第174話 強くなりたい

 常人の目では、火の明かり 星や月明かりを頼りにしないと、

外を歩き、物を見るのが難しい夜の中で、


「ソーマ様っ!? 」


 ミザリーはソーマが跳ね飛ばされるのを見た。


 ヤギの魔物とソーマとの身長差から、

すくいあげるように、魔物は角で 彼の胸を打ち上げた。


 五本生えている角の 中心の一本は、

螺旋らせん状の杭のように、槍のように鋭く伸びており、

 ソーマは その角に刺されるのを避けたが、

車ほど トラックほどの速さで走る魔物の角を胸に受けて、

打ち上げられたボールのように飛んでは 地面を転がっていた。



 転がり終えて、うつぶせに倒れ伏すソーマに対し、

ヤギの魔物は その場で棹立さおだちになり、

耳を覆ってしまいたくなるほどに悲鳴を上げていた。


 魔物の左目には深々と、折れた角が突き刺さっていた。


 中心の角を避け、左の角にソーマが胸を打たれた時に、

ソーマの手に持っていた角が それであった。



「あ―― 」

「っ―― 」


 ソーマのくわを拾おうとしたラルレとピアの二人は、

その光景に顔を青ざめ言葉を失っていた――





 ようやくたどり着いた その時に、その光景を目撃し、

ジョンは信じられずに足を止めてしまった。


「ソーマ、君……どうして……」


 体調を崩しているはずの、家で寝込んでいるはずの、

ここにはいないはずのソーマの姿を見て――


 魔物に角をぶつけられ、地面へ転がり、

倒れ伏したまま動く気配のないソーマの姿に――


 ジョンは呆然と呟くことしかできなかった。


 だが、それも一瞬のことで、

状況を素早く確認したジョンは、


「魔物め……よくもっ!! 」


 ソーマに左目をやられ、痛みに悲鳴を上げ、

戦闘どころでは なくなっている魔物へ駆け出していた。



(ボクは―― )


 ジョンはヤギの魔物への憎しみに顔を歪めていた。


 それはすなわち、ソーマへの愛情の裏返しでもあった。


 ジョンは貴族の子として生まれ、貴族として育ち、

貴族の、家のしがらみとらわれて生きてきた。


 そのためにジョンは後天的に男色家になったわけだが、

他の者たちは、ジョンをブリアン家の嫡子ちゃくしとして、

その一面のみでジョンと接していた。


 バーントはジョンの数少ない友人であったが、

ジョンが貴族であることを意識しており、

ジョンの両親のせいで ジョンと離されたこともあった。


 貴族としてではなく、男色家として、

ジョンをジョンとして見て接していたのは、

その欲望の対象にされたソーマだけであった。


 ジョンは意図せず、ソーマに迷惑をかけ続けた。


 体調を崩す原因になったり、ソーマの持ち物が紛失したり、

両親が辞めさせた使用人たちがソーマに悪意を向けたこともあった。


 ソーマの心に深く傷をつけることになってしまった。


 けれどソーマは、時には傷ついたジョンを抱きしめることもあり、

男色は拒否すれども、ジョンを拒絶せずにいた。



 身分の差を意識しないソーマと出逢って、

ジョンは彼の優しさを知った。


 謎の黒い空間の中で、肌が白く見えるソーマに出逢って、

ジョンは自分の想いを認められた。



 ヤギの魔物へ向かうジョンの左目は赤く、

髪と同じ黄色であった右目も 今は赤く光を反射していた。


 怒りに、憎しみに歪めた顔のまま――





 ミザリーはブリアン家に関わりのある家の娘であった。

また、黒魔導教団に属する団員の娘であった。


 使用人として、団員として育ち、

目的を持って ブリアン家に使用人として潜り込んだ。


 目的のため、またそれとは関係もなく、

恋を知り、失恋をし、漠然ばくぜんと働き 生きてきた。


 漠然とした日々が変わったのは、

ソーマたちがやってきてからであった。


 使用人として、団員として、

今まで受けていた任務も内容が変わった。



 黒髪のソーマのそばにいるように――



 偶然起きた過失から、彼のそばに居続けられるようになり、

他の団員へ彼の荷物を流す手引きもしていた。



 けれど、ソーマは それを知らず、ミザリーの、

使用人や団員としての複雑な立場も知らず、

 時には手を繋ぎ、時には守ろうとし、

一人の女性としてミザリーを受け入れていた。



 ソーマと手を繋いだ時、彼の腕に抱かれている時、

ミザリーは複雑な立場を忘れ、ただ一人の女性でいられた。


 ミザリーは今も まだ、自らの素性を明かすことができず、

ソーマ達はミザリーの素性を疑うことを考えもせず、

旅の仲間として共に行動をしていた。



 長く尖る エルフ 耳に形状が変わる前も 後も――



 その耳に、ジョンが猛烈な速さで近づいてくる足音と、

うつ伏せに倒れ伏したソーマの口から、

粘り気のある液体が気泡をともなって吐き出される音が聞こえた。



 ジョンの救援を知り、ソーマの死を目前にし、

いくら矢を放っても通用しなかった魔物に、

 ミザリーは、いっそのこと 弓と矢を手放して

その場に座り込んで 放心していたい衝動に駆られていたが、


 ―― 守るために……戦う勇気を……


 戦う直前に ソーマが呟いた言葉を、ミザリーは思い出した。


 くわを手に 魔物の方へと向いて立っていた後ろ姿を、

二度、迫りくるヤギの魔物へと駆けていった姿を思い出した。


 黒い空間の中で 肌の白く見えるソーマの姿を思い出した。



(わ、私は……―― )


 残り少ない矢を再びつがえたままであったミザリーは、

手や足や、胸、頭の中でさえ襲う、肉体的 精神的衝動で震えながら、

それでも、痛みに暴れまわるヤギの魔物へ、狙いを定め――






(―― ボクは、強くなりたいと 君に願ったのに!! )

(―― 私は、強くなりたいと あなたに答えたのに!! )


 かつて、黒い謎の空間の中で、

肌の白いソーマに問われたことを思い出し、

二人はヤギの魔物へと敵意を向けた。


 目に刺さる折れた角の痛みに暴れ走り回っていたヤギの魔物は、

痛みに慣れなかったが、ジョンとミザリーの敵意を感じ、

近づいてきているジョンへ角を向けて走り出した。


 ジョンは左手に盾を持ち、腰に剣を帯びている。


 だが、剣は抜こうとせず、


「たぁっ!! 」


 魔物の中央の角の下、顔の中心へ右拳で殴りつけた。


 骨と骨が打ち合った音が まるで、

銅鑼ドラを強く叩き鳴らしたような音が響いた。


 ソーマを打ち飛ばしたほどの魔物の速度に対し、

正面からジョンは殴り、魔物の足と勢いを止めた。


 その魔物の脇腹に、緑色の光が線となって ぶつかった。


 ぶつかって すぐに光は消え、その後に残ったのは、

体に深々と突き刺さった矢の後端であった。


「……」


 ミザリーは移動しながら矢筒から矢を三本 掴んで取り出し、

矢をつがえた時に、矢に緑色の粒子が集まり 包み、

緑色の粒子が強く光を放っていたのであった。


 さきほどまでは避けられ、弾かれ、

皮膚 表面の毛皮に刺さって落ちるだけだった。


 だが、三本束ねて放たれた矢は それぞれが一じょうの光となり、

よろめき後退あとずさった魔物の胸、腹、尻に、

吸い込まれるように突き刺さっていた。


 顔の中心を殴られ、四本もの矢が深く刺さり、

ヤギの魔物は緑色の体を自らの血で赤く染めていた。


 魔物は悲鳴を上げようと


「よくもソーマ君を傷つけたね。」


 することもできず、ジョンにのぞを掴まれ、

その勢いで仰向けに押し倒されていた。


 怒りに、憎しみにジョンの両目は赤くあやしく光り、

ヤギの魔物は口から赤い泡をいていた。


 ミザリーはジョンにも魔物にも目をくれず、

ソーマのそばに近寄ってみたものの、

どうすることもできず しゃがみこんでいた。



 一部始終を見ていたラルレとピアは、

魔物の肉と骨が砕け ちぎれ、血が舞うのを見聞きしながら、

恐怖から互いの体を抱きしめ、声を出すことも忘れ、

その光景から目が離すことができなかった。

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