけでそれを躱した。


 回転の勢いを上げながら蹴りを更に連発する女性。それを一歩ずつ下がるだけで的確に避けてみせる青年。


 と、ハンの頭を狙って回転ハイキック――屈んで避けた彼は、カウンターの回し蹴りを女の背中に決める。


 よろけた女は鼻先に迫った壁に手を着き、振り返ると怒りにアジア人を睨んだ。今度は二本の腕を振り回して攻撃再開。


 急所を狙った指の連撃を、ハンの手は掴んで逸らす。時々足元を狙った蹴りも、青年の靴裏が受け止め、攻撃を一切通さない。


 女性は踏まれる足の痛みに耐えながら、打っては引き戻し、打っては引き戻し……


 青年が相手の右腕を左手で下に払い、右ボディブロー――女が左腕をやって防ぐ。この時女の両腕は下ろされ、胸から上のガードはがら空きだった。


 しまった、と思った時には、ハンの左フックが顎を捉えていた。


 頭を揺さぶられる衝撃に女性は後退し、十分に距離を取って回復しながら向き合う。


「クソッ!」(こうなったら使うしか……)


 汚く不満を叫ぶ中、内心では一つ決心をする。と、次には首に巻き付けられている輪に触れていた。


 変化はすぐに訪れた。それはハンにも“感じ”た。ファッションか何かと思い込み、気にしなかった首輪が突然“エネルギー”を帯びたのだ。同時に、女の周囲に漂う“エネルギー”が勢いを増す。


(あの首輪、『エネリオン』の吸収を活性化させるのか? 管理軍が開発中と噂には聞いた事はあるが……)


 じっと観察するハンの思考を余所に、一方で女は別の思考を巡らせていた。


(あたしはこれ以上無理。先に離脱するわ)

『了解』

『分かった。後は任せろ』


 念じると、耳の穴に直接返事が聞こえる。そして、目の前で視線をこちらに定めているアジア人目掛けて突進した。


 踏み込む――床が割れる。あまりの速さにハンは対応する間もなく、身を投げ出される感覚を覚えた。


 女は肩に感じた衝撃もいとわず、相手もろとも更に押し出す――青年の背中を叩く堅い感触。


 二人は廊下奥の窓を突き破り、無数のガラスの破片と共にビルの外に飛び出した。


 続いて女性の踵落としが青年の腹を踏む。直後、彼はコンクリートの地面へ向かって一直線。


 ドガシャーン!――浮遊感が消えた。衝撃は背中から肉体を揺らし、痛みが後から襲う。つんざく耳鳴りも追加される始末だ。


 痛覚とノイズが次第に引き、ようやく起き上がる。敵対していた女性の姿は既に消えていた。


 周囲を見る限り、破って出て来たビルの壁面と、墜落した地点以外に、街は無傷だった。


(退散か……あの首の装置、どうやら断続的な使用しか出来ないか、身体への負荷が大きいのか、恐らく逃走用らしいな。いずれにせよ『エネリオン』の活性を増幅させるとは一体どんな技術なんだ?……)


 道路のど真ん中に出来た直径二メートル程のクレーターから這い上がり、集まって騒ぎ始めた民衆達をどうしようかと考え、首を傾げて片手で側頭部を押さえた。





















 廃墟がまだ残るロサンゼルス旧市街地。住んでいる人間は廃墟マニアや資材集め目的の人物くらいだけだが、時に若者が集まり、遊び明け暮れるのに丁度良い場所でもある。


 日系青年リョウ・エドワーズもまた、その遊び人の一人だった。


 彼は趣味であるレースで勝ち取った賭け金を受け取ると、観衆に自慢げに見せびらかした。その後、あてもなく廃墟群をぶらぶら歩き回っていた頃だった。


「リョウ、後で昼飯食いに行かねえ? 勿論勝者が支払うって事で」


 ぶらりと歩く彼に話し掛けたのは、同年代くらいの若者一人。ただし、リョウのボサボサな顎髭と比べれば彼よりも若く見える。


「てめえ、敗者が勝者に命令するとは良い度胸だな」

「そこは強者の余裕って事で。たかが二千ドルの内の僅かだろうが」

「それがよお、軍の仲間にも奢る約束したんだ。それ以上減らしたくねえ」

「ったく、お前はランチに一体どれだけ金使うってんだ」


 苦笑しながらリョウは「分かった分かった」と諦め、相手は満足そうに笑顔を見せるのだった。


 地球暦〇〇一七年現在の貨幣は、地球管理組織も反乱軍も、地域も関係なく、ドルを使用する。


 かつて、西暦二〇三〇年代から五〇年代にかけて経済的グローバル化が飛躍し、関税廃止や経済格差減少等、あらゆる革命を起こした。


 貨幣統一化もその一つに当たる。ちなみに一ドル当たりの価値は地球暦に入ってから調整され、西暦二〇〇〇年初頭と物価が同等になっている。


 また、第三次世界大戦によってあらゆるインフラが落ち込み、戦前まで主流だった電子マネーは、現在では管理組織側の富裕層のみにしか流通していない。


「そういやお前最近の軍での調子はどうだ?」

「まあまあかな。上司がうるさいわ労働条件は最悪だが。推薦はしたくない。ストレス発散にはピッタリだがな。この前も管理軍の前線部隊をほぼ全滅させてやった。それに可愛い女の子も居るんだぜ」

「ハハハ、お前らしいや。程々にしろよ。しかし良いよなあ、音速で走れる力とか俺も持ってみたいぜ。それと、その女の子今度紹介してくれや」

「拗ねるともっと可愛くなる子だ……そうでもない。こんな力あるだけ不便だぜ?」

「例えば?」

「レースする時、車のスピードが物足りなくなっちまう。常にスローモーションみてえなもんだ」


 苦笑混じりの冗談に笑い合う二人。先程まで車を並べて競った時とは打って変わった様子だ。


「ところでお前、レックスはどうした? 一緒に来てただろ?」

「ぬっ?……本当だ、何時の間に。まあ良いや、どうせ来るだろう」


 相手の青年がリョウへ問う。辺りの荒んだ都市を見渡しても、馴染みのラテン人の姿は見えない。


 ぼんやりと荒野を眺めていたその時。


 廃墟群の奥を駆け抜ける存在が一つ。銀色の輝く長い髪が後ろに空気のラインを引く――音速を超えるスピードのそれを、リョウの目は見逃さなかった。


「……わりい、メシまで少し掛かりそうだ」


 笑顔を消して言い残したリョウは地面を蹴り、


「なっ……」


 隣の若者が言おうとしたその時、茶髪の青年は視界から消えていた。当人はしばらく絶句して立ち尽くしている。


「何も見えなかった……一体何だろな? 面倒臭がりの癖にはやる時はやるもんだ……」


 感心し、呆然とひび割れだらけのアスファルトの道が伸びる先を見るが、殺風景なスクラップがただ並んでいるだけだった。






















 空中で大きく旋回するレックス。銃弾を左目に見送り、右手を出した。


 掌から“エネルギー”の放出――空気を集め、的確な方向性を持った運動エネルギーが与えられる。


 空気分子の塊は細く尖り、刃となってサングラスの男へ。


 避けようと大きな体がスライド――鋭い気流は男の服と皮膚を引き裂いた。足元のアスファルトの残骸にも深い切れ込みが出来上がっていた。


 空気の刃は更に降り注ぎ、大柄な男性に切り傷を作り上げる。


「喰らいな! デカいだけの木偶の坊!」


 叫ぶと同時に、レックスが左手に持つ銃の引き金を引く。銃の照門と照星を合わせた先――スーツ姿の人物は自分に向けられた銃口を認識し、廃墟の陰へと走る。


 数発体に当たったが、相手の男は止まらず半壊のアパートへ隠れた。


「きっと全然痛がってねえなアイツ……燻り出してやる。アリ駆除は徹底的になあ!」


 上空からアパート目掛けて掃射。一発一発が対物ライフル以上の威力を持つ銃弾の嵐は、壊れかけの建物を片っ端から削り、穴を空けていく。


 何時の間にかアパートは半分が崩れ、粉塵が視界を阻む。


 その一箇所、黒い姿が飛び出した――大柄なスーツの男が、宙に留まるレックス目掛けて一直線。


 遅れて青年が右手を出そうとする。サングラスがギラリと睨んだ――接触。レックスの胸に膝がめり込み、サングラス男の顔面には圧縮空気が直撃。


 背中から固い道路の上に落下したラテン人。相手も来た方向に逆戻りし、瓦礫の中へ突っ込む。


 割れた路面から起き上がり、痛そうに手を背中にやるレックス。前方の廃墟からも、瓦礫を吹き飛ばして大柄な男性が姿を見せた。


(あの野郎まさか突っ込んでくるとは……こうなりゃ接近戦で行くか?)


 考えながら左手に持つ銃を背中に提げ、代わりに腰の位置から二本の短剣を引き抜いた。


 二十メートル離れた地点ではサングラス男がナイフを握っているのが見えた。かと思いきや、こちらに向かって走る。


 しかし、青年は動かなかった。代わりに目の前の敵ではなく、九十度横へ視線を移していた。


 目先には、高速で向かってくる姿――相手もそれを認めると急に立ち止まり、上半身を反らす。


 直後、男の顔を鋭く光る物体が掠めた。顔に浅い切り傷を作り、サングラスが取れ落ちる。


「レックス、大丈夫か?」


 謎の姿は、レックスの目の前で止まった。中性的な喋り方だが、高い声は紛れもなく女性のものだ。


「クラウディア?」


「いかにも。妙に意図的な『エネリオン』がこの辺り一帯に感じられたものでな」


 クラウディアと呼ばれた女性は長い銀髪を風に揺らして振り向き、サングラスの男に突き出した細身のサーベルを腰に引き戻す。


 本名クラウディア・リンドホルム、二十五歳。身長は百七十五センチメートルと女性にしては高い。体型もその身長に相応しくグラマラスだ。


 煌びやかな銀髪にきめ細かな白い肌、シャープな顔立ちが特徴的な北欧系美人だ。腕を組んだ様は、何処か高慢というか自信家のようなイメージを漂わせる。


「おーい! 待てったら!」


 すると、彼女の高貴なイメージを崩すように別な人物の声が近寄ってきた。この場の二人にとっては馴染みの顔だった。


 駆け足で寄ってきたのは日系アメリカ人、リョウ。彼を見て呆れるクラウディアを見るなり、やれやれ、とレックスは肩をすくめた。


「やっと来たか……全く、どこで油を売っていたんだお前は!」

「うるせえ! 二千ドルも手に入ったんだよ! 遊ばずにいられるか!」

「お前は遊ぶ事しか考えないのか?! 子供か!」

「お前だっていつもクソ真面目に俺を叱りやがって! 老人かよ!」

「二人共黙れよ!」


 いがみ合う二者の間をラテン青年が割って入り、更に大声でなだめる。女性の方は反省するように深呼吸して応じた。


「すまん、つい……ほらリョウ、レックスはずっと信用出来るぞ。誰かのボサボサな髪や髭と違って見た目はしっかりしているし、話は分かるし聞き分けも良いし、何よりメリハリが付いている」

「知るか。俺にはギラギラした銀髪に傲慢なくらい身長と胸と尻のデケえ女の方が態度悪くて信用でき……」


 パシン!


「デリカシーの一つも無いのかお前は!」

「お前だって人の頭すぐに殴ろうと……」

「もう良いからさあ!」


 レックスは頭を痛そうに押さえ、またしても大声で怒鳴る羽目になった。その勢いには争う二人も縮こまる。


「またすまん、レックス……今はあの敵をどうするかが問題だったな」

「そうだな……てかたった一人? お前一人だけでも十分じゃね?」

「油断はならんぜ。タフさだけは尋常じゃねえ。おまけに通信機を駄目にされた」


 スーツ姿の男は距離を取り、髪色と同じ茶色い目で三人を観察している。サングラスの裏に隠れていた顔は、これといった特徴も無く平凡な白人そのものだった。


(これ以上は厳しいな、離脱するとしよう)


 切り傷が入った顔を撫でながら、首に装着した輪へもう片手を触れる――自分の体が強引に“エネルギー”を吸い込む感覚。


「何……」


 異変を察知したクラウディアが言い掛けた。残る二人の青年も注目する。


 “不可視の輝き”はこの場の三人に“見え”ていた。それを認識した瞬間、相手が途轍もないスピードで突進していた。


 一か所に集まった三人の若者は体当たりによってバラバラの方向に吹き飛ばされる。


 三人それぞれ受け身を取って立ち上がるが、驚愕の表情を浮かべたまま少しの間ぼんやりとしていた。痛みよりも驚きが大きかったのか。


 我に返った時、大柄な男は荒野の奥を猛スピードで逃走していた。既に豆粒大にしか見えない。


「俺が追う!」

「任せた!」


 女性の短い声援と共に、ジェット気流を身に纏うレックス――辺りを空気が破裂する爆音が響いた。


 地面を蹴る反作用による加速と、空気を操る事によるジェット機の如き加速を合わせる。景色が流れ、廃墟から荒野へ。


 すぐに音速の二倍を超えるまでの速度を持った青年は、ほんの十数秒で逃走する男へ追い付いた。

「折角のロスからもう帰るのか? それは残念なこった、まだまだ名所あるってのによ!」


 皮肉を効かせ、気流を操って逃げる敵の正面から反対方向へ突風を起こす。


 空気の壁に阻まれた男が足を止め、百八十度振り返る。複数の方向から多数の空気の刃が襲い掛かっている最中だった。


 刃が正面からぶつかる――男は逃げもせず、ねじ伏せた。傷どころか服が破ける事も無かった。


 では、アサルトライフル型の銃で更に追撃するレックス。それでも相手は怯む気配を見せるどころか、銃弾達に抗いレックスに向かって接近しだした。


 レックスが認識した次の瞬間、相手の膝蹴りは彼の腹へ命中していた。


 痛みを感じるより先に、今度は勢い良く投げ飛ばされ、ラテン系青年の身体は砂の上に叩き付けられていた。


「何だ?!」


 痛みを忘れ、レックスは思わず困惑と驚愕に染まった大声を上げていた。


 上体を起こすも、逃走を再開した敵の姿はもはや見えなかった。リョウとクラウディアがレックスの元へ駆けつけたのは、それとほぼ同時だった。


「大丈夫か?」

「平気だ。少しビビっちまったが」


 女性から心配を掛けられ、強気で無事を伝えるレックスだが、まだ痛みから脱却出来ておらず、驚きに目は見開き、蹴りを受けた腹部に手を当てていた。


「何だ今の? 恐ろしく速かったぜ。さっきと全然違う」

「分からん。だが、あの首に付いていた輪に触ってからエネリオンが比べものにならんかったぜ。とんでもない兵器を隠しているんだろう……」


 次なるリョウの質問に自分の考えを述べたレックス。ようやく立ち上がり、打ち付けた背中をさすった。


「さて、ハンにどう言おう……」

「きっと色々考えてくれるさ……待て、お前も一緒だ!」


 クラウディアの細くしなやかな腕は、振り向き逃げようとするリョウの襟をぐいと掴み、強く引き寄せる。


「ふざけんな! 折角の休みだってのにまたかよ!」


 大人げない反抗に対し、レックスが呆れ顔でため息をつき、クラウディアは腕を組んで唸る。リョウは顔をしかめた。


「分かったよ! 俺も行けば良いんだろ?」


 左右から挟む威圧に負けを認め、日系アメリカ青年は渋々と先頭の女性について行った。

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