7 : Recognition

 ビルの屋上、フェンスの端で立ち尽くす、大柄な浅黒い肌の男性。彼はビルを見下ろしていた。まるで、豆粒サイズの歩行者のランダムな動き一つ一つを捉えているかのように……


「何か来る」

「ふえっ?」


 トレバーが低く唸った。続いてアンジュリーナの間の抜けた返事。何気ない休憩時間、アダムは二人の急変した表情を見物している。


「二人とも此処に居ろ。アンジュリーナ、アダムを頼む」

「えっ、ちょっと、何が……」


 起きているのか、と少女は続けようとしたが、大柄な男性の姿を見ようと振り向くと、言うのを断念した。トレバーの姿は既に階下に繋がる階段の奥へ去っていたのだ。


(『管理軍』なのかしら。だとすればきっとアダム君が目的ね……)


 夜明け前の戦闘にて、砂漠の中で対峙した、大柄なプレートアーマーの男の姿が、頭に浮かんだ。


 続けて脳裏には、少年が殴られ、地面に伏す場面――アダムが傷付く姿が、理不尽だった。


(私が守らなきゃ!)


 心配性によって強い意志と使命感に囚われたアンジュリーナは、隣の少年の、無垢な深青色の瞳を見ながら、心に誓った。





















 卓上でキーボードを叩き続けるオペレーター。その後ろでは、腕を後ろに組んで時々首を曲げたりし、じれったさを露わにしたポールが画面を覗き込んでいた。


「グズグズしやがって……どんなだ?」

「指揮官、ブラウンによる電波ジャミングは維持されています。ガルシアもアンダーソンの詳しい位置を確認。それぞれ一体ずつの敵『トランセンド・マン』に妨害に入られたそうですが、それぞれの外部には知られていない模様。しかし、テイラーも向こうの一体に気付かれたようです」

「うむ、奴らも優秀な『トランセンド・マン』だな。我々の想定外だ。実に見事なものだ」


 ビルのCG画像を見ながら、敵に向かって賞賛を込める指揮官。その顔は、不敵な笑みに口角を引きつらせていた。


「さて、“奴”に連絡しろ。作戦の要だ」

「了解。しかし『予備軍』だなんて本当に使えるんでしょうか?……」


 何処か威圧するように見える上司の顔に気圧されながら、オペレーターは問い掛けた。


「隠密行動特化型とはいえ、アンダーソンのスペックには劣るまい。強化措置の引き上げのレベルも上がっている。いざとなれば殺す事も出来よう」

「そんなものでしょうかね?……しかし、単に思ったのですが何故わざわざそんな性能として劣る者を捕獲しようとするのでしょう?」

「ディック中佐がある研究をしていてな、それの大事なサンプルだ。何せ今まで前例が無かったのだからな」

「はあ、なら良いんですが……」


 冷酷な説明に、腑に落ちない表情の部下の指が、キーボードを叩く。途端、オペレーターの動きが固まった。


「指揮官、ガルシアによると現在アンダーソンはこの建物の屋上に居たままですが、すぐ近くに『トランセンド・マン』がもう一体居る事が確認されたそうです」


 モニターに映る、内部の透けて見える建物内の数か所に光点が表示され、特にその屋上部分にある二つの点を見ながらオペレーターが報告する。その口調はやや慌て気味な早口だったが、それに答えたポールの低い声は、ゆったりと余裕があるものだった。


「一人程度なら大丈夫だ。向こうにもアンダーソンは価値がある。交渉させてやろう。テイラー、お前には一応『予備軍』が失敗した時のために動いてもらうぞ」

『了解』


 ポールがデスク上に突き出たマイクへ向かって言うと、端的な抑揚の無い返答がスピーカーから来た。座ったままのオペレーターはまだ疑っているのか、晴れない顔で上司を横目で見ている。


「案ずるな。それに、」


 一拍置き、建物の立体画像の隣、ある光点を示したグラフの数値や信号パターンを見ながら告げた――その光点は【Anderson】と表示された光点の隣。


「相手があの“小娘”なら楽勝だ」


 勝ち誇ったように笑みを浮かべた指揮官。しかしモニター前に集まっていた部下達にはその意味を理解出来なかった。





















 自然光だけでもはっきりと見える廊下の奥から、日光でくっきりと分かる黒い姿が歩いてくる。見るなり、トレバーは立ち止まった。


「見事なものだな。俺とお前だけを外部の観測から隔離している、という訳か」

「こちらこそ、俺を見抜けた事は称えよう。見事な洞察力だ。もっとも、それが外に伝わらなければ意味が無いがな」


 トレバーの無愛想な褒め。バイザーヘルメットの男も黒いコートに手を突っ込んだまま、感嘆すら無しに賞賛を返した。


 双方の間隔三メートル。“エネルギー”の流れが、絶えず自分と相手の周囲をドーム状に包んでいる。発信源は向かいの人物――「認識阻害」である事をトレバーは経験的に察していた。


「もし、アンダーソンを渡すのなら引き下がっても良い」

「断る」


 ガキン!――二人は一瞬の内に詰め寄っていた。トレバーの籠手をはめた左腕と、相手がポケットから出した手が、金属音を伴って衝突している。


 ふと、ヘルメット男の左手が光り、向こうの鼻先を狙う。トレバーの籠手付き右腕がガード――ガチャン!


 反撃にアラブ人が拳を連続で打ち、ヘルメットの男が腕を掲げ、受け止める。


 すると、黒服が大きく跳び退き、代わりに左手に握る何か光る物体を投げた――咄嗟に右腕を上げて飛翔物を止め、取ろうと手を伸ばすトレバー。


 しかし、物体は巻き戻しのように投射点の男へ飛び、相手の手中へ戻った。


 物体は剃刀サイズのナイフだった。良く見れば、ナイフの柄には細い白銀の線、ワイヤーだ。更にそれを辿ると、相手の袖の中へ伸びている。


 黒い姿が廊下を駆け、両方の手に握った刃を振り回す。籠手が次々と斬撃を防いだ。


 右の刃先がアラブ系大男の顔面を狙う――トレバーが左へ一歩、躱しながら伸びた敵の腕へ、拳を発射。


 “エネルギー”が腕に流れ、刃が籠手から突き出す――相手の腕に真っ直ぐと刺さる筈、だった。


 だが、手応えが無かった。滑らかな感触にツルリ、と逸らされた。


 本能的に引き下がったトレバー。相手の腕に視線を移す。


 袖に隠れているが、“視え”ている――腕に纏わり付く、性質を変換された“エネルギー”が見える。細い紐らしき何かを腕に巻いているイメージ。


(あのワイヤー、腕に巻いて防御にも使えるのか。自在な伸縮も可能と見た。巻かれているのは腕だけか。しかし投擲というアドバンテージが取られている)


(あの男、ナイフが通じなかった。服の下に鎧でも着ているのか? しかしあの身軽さ、装着部分は腕か他の局部だけだろうな。飛び出る刃も厄介だ)


 沈黙したまま、互いの隙を探り合う。トレバーの黒い目はバイザーの奥にある、見えない筈の瞳を離さない。




















 ロサンゼルス都心部の建物、麓から屋上までガラス張りの壁一面は空と同化している。そのガラスに反射する地上の景色を、アダム・アンダーソンと名乗る人物はじっと観察していた。


 トレバーにこの場所から動くなと命じられていたものの、何が起こっているのかという疑問は尽きない。今までビルを見下ろしてきたものの、何の変化も無かった。


「アンジュ、『管理軍』とは何だ?」


 ビルの屋上に流れる風だけの静寂を、平坦な少年の疑問が打ち破った。


(トレバーさん全然教えてなかったのかな……)


 アダムの方から何かを言う事は珍しい。疑問を解消したいのか、それとも単に暇なのか、少女には一切分からない。


「……ま、まあ良いわ。教えるわね」


 どうでも良い疑問を捨て、親切心に従って答えを伝えるべくするアンジュリーナ。話す事を整理すべく一旦黙り、やがて口を開いた。


「『管理軍』というのはね、今から一七年前くらい前から、人間の完全管理社会を達成しようとしている組織なの。『管理組織』とも呼ばれているわ。本当の名前は『地球管理組織』といって、その頭文字から『EMO(Earth Management Organization)』とも呼ばれているの。組織自体は百年以上前から存在したらしいけど、表立って動き始めたのは十数年前からみたい。『第三次世界大戦』は管理軍によって引き起こされたとも言われているわ」


「第三次世界大戦?」


 少女は一瞬戸惑った。一般常識なら誰もが知っているという先入観があるのは仕方がないが、常識を改めて認識するのは難しい事だ。


「えっと……五十年程前に起こった世界的な戦争の事なんだけど、その時は九十億人も居た世界人口が、戦争が終わるまでの三十年間で十億人にまで減って……管理軍は戦争を起こして世界を混乱させ、再建を兼ねて管理社会を作ろうとしたらしいわ……」


 話について行けているのか確かめようと、一旦区切る。アダムは容赦なく問うだけ。


「何故管理する?」

「管理軍の主張によれば人類を破滅させないように徹底した社会を作り上げる事が目的らしいの。でも管理軍は人道を無視した政策ばかりで……」

「例えば?」

「えーっと……人々にコンピューターチップを埋め込んで管理したり、感情や行動を制限させたり、娯楽や芸術や宗教とかを禁止したり……人が人じゃないみたいでとても受け入れられないわ。しかも逆らえば鎮圧され人格を改造させられて……」


 少女は自身の声が段々と落ち込んでいるのを気付かず、無意識に顔を俯かせていた。長い髪が顔を隠す様子を、アダムの目は逃さない。


「でもそんなの耐えられない。私だってやりたい事はあるわ。人生は選ぶものよ。それが出来ないなんて生きる意味が無い……だから私達は団結して立ち上がったの。人として生きるために」


 アンジュリーナの顔から影が消える。その代わり、真剣な灰色の目を向き合わせた。


「それが君達か」

「そうよ。『反乱軍』とか呼ばれているけど、正式名称じゃなくて集まった結果付けられた名前みたいだけど……私思うの、人は笑ったり泣いたりするからこそ人なのに、楽しみも悲しみも無いなんて人じゃない。ただのロボットと同じよ。人として生きられないなんて……」


 突然、思い浮かんだ――無機質な施設、廊下、人員、ロボット、銃弾。


 逃げようとする。だが、逆らえなかった。プレートアーマーの人物が自分を殴る。


 ほんのゼロコンマ数秒の時を経て、意識が現実に引き戻された。


 自由を押さえつける存在が嫌だった。そんな気がする。だから少女の言う事が分かる――目眩。


「同じ考えだ……」

「そ、そうなの?」


 瞬きをする少年からの予想外の答えに、アンジュリーナは戸惑う。しかし、言った張本人の口ぶりはそれ以上に幻滅していた。


「逃げたかった……逃げていたのを思い出した。だが奴らは許さなかった……」


 苦しそうに頭を押さえるアダムの様子を見て、少女は慌てて駆け寄ろうとした。


「無理しないで!」

「大丈夫だ……」


 アダムは自分の記憶を探るべく思い出そうと集中し、それを心配してアンジュリーナは少年に気を取られていた。


 だから、屋上に足を踏み入れた気配に気付かなかった。


 見えているのに見えていない、それは錯覚によってあり得る事だ。人は背景の中から一つの物だけを見詰める時、背景を認識から捨てている。


 阻害させる対象を意識させないように“背景”にする、それが「認識阻害」の原理の一種である。しかし注目するきっかけさえあれば、対象は“背景”から抜け出して“一点”となる――今まさにその時だった。


 背中に強い衝撃――途端、アンジュリーナは前に飛ばされる。


「ひゃっ!」


 素っ頓狂な悲鳴を上げ、五メートルばかり飛んだかと思うと、腕で体を支えて不時着した。痛みは無い。


 立ち上がり振り向く。視線先では、アダムが誰かに羽交い絞めにされている姿。


 後ろの人物はフードに隠れて素顔が見えない。人物の右手に握るナイフはアダムの首に突き立てられ、左手に握る拳銃の先端はアンジュリーナに向いている。


 捕らえられた少年は抜け出そうともがくが、力及ばず。持ち上げられてつま先で立っていた。


 どうやって気付かれずにここまで来られたのか、疑問はあるが、もっと大事な事がある。


「い、一体アダム君をどうするつもり?!」

「こちらは出来れば奪還で済ませる事を望んでいる。だがいざとなれば破壊も認められている」


 ヒステリックな高い声に相反し、抑揚の無い声の返答。


「や、止めて!」

「ならば差し渡せ」


 アンジュリーナは言い返せなかった。何かを言いたげに口ごもっていた。


(そんな、アダム君を助けたいのに……渡してしまったらきっと酷い目に……でも断れば今殺されて……)


 葛藤に迷い固まる少女。時間を掛けても、果たして彼女は選択出来るのだろうか――それだけアンジュリーナは人の命というものに執拗な拘りを持っていた。


 一方、対面する二人を差し置いて、少年の方は考えていた。


(どうすれば抜け出せる?)


 羽交い締めにされ、武器を突きつけられている。アンジュリーナは動けないだろう。


 動くしかない――考えた時既にアダムの両手は後ろへ柔軟に曲がり、ナイフを持つ右腕と頭を抱えた。


 全身を曲げ、姿勢を低く前屈みになる。勢いに負け、拘束している人物は背中から弧を描いて、コンクリートの床に投げ倒された。


 “目標”からの思いがけない行動に不意を突かれ、フードの人物は手を着いて反動で立ち上がる。振り向けば、小柄な少年。


「どうやらお前が逆らうか」


 相手は左手の銃をサッとアダムに向け、引き金を引く。


(分かる)


 少年は音速の十倍で迫り来る“不可視の弾丸”を、“感じて”いた。認識よりも先に体が動き、頭を貫く軌道だった弾は、アダムの左数十センチメートルを横切った。


(情報と違う。「覚醒」している)

(勝てる。いや、勝つんだ)

(アダム君、だ、大丈夫なの?!)


 状況の急変によって目を右往左往泳がせているアンジュリーナを他所に、二人が向き合った。

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