品川でも綿の加工をする工場を作ろうか

 さて、秋は綿の収穫の季節だ。


 綿、正確に言うなら木綿そのものの衣類などに使うための歴史はかなり古く、特にインドでは古く約8000年前から約5000年前の間にはすでに使われていた。


 インドの綿製品はその後、アラビアにまず伝わって、さらにヨーロッパにももたらされたが、ヨーロッパでは羊毛に比べて、木綿はとても高価なものであった。


 エジプトも綿の主産地の一つであるが、気候的に木綿の衣類があまり必要でないため、エジプト綿自体は14世紀頃までに栽培が始まって、ヨーロッパに輸出された。


 中央アメリカでも古く約8000年前から栽培され利用されてて、こちらも意外と古い。


 コロンブスがアメリカ大陸にたどり着いたときに、西インド諸島一帯ではワタが栽培されており、先住民であるネイティブアメリカンは、木綿の布を持っていたのもあって、コロンブスはインドの近くに着いたと思ったのである。


 そして木綿の原産地はアフリカだった。


 人類がその種を持ち移動していく途中でインドやメキシコと言った、綿の栽培にむいた地域で栽培が行われていったことからも、広まっていったんだな。


 もっとももともとは大陸が一緒だった5000万年前からそれらはすでにあって、大陸が別れても気候が同じような場所では生き残ったようでもあるんだが。


 中国では後漢の頃にインドから仏教などと共に綿布がもたらされたが、中国では木綿よりも絹、麻、羊毛のほうが手軽に手に入るため木綿の普及は遅く、本格的な栽培は南宋の10世紀頃に始まった。


 日本においては、8世紀末に一度伝来したようだが、その時は栽培に成功しなかったため定着せず、木綿が広まるのは戦国時代以降、経済的栽培が始まったのは16世紀に入ってから。


 そして衣類の繊維として木綿のものが記録上に散見されるようになるのは、14世紀中頃以降で室町期に入ってから。


 この頃の木綿は明や朝鮮からの輸入品で、明と貿易をしていた室町幕府はそれを独占し、室町時代中期には木綿需要が急激に高まったが、これは着心地の良さや保温性などに加えて、兵衣として抜群の性能を持つことも大きかったようだ。


 応仁の乱以降は細川と大内が明との貿易を独占するが、九州の諸勢力は競って朝鮮から木綿を輸入するようになった。


 それにより朝鮮国内で木綿が深刻な品不足に陥ると、朝鮮は木綿の価格を引き上げたり、輸出に制限をかけるようになり、諸勢力は木綿の日本での栽培を検討するようになった。


 一般には江戸幕府の創始者である徳川家康の三河発祥地説が有名だが、実際はおそらく朝鮮や中国に近い九州からはじまったではあろうが、ポルトガルの鉄砲の伝来から即時に畿内にもその製造法が伝わって広まったように木綿の栽培も、ほとんど同時的に日本各地に平行して種子が伝わり、関東くらいまでは綿作が行われるようになったと思われる。


 木綿が普及するまえは、庶民が身につけていた衣類の素材はおもに麻だ。


 無論その他にも絹のほかにふじくずこうぞといった植物もある。


 ちなみに「真綿」とは生糸、つまり絹糸のことを指すのでこれは植物性ではない。


 そして江戸時代には綿は町民にとって麻にかわる衣料素材や寝具に必要なものとして、木綿栽培や機織りなどの産業は急速に成長した


 麻を糸にして、機織り機で布に仕上げるのにはとても時間がかかり、布一反を織るのに四十日はかかる。


 だから秋から春の農閑期に毎日朝から夕まで織り続けても、三反ぐらいがせいぜい。


 家族に着せる衣類を作り、仕立て上げて、ほつれを直したり、年貢として収めるために、女性は小さな娘時代から年老いるまで、糸紡ぎから、機織り、仕立てなどの衣類に関する仕事に時間を費やしていたのである。


 それはともかく木綿は輸入だけに頼っていた頃は、幕府の上層部や公家、僧侶等だけが着る貴重品だったが、戦国時代に入ると兵衣だけでなく、陣幕、旗、幟といったものや火縄銃用の火縄にも使われるようになったが、戦国期は終わればそういった需要が減ったため、一般庶民にも手に入るようになった。


 とはいえせんべい布団一枚三両(約30万円)という時代でもあったので、貧農はまだまだ寝藁で寝ていたりもするのだが。


 そして木綿が麻をおしのけて衣類用素材として急速に成長したのは、小氷河期である江戸時代ではその高い保温性能が冬の生死に関わるくらい大事なことであったことに加えて、柔らかい着心地の良さ・染色のしやすさとその鮮明さといった品質の優位性に加えて、木綿は植物から糸にする時の加工の手間などが麻にくらべて格段に少なかったからだ。


 麻は刈り取った茎を腐らせて、湯で煮てやわらかくし、平らにひろげ、爪を使って細かく裂き割り、指でより合わせなければいけなかったが、木綿は糸車を使って糸をひき出していくだけでよかったから、麻の糸を作るよりも簡単でそれだけに生産性も高かった。


 もっとも機織りで布にする段階では、麻も木綿も大して変わらなかったが。


 そして綿は、あまり肥沃な土壌ではないほうが、花実の付きが良くなるため、稲があまり取れない場所での栽培にもむいていた。


 ちなみに綿を摘んだり機織りをするのは女の仕事であるため、秋口に成熟した綿花を摘み取る作業をするものや、塗桶という道具を使って綿をのばし、小袖の中入れ綿を作るものは綿摘、綿帽子を作るものはそのまま綿帽子、機織りをするものは機織女と呼ばれたが、それを表向きの仕事として、ひそかに売春を行う私娼も綿摘や綿帽子、機織女と呼ばれた。


「そういう意味合いじゃなくてちゃんとした職業にしたいもんだ」


 髪結いや針子のような仕事とともに、繊維関係の作業は数少ない女性が行える仕事なのでそれを専門に行うための糸取りや機織り、染色や仕立ての工場を俺は品川に建てさせることにする。


「少しでも春を売らないでもすむ、働ける女を増やせる環境にするに越したことはないしな」


 町人には糸取りや機織りをするための畑や時間もないため、基本的に古着を買うのが普通だがある程度は新品を買えるように出来たらもっといいと思うが、難しくはあるだろうな。

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