ラボφ ~最悪の冬~

私掠船柊

最悪の冬

そこは人通りの見られない道で、牡丹ほどの大きな雪が降りしきる。すでに、どこの地面も方角も、すべてのものを凍りつかせる、生き物の血など通っていない純白だ。樹木や電線にも雪が重々しく積もっている。遠くの風景はよく見えない。地上と同じ白色の雲におおわれた空はしだいに暗くなり、電柱に取り付けてある電灯が次々に灯りはじめた。道路に面する家々の窓も灯りがついていく。

 その静まりかえった雪の降る道を、同じ紺色のコートを着こむ二人の少女が、元気なく連れ立って歩いてきた。背の低い方は黒のタイツもはいている。二人とも傘はもっていない。

「冷たい!……」

 カザカのつんと立つ鼻頭に雪の一片がくっつく。うっとうしそうに細やかな手で払い落とした。ショートヘアにもかかり、目にも入りこんでくる。髪を片方にまとめているマユミも同じことになっていた。二人の、はく息が白い。雪のかけらが靴の中に入ると、カザカは眉をゆがめた。

「……こんなに積もるとは思わなかったよ」

「そうっすね……」

「……マユミちゃん、ちょっと肩をかしてくださらぬか?」

 寒さに口を曲げているカザカは、マユミの肩に手をおき、片方の靴を脱ぐ。それを裏返しにして上下に激しくふった。中に入っていた雪の小さな塊が落ちていく。片足だちのカザカをマユミは淋しそうに見つめる。

「雨靴をはいてくればよかったっすね?」

「うん、早く帰ってコタツに入りたい……」

「わたしは一番に、お風呂にゆっくりつかりたいっす……」

 会話はそこでとぎれ、再び歩き、心当たりのある角を曲がる。疲れ切った顔をした雪中徒歩の二人である。頭と肩に雪が塵のようにたまると手で払いおとした。かじかんだ手を見つめる。唇をかんだ。

 他の人の足跡や自動車の作ったわだちをふむように心がけた。手付かずの雪面を踏むと、足首まですっかり埋もれてしまうからだ。

「……今日の稽古はすごく寒かったっす」

「道場にストーブはないかならなあ……」

「それでもカザカ先輩の組み手はキレがあるっす。特に左の上段蹴りが……ノーモーションなだけに……」

「へへへ、でも形は苦手なんだよね」

「……先輩、はやく黒帯とってください」

「だって、ジオンを覚えるの面倒くさいし……どうせならスーパーリンペイやりたい」

「それは流派が違うっす。後輩に向かっていうことっすか?」

 空手の道着を折り畳んで入れたバッグを背中にしょいこむ二人である。

「……あの先生も寒そうな顔をしてたっすね?」

「……今ごろ鍋焼うどんをすすってるだろうな」

「その話をすると、わたしもお腹がすいてくるっす」

 雪の降り積もった道を、カザカとマユミは肩を丸めて道のりをすすむ。コートは学校の制服としても使われているが、マフラーはそれぞれ違う。マユミは鮮やかな黄色で、カザカは赤を基調とした格子縞だ。その首に巻き付けている暖かそうなものにも、白い小片が降りつく。カザカが自分のマフラーを整える。

「せっかくのマフラーが、洗濯機で洗えばいいだけなんだけれど……乾かすのが……」

「私のは三十度以下で手洗いをしなければならないっす……」

「それどこで買ったの?」

「エシカルファッションのお店っす。たまたま気に入ったのが見つかったので、下着は普通の店で買ったんで、素材は綿とポリエステルっす。乾きが早いので。先輩は?」

「私は吸湿発熱繊維……」

「ほう。あたたかそうっす」

「……だと思うでしょ? ところがこうなると寒いよ。携帯カイロもほとんどきかないなあ」

「もっと用意するべきでしたっすね? 先輩、わたしの手袋かします」

 マユミが、はめていた手袋を脱ごうとした。

「いいよ。風邪ひくぞ」

「先輩はやさしいっすね……ぐすん」

「あれ感激したの?」

「寒くて鼻水が……」

 道の先で雪かきをする男性の姿が見えた。雪の中にできた車の轍の中を、傘をさしてあるくサラリーマンふうの男性ともすれ違う。通り過ぎる民家の庭では、植木が降り積もった雪の塊を枝からドサリと落とした。自動車が一台、道の中で立ち往生していて、若い男性が体を丸めながら、タイヤにチェーンを取り付ける作業をしていた。彼はセーターを着ているが風を通してしまい寒そうだ。雪は牡丹から小さな花びらのように変わり、軽やかに降りていた。

「……カザカ先輩、さむいっす」

「さむいと言うな。余計に寒い……」

「地球温暖化なら冬は暖かいはずだと一部世間の噂が……」

「二酸化炭素は大気の中でわずか〇・〇四パーセントの微妙なバランスの中にあるんだけれど、それが少し増えると……」

「大西洋の一部の海水温が上昇したために、偏西風が大きく蛇行して、高緯度の冷たい空気が日本列島に流れているんすね。それが温暖化によるのか……」

「まだよくわからないという科学者の慎重な見方なんだけれど……」

「ところでカザカ先輩、八甲田山で明治時代の兵隊が雪中行軍で遭難したことを思い出しました。私たちは二人ですが、そのときの陸軍兵士は二百人ほどだったそうで……」

「……不吉な話だな。ちょっとまて。あれ? 道に迷ったかな?」

 二人は立ち止まって、周囲を見回す。

「戻りますか?」

「……いや、こうも白いと、どこで曲がったのか分からなくなっている。のだが……」

「これはもしかして遭難ですか? こんなところで凍死したくないっす」

 二人の周りには灯りをつけた家屋が並んでいる。民家の明るい窓はなかがとても暖かそうだ。少し方角を変えればマンションの輪郭も巨人のように薄黒く見えた。見当を付けて道を選ぶがどこも同じに見えてきた。カザカは家々をちらりと見ながらマフラーを直す。

「うーっ!! 風が冷たい!」

「肌にささって目を開けていられないっす」

「早く行こう!」

 カザカが走り出した。マユミは困惑な顔になる。

「先輩まってください! 置いてかないで!」

 先に走っていくカザカを追い掛けた。

「あうっ!!」

 追い付こうとするマユミは、足がすべった拍子に大きく叫んで前へ転んだ。両腕を前方へ突き伸ばした姿勢で白い地面に半分沈んでしまう。腹這いになった少女が背負うバッグへ、雪が容赦なく点々と落ちていく。そのとき、近くに立っている高い電柱の先端で、カラスが一羽とまっていたが、知ってか知らずか、笑ったように鳴いた。息せき切って振り返ったカザカは足を止めた。

「おや! だいじょうぶか!?」

 驚いた顔のまま歩きもどり後輩の肩に触れる。マユミは霜焼けた力ない顔を上げた。

「も、もうだめかな……」

「もう少しだから弱音をはくな!」

「だめっす……歩けないっす。先輩、私をおいて行ってください……」

 マユミを抱き起こしたカザカは、しょっていたバッグを地面におくと、後輩へ背中を向けてしゃがみこむ。

「私におぶされ……」

「……すみません……」

 マユミをおんぶしたカザカは自分のバッグも持って歩き始めた。

「……大丈夫っすか?」

「ああ、マユミは軽いね」

「そうっすか……フフフ……」

 カザカの背後で後輩は口の片端を釣り上げて白い歯を見せる。

「ん? どうしたの?」

 カザカは足を止めた。

「先輩の背中はあたたかいっす……」

 マユミの声は哀れさよりも、悪意を含んでいた。カザカは眉ねを釣り上げた。

「……おんぶやめようかな……」

「フフフ、そうはいかないぞ………この星はまもなく我々が氷らせてしまうのだ」

「な、な・ん・だ・と?」

「太古にも一度地球をまるごと凍らせたが、今回の全球凍結で人類はおしまいだ」

「それで? おまえの正体は?」

「われわれはマユミ星人、いや、私はパラレルワールドの地球から派遣された、魔女なのだ……ヒヒヒ」

 顔を曇らせたカザカはしゃがむ。

「それ、あんまり面白くない。おりろ」

「あれ? つまらないっすか? もう終わりっすか?」

「卑怯な芝居のおかげで体ばかりか、頭の中まで無駄にカロリーを消費したんだよ」

「……魔法少女は、はやりなんすけど……」

「そういうことじゃなくて!」

「……BL星から来た魔法少年という設定にします」

「ああ、それだったら……そうじゃないんだよ!」

 ひとこと言いたそうなマユミは、カザカの背中から淡々と降りた。勝手に盛り上がった後輩の演技に、カザカはうんざり顔だ。

「よくもそんな芝居をするほど余った体力があるよな」

「先輩が、か弱い中学生のわたしを置いてきぼりにするからっす!」

 怒った顔のマユミへ、カザカは突然、背中におおいかぶさる。

「今度は私をおんぶしろ!」

「ええっ!? やだよ! 重いよ!」

「このこの!」

 逃げようとする小柄な後輩をカザカは羽交い締めにした。

 寒さを忘れて火花をちらすが、そのときマユミは目を一点へ止める。道の先へ指をさした。

「ちょっとまって、カザカ先輩、あの電柱に見覚えが……」

「よし、このまますすもう」

 マユミの言葉にしたがってひたすらに歩いた。ふたたび立ち止まっては周囲のあちこちを見る。だがしだいに寒さが身に応えて、足が重くなってきた。言葉も少なくなる。

「……スコット隊の、南極大陸探検の本を読んだことがあります。壮絶な最後でした」

「スコット隊は犬ゾリを利用したアムンゼン隊に先を越されたんだっけ?」

「準備の違いが大きな結果に……そういえば南極大陸のペンギンは、集団を作って身を寄せて体温の放出をできるだけ抑えるのだそうで……」

「あれ? また分からなくなったぞ」

「……これはやはり、遭難っすか?」

「……仕方ない、こうしてみるか?」

 カザカはマユミに抱きついてほおずりをした。

「……二人で暖めあえば……マユミは小さくて軟らかいねー」

「……先輩は稽古で汗かいたあとなのに、いい匂いがするっす……」

「このまま二人ともこごえ死ぬのかな?」

「……こういうときに流れるBGMは何があうっすかね?」

「それはもちろんロマンチックで悲劇的な雰囲気かな、マーラーが作曲したバイオリンとハープの音楽で……」

 そこへ、どこからともなく、フードを頭にかぶっている女の子が、犬を連れて歩いてきた。小学生の年頃だ。

「――ふんふふっふんふん、ふんふふっふんふん――」

 雪をテーマにした日本の童謡を、鼻歌で楽しそうに奏でるフードの女児である。紐でつないだ犬に引っ張られている歩き方だ。お供の犬は尻尾をふりながら息をせわしく先へ先へと急ぎ足だ。

「ん? タロおとまり!」

 女の子は立ち止まり、抱き合う年上の少女二人を見つめた。そこへ一人の老女が、不思議そうに見つめている女児へ後から歩いてきた。持っている傘は折り畳んである。

「ねえ、ばあちゃん、あれ……」

 カザカたちへ人差し指をさしてくるあどけない顔をみせる女の子。そばに立つ老女はカザカたちをじっくり見つめる。すると皺のふかい顔をほころばせた。

「まあ、仲のよい二人だこと……」

 フードの女児は首をかしげるばかりだ。そして紐を握りなおすと。

「行くよタロ!」

 そのまま少女は犬ゾリのように引っ張られて足取り軽く歩いていった。老女も後についていく。雪は止んでいた。風もほとんどない。静かになった。カザカとマユミは見つめあう。

「……先輩、いつまでもこうしてるわけにはいかないっす」

「ここで生き恥をさらすか、死ぬ気で進むかそれが問題だな……」

 そのときカザカのお腹が鳴った。

「……お腹がすいたね」

「我々の持っているカロリーは底をつきかけているっす」

「そうだよね。エネルギー源が欲しい……」

 二人は空を見上げた。

「……今日の雲は低いっすね……」

「そういえば、雲は対流圏でしかできないものと思っていたら、南極では成層圏でもできるんだったね」

「しかもそれはオゾンホールと関係があって。つまり大気のバランスがあれこれ崩れてこうして厳しい寒さに会っていると、私たちは何をはなしているっすかね……」

「つまり、大人たちの今まで積み重ねてきた行いが、私たち女の子の身を凍らせようとしているのだよ」

 二人は歯をガチガチいわせながら笑う。膝も震えていた。見つめあい、すぐに笑うのをやめてしょぼんとなり、歩きはじめた。

「あれ? せ、せんぱい! あの郵便ポストに見覚えが!」

 道の先に、雪をかぶる赤い郵便ポストが守衛のように立っていた。

「今度は間違いないだろうね……」

「あのポストのところを曲がれば……」

 赤い守衛へ向かって歩き、たどり着いて角を直角に曲がる。するとリヤカーのヤキイモ屋を発見した。道の片隅を陣取り、釜から火が覗き、暖かそうな湯けむりをたちのぼらせている。二人の目の色が変わった。

「せっ、せんぱい! あれは!」

 カザカは拳を頭上に突き上げた。

「天は私たちを見放さなかった!」

「でも遭難すると、まぼろしを見ることがあるそうですが……」

 二人は冷え込んだ脚や腕をこわばらせて、ヤキイモを売っている屋台の前に立つ。ジャンパーに長靴の初老男性が、四角い顔の中の、たれ気味な目を驚かせた。

「どうしたんだよ? お嬢ちゃんたち……」

「いやその、そうなん……ヤキイモを一つください」

「はいよ」

 香ばしい臭いが道に広がっている。

「今日は一段と冷え込むね。風邪をひくから早く帰ったらいいよ」

 人懐こい顔のヤキイモ屋が、二人の少女へ紙に包んだヤキイモを手渡した。長く丸みのある赤紫だったものは、表面がこんがり土色に焼けていた。

「あつあつ!」

 代表として大きな一本を受け取ったカザカは、それを半分におる。湯気が上がって、ほくほくの黄金に輝いていた。一つをマユミへ渡す。

「うまうま……」

「あつあつ……」

「うん、うまい!」

「ふかふかで、あまいっす……」

 膝の震えがしだいにおさまる。無我夢中にほおばった。

「……あれえ? カザカとマユちゃん、こんなところで会うなんて……」

 カザカたちが声のする方へ振り向いた。厚着でスキー帽をかぶっている一人の女の子が道の中にきょとんとして立っている。

「おお! 理奈ちゃん!」

「へえ、おいしそうだね?」

 嬉しい顔の理奈は、手をふりながら、むさぼり食べる二人へ近づいた。

「われわれは遭難したのだよ」

「……はあ?……」

 カザカの思わぬ一言に、スキー帽をかぶっている女の子の手がとまった。口のなかをヤキイモで一杯にしているカザカを見て、理奈は口を不思議そうにポカンとあけた。そこへマユミも食べながら理奈の正面に立つ。

「理奈先輩はどこへ行くっすか?」

「……ちょうど、マンガを描くのが一区切りついたので、休憩にしていたところなんだけれど……」

「ああ、またBLっすか?」

「うん、マユちゃん、そうそう……」

 後輩と友人のそばにいるカザカは、妙な親しみをにじませた笑顔をつくる。

「また読ませてくれないかなぁ……」

「うん、いいけどぉ……あ、でもね、オチが思いつかないんだよ……はは!」

「……ドロドロにしろ」

「ええっ!?……」

「……お風呂回と水着回を入れろ」

「ええっ!?……そんな下品な……」

 カザカは鼻息を荒くして要求する。目はいたずらっぽく細くしていた。

「理奈は創作意欲がないのか?」

「だって私は、もうちょっと……トーマス・マンみたいな純文学風に、やっぱり、金髪の美少年がよくて、そういえば水着の場面があったよね。まあいいか、結局すきに思い浮かべて書いてたりして、それがわたしの妙味だったり、あはは……あっ!? ひぃぃぃぃっ!!」

 食べ終えたマユミが、地面の雪をつけた両の手の平で、理奈の顔をはさんで密着させた。

「あなたの文学はわかりました。そ・れ・で、どこへ行くっすか?」

「……ご、ごめん。向こうのコンビニで新発売の“ピッツァまん”があって。チーズがね、とろぉーーり、と入っていて、胡麻の入ったあんまんもあるよね。あとは、あつぅーーいコーヒーがあって、わざわざ豆をひいてからドリップするんだよね。それ買おうと思って……」

 理奈は遠くへ人差し指をさした。唾をのんで喉を鳴らしたカザカをマユミは見逃さない。

「先輩、次はどうします?」

「……コンビニ寄ってくか?」

 カザカは理奈の示す方向へ目を凝らした。遠くで犬が元気よく吠えるのが聞こえる。こうして雪中行軍の少女は三人に増えたのである。



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