5, ヒーロー殺し


 アレックスが再び電話をして、総監に告げたのは人質解放の条件の変更についてだ。ひとつは、総監本人が一人で来ること。ひとつは、身を守る装備や、攻撃手段を全て捨ててから来ること。

 総監はごねたのだろう。アレックスはこうも言っていた。


「はは! 確かに俺たちは気紛れだけどな、命をかける人には誠意をもって接する」


 総監が来ることは、誰もがわかった。特にノアは、娘がいた。娘を思う父の気持ちはわかる。だからこそ羨ましかった。守れなかった、もう守れないから。守れる総監が、羨ましくなった。


「アレックス! 娘はどこだ!」


「パパ!」


「アンジェリカ! おいアレックス、約束通り装備もないし、一人で来た! 人質を解放しろ!」


 怒鳴り声とともにオフィスに入ってきた総監は、最後に見た時よりやつれて見えた。いつもは後ろに撫でつけられている髪が乱れているせいもあるかもしれない。

 父親が来た安心感からか、娘は銃口が向けられていることも忘れて、総監に抱きついた。銃口が娘を追いかけているのに気付いたのか、総監は娘を庇うように抱きしめ、アレックスに当然の要求をした。

 そこで、ノアは総監の顔も、言葉もわかることに気付いた。命をかけている。でなければ、わからない。


「やあ、待ってましたよ総監殿。久しぶりにあなたの顔がわかった」


 怒鳴りつけられているのに、変わらず穏やかな声で不敵な笑みだった。


「お前ら、お前らはおかしい。病気なのはわかるし、同情もする、申し訳ないとも思う。だがこの惨状はどうだ。ひとを盾にして、こんなにも卑劣な真似を、元ヒーローともあろう者が!」


 アレックスはカメラマンにカメラを一度止めるように言った。小さなテレビでどこでも放送されていないのを確認すると、にっこりと、不敵ではない、子供のように無邪気な笑顔を見せる。


「……この病気は、ほとんど症状はお揃いだが、進行すると違いが出る」


 ノアの知らないことだ。あのバーで受けた説明の中にはなかった。総監も知らなかったのか、怪訝けげんそうな顔でアレックスを見ている。


「顔も言ってることも全部わからなくなると、そのうち、人間に見えなくなる。それが何に見えるか、みんな違うんだ。虫とか、獣とか……とにかくそいつにとって命をかけたい形じゃなくなる」


 腰から首元まで、背筋を冷たい何かが駆け抜けていくのを感じた。


「モニター越しに、俺に言ったでしょう、総監。『ハイエナはどっちなんだ』と」


 総監は頷いた。


「ハイエナでしたよ。俺に見えたのは、モニターの向こうでうなってる、薄汚いハイエナだった」


 死ぬまで治らない。

 英雄の病気は、同じ命のくせに天秤てんびんにかけてきたことに対する、罰だろうか。それとも惰性だせいでそれをした罰か、その夢を誰かに見せてしまった罰か。きっと、どうでもいいことだった。

 ノアは、床に膝をついた。胃液がせり上がって、食道や喉を焼くのを感じる。改めて絶望を叩きつけられた気分だった。いや、確かにそうだった。改めて、絶望を見せつけられた。

 そのまま胃液を吐き出したノアを尻目に、それ以外はひどく静かだった。


「ロシュを覚えておいでですか、総監殿」


 その静寂を、再びアレックスがった。


「ああ、覚えているとも」


 その名前には聞き覚えがあった。ノアの前のヒーローの名前だ。


「ハービーは? 覚えておいでですか」


「ああ、ああ! 覚えている! その二人がどうかしたのか!」


 アレックスが言ったもう一つの名前も、ノアの前のそのまた前のヒーローの名前だった。何を言いたいのかがわからないのか、早く安全な場所に行きたいのか、総監がれたように言葉を荒げる。


「俺が殺した」


 ……ああ、やっぱり。ノアは思った。マスターと話した時、わかった。もうとっくにてられて、土の下にいるんだろう。アレックスが殺したことまではわからなかったが、それだけはわかった。


「二人は、俺を夢見た。俺のようにと、自分からヒーローになった。俺みたいに、病気になった。どこで聞いたのか、俺を見つけて、俺のところまで来た。そして、俺に『あんたのせいだ』と言った。『救ってほしい』とも言っていた。こんな悪夢はもう終わらせてほしいとも。それがあんまり苦しそうで、どうにかして救ってやりたかった。だから殺した」


 アレックスは、笑っていた。次第に耐えきれないとでも言うように、声を上げて笑い始める。コメディ映画でも見ているような、大笑いだ。

 それが収まってしばらく息を整えると、呆然ぼうぜんと次の言葉を待つ周囲に、また語り始める。


「俺は、ハービーを殺した時、その時はじめて、後悔しました。惰性だせいで続けた夢を、無責任に見せ続けてしまった。俺の悪夢が、二人を殺したんだと……気が狂いそうだった」


 夢の責任をとると言った、アレックスの顔を思い出す。今と同じ、真剣な顔だった。そして、見ている方が悲しくなるほど、絶望をたたえた目だった。

 アレックスは、救いたかった人を殺したのだ。ひとの顔がわからなくなって、言葉もわからなくなって、誰かを救いたいなどという気持ちも失って。それでも自分を夢に見た、自分を追って悪夢を見たヒーローを、救いたくなったのだろう。けれど、誰もが同じ結論に辿り着くだろう。殺すしかない。憧憬どうけいの目も全部、殺さないと救えない。ノアも、そうだった。


「勘違いを、しないでください、総監殿。俺は別に、あなたを責めたいわけじゃない。あなたは選んだだけだ。天秤てんびんにかけて命を選ぶなんて、誰だってすることだ」


 それは、きっとアレックス自身に向けた言葉でもあるのだろう。ノアに向けた言葉でもあるのだろう。天秤てんびんにかけて、選んできたすべての者に、向けられた言葉だ。

 正しく、責める気はない。アレックスにも、ノアにだってなかった。もう、ひとつのことしか見えていない。ヒーローをてると、アレックスは言った。けれどもう、全員捨てられている。だから、ここにいる全員を捨てることではない。自分自身を捨てることでもない。

 ヒーローそのものを、てるのだ。


「だけど総監殿、選ばれなかった命にも、選ぶ権利はあるのでは?」


 アレックスはカメラマンに、再びカメラを回すように言った。


「何事にも犠牲はつきものだって、古今東西言われてきたことでしょう。後世にも語り継がれるためには、尊い犠牲がなくては」


 何かの作業をするカメラマンを見守りながら、アレックスは穏やかに告げる。総監はもう何も言わず、目を閉じていた。何かに思いをせているようにも見えた。

 カメラマンの合図を受けて、また小さなテレビで放送されていることを確認すると、銃口を総監に向ける。眉間のあたりに狙いを定めたようだ。

 引き金に指をかけると、ヒーローは不敵に笑った。


「ではさようなら総監、これであなたはヒーローだ」


 銃声が響く。


「いやぁぁあぁあ! パパ! パパァ!」


 たった今、父をくした娘が、その死体にすがりつき泣きわめく。

 娘のために死ねる。それがノアには羨ましくて仕方がなかった。ヒーローでありたかった相手は、もういない。その相手の前で、ヒーローのまま死にたかった。そうすれば、ひとり地獄に落ちても耐えられる。道連れが欲しくなったりしなかったのではないか。

 ノアは頭を振った。叶いもしない幻想は、もう要らない。


「さてみんな、準備は……悪い、もうとっくに出来てるよな」


 ヒーロー殺しのヒーローが、ノアたちに笑いかけた。みんな頷いた。


 ……ノアはいつか、英雄に憧れる少年だった。その頃にもヒーローがいた。不敵に笑うヒーロー。いつからか名前も顔も見なくなったのは、隣に立つことが叶う前にハイエナにやられたのだろう。それからノアがヒーローと呼ばれるまで、もう二人、英雄が生まれて、そしていなくなった。

 隣でたたかうことは叶わなかったが、その背を追って警官になった。そしてデイジーという妻を得て、可愛らしい赤毛の娘にも恵まれた。その子は、エイダと名付けられた。だが運命に恵まれず、もない犯罪に巻き込まれて二人は死んだ。もう、五年前のことだ。復讐に駆られたノアは、執念で犯人を追い詰め、感情のままに射殺した。正当防衛でしかなかった。犯人は銃を持って、ノアを見て驚いて、そして無関係のものに銃を向けようとした。その前に射殺した。それだけの話だ。


「俺は、あなたに憧れて、こうなった」


「そうか……ごめんな、ノア」


「いいえ、いいえ。絶望ばかり見ていたけれど、俺はあなたに憧れたことを悔いることはない」


 隣でたたかうことは、ついぞ叶わなかった。


「きっと何度生まれ変わっても、あなたの夢を見た」


 けれど隣で死ぬことは叶う。


「そうか、そうか……ありがとう、ノア」


 銃を握る手が震えている。ノアは死ぬことが怖かった。今までも、今も、死ぬのは怖い。自分ばかり命をかけるのは、たまらなく怖かった。自分の命が、拳銃に乗っているのを感じる。嘘みたいに重い凶器だ。羽なんて生えてないのがわかって、ひどく怖かった。

 けれどノアには今、ヒーローがついている。


『じゃあ、123でやろうか』


 テレビには、円陣を組むように並び立つヒーローが映っていた。巨大な街頭テレビを、街行く人々が見守っていた。


『来世では、幸せになれたらいいなぁ』

『地獄に行くのかな。行くだろうな』

『ああ、俺の命が戻ってきた』

『怖いな、ああチクショウ、怖い』


 ヒーローたちは、泣きながら銃を手にとって、各々が顳顬こめかみや顎の下に銃口をくっつけた。もうそれを見ている全員が、これから何が起こるのかをわかっていた。けれど誰も、何も言わなかった。何も言えず、息を殺してその光景を見ていた。


『ああ……デイジー、君に会えたらいいのに』


 ひどい夢だった。ノアにとっても、そこにいる誰にとっても。


『1、2……3、』


 数発分の銃声が響いた後、画面の向こうにはもう、ヒーローはいなかった。












 fin.


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俺たちの命は軽すぎてもう嫌になる 木枯水褪 @insk

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