第157話 毒は消えても傷は消えず

 また、逃げちゃったなぁ……あの子……


 毛虫の魔物の毒で苦しんでいたけど、

そもそも、村から一人で出てきてたみたいだったし……


 勝手に森へ来てたのかなぁ……

何のためかは知らないけど……



 おれは走り去った子供の後ろ姿をジッと見つめて、


「す、すみません……うちのバルトが……」


 あの子のお父さんが、すまなさそうに頭を下げていた。


「いえ、いいんですよ。それより念のため、

手は しっかり、水で洗い流した方が良いですよ。」

「は、はい……そうします……」


 随分とかしこまっている様子の父親を見て、


(この人も、おれの髪を見て 出ていけ とか言うのかな……)


 なんてことを考えてしまっていた。



 別に感謝なんてされなくても……ただ……



「あ、ソーマさんっ! 水、持ってきました!! 」

「シアンさん……」


 両手で水瓶みずがめを抱えて、

シアンさんが小走りに駆け寄ってきた。


 それを見て、二歩 三歩とシアンさんの方へ歩いたけど、


「あー、と、バルト君でしたっけ。

 一人で森の中にいて、毛虫の魔物に遭遇したんですよ。

その毛虫の魔物は、もう倒したんですけどね。」


 やっぱり、この事を伝えることにした。



 どうせ後でわかることなんだし――



 それを聞いて父親は殊更ことさら縮こまってしまったようだった。



「―― あっ!? 」


 重い物を持って走ったのか 何かに蹴躓けつまづいたせいか

バランスを崩したシアンさんの


「っ!? 」


 両肩に咄嗟とっさに手をのばして、

彼女を支えることができたんだけど、


「ご、ごめんなさいソーマさん……」

「いや、別にいいよ……」


 水瓶からバシャンと勢いよく出てきた水が、

おれの顔や頭を冷たく濡らしてしまっていた。


「シアン……」


 アルテナは やれやれと言いたげな顔でこちらを見つめ、


「あー、びしょびしょ……」


 おれはうつむいて手で顔をいて、

顔に垂れる前髪を払って、顔を上げた。



「おい……」

「あいつ……」


 おれの周囲のあちこちで、どよめく声が聞こえた。



 嫌な予感が、いや、もう予感じゃないな これは……


 なんでバルトっていう子が逃げたのか。

なんで何も言わずに、おれから逃げていったのか。



「あいつの髪の色……」

「とても黒いわ……」



 そんなに、そんなに髪が黒いのってダメなのかよ――



「静かに!! 」


 女性の一喝で、周囲のどよめきが消えた。



 村人たちが、バルトの両親が、シアンさんやアルテナが、

おれも声のした方向に、彼女の姿へと顔を向けていた。



「先ほどの、彼の行動を見ていたでしょう?

先ほどの、彼の言葉を聞いたでしょう?

彼らは あの子を助けた。我等パルステル教の信徒を、

ファスティエル様の子を、それを我等は見届けた。」


 村人たちと一緒に遠巻きに見ていた彼女が前へ、

こちらへ近づいて、鈴の音のような綺麗な声を周囲へ響かせた。


「で、でもロスティ様。」

「あいつは髪が黒くて……」


 それを聞いて、何人かの村人の声があがり、


「村長……教祖様が招き入れた冒険者たちの中に彼が、

髪の黒い者がいることは知っているはずです。

 この村に近いハニカ村でのはちの魔物の騒ぎは、

この村でも重要なことの一つであったのだから。

知らなかったと言うのなら、教祖様に聞くのが良いでしょう。」


 薄い水色の髪の女性は、その声の方へと視線を向け、


「とにかく、彼は我々が招いた冒険者の一人である。

何より、あの子の異変を治し、森にいた魔物を倒している。

髪が黒いからと言って、それが恩人に向ける態度ですか? 」


 金で装飾された杖で トンと地面を突いていた。



 周囲の村人たちは、彼女の言葉に声が出なかったようだった。

おれもだけど……



「黒髪の、確かソーマと仰いましたね。」

「え、あ、はい……」


 口元に笑みを浮かべた薄い水色の髪の女性が、

おれの目の前へと近づいた。


 彼女の胸元の 金のネックレスが、

チリンと揺れたのが見えた。


「正直に懺悔ざんげします。

 私も、あなたの話を聞いた時は、すぐにでも

立ち去っていただこうと考えていました。

 そして、教祖様に考えをうかがったことがあるのです。」


 おれも この場にいる人達 全員が、それを聞いて驚いて、


「けれど、私は教祖様に叱られました。

 我々パルステル教の信徒が黒い髪を忌避きひするのは、

聖書に記された、その教えを守っていく中で、

『髪が黒い者は悪い者だ』と、簡単に思い込んでいたからでした。

 聖書には、の起こした悪いことが責められていた。

私は繰り返し、聖書を読み返しました。

『罪を裁き、悪事を裁き、それでも心あらためぬ者達を、

ファスティエル様は討つしかありませんでした。』

 ファスティエル様は、彼らの悪行に立ち向かったものの、

彼らの存在を否定してはいませんでした。

 それを私は教祖様から教えられました。

その時はまだ、教祖様の言葉や教えに反目はんもくする気持ちが、

自分の思い込みが正しいのだ という気持ちがありました。」


 彼女はシアンさんに視線を向け、おれの目を見て、


「私はあなたの話を聞き、あなたの行動を この目にして、

自分の浅はかさを思い知ったのです。ごめんなさい。」


 みんなの見ている前で、深く、頭を下げていた。


 村人たちのどよめきが再び起きた。

それはたぶん、彼女が、おれに頭を下げたから……



 その周りの動揺を無視して頭を上げた彼女が、


「今、この場において私が、

ファスティエル様の子であるロスティが言います。

ようこそ黒髪のソーマ、カラパスの村へ。パルステル教の村へ。」


 微笑んで、おれに握手を求めてきた。


 おれは、声が出なかった。


 声が出なかったけど、

握手に応えると、彼女の手は嘘をついていなかった。


 彼女の手は避けることも、払うことも、震えることもしなかった。

むしろ、おれの手の方が震えていたのに、

彼女は しっかりと、おれの手を握ってくれていた。



 水を浴びて頭も顔も濡れていた おれの顔に、

また水滴が伝い落ちてきた……


 うつむいて、もう片方の手でぬぐっても どんどん落ちてくる。


 濡れて、体が冷えたのか震えてくるし……


 視界が熱くにじんで、目を閉じて耐えていると、

彼女の手が離れ、抱きしめられた。


 おれが水を浴びて濡れているのも、

服が濡れて冷たく感じるだろうことも気にせずに

ロスティさんは抱きしめ続けていた。



 あぁ……あったかいなぁ……


 おれに、ここにいても良いって言ってくれる人がいるんだ……

良かったぁ……


 気持ちが落ち着くまで、

おれは彼女の抱きしめられるままになっていた。

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