次は吉原音楽堂での歌劇を見せつけるぜ

 さて、出島のカピタンには吉原の万国食堂でオランダ料理でもてなし、花鳥茶屋でリラックスしてもらい、黒湯で温泉を堪能してもらった。


「うむ、温泉水は飲めなかったが十分堪能したぞ」


 カピタンは小見世の遊女の素手での体洗い&マッサージに上機嫌だ。


「では、次は何を用意してあるのかね」


「次は日本の歌劇をお見せいたします」


「ほう、歌劇かね」


「はい」


 西洋の歌劇というとオペラというイメージだが「オペラ」という単語自体はイタリア語で「作品」を意味し、単独で歌唱によって進行される演劇を意味するが、元来は「opera musicale」つまり音楽的演劇作品と呼んだものの省略だった。


 西洋の演劇の歴史自体は古代ギリシアやでローマでの娯楽性の高い劇が多く作られ”機械仕掛けの神デウスエクスマキナ”というのも、もともとはギリシアの悲劇で無理やり話をまとめるための手法だったりする。


 しかしキリスト教がローマの国教となって欧州に広まって以降、演劇は教会による弾圧の対象となって、ギリシャ・ローマ時代のように、劇場で上演されることがなくなった。


 一時期、ローマ・カトリック教会が布教のため、演劇的様式を取り入れたこともあったが、娯楽化が進み、再び教会にとって好ましくないものとして弾圧される。


 そしてルネサンス期に入ると劇場が復活しイタリアではオペラが戸外ギリシャの劇を復活させ、イギリスではシェイクスピアが描いた戯曲が劇となった。


 しかし、1640年に起こったピューリタン革命で、劇場は閉鎖・破壊されたが、1660年に共和制が崩壊し、王政復古の時代に突入すると、演劇の上演も再開される。


 フランスやスペインでは劇作家による喜劇が人気を集めた。


 そしてその後オペラの劇場は王侯貴族や富裕な市民の社交と娯楽の場として発展していく。


 日本の能は大名が好み、歌舞伎や浄瑠璃が大衆の娯楽として発展していくのだが、西洋の演劇はまだ上流階級向けのものが多いらしい。


 今回の演目は小瑠璃太夫。


 吉原遊郭に幼くして売られ太夫に上り詰めたものの長い修女としての生活で希望も愛も見失った”小瑠璃太夫”がある時吉原の街角でぶつかった旗本の青年との出会いが彼女の心を変えてゆくと言う話だ。


 ”ある日のこと。

 小瑠璃太夫が新しい髪飾りを買うために部屋から出て道を歩いている途中のこと。

 客を取った取らぬと他の店の遊女に因縁をつけられた。

 父をけなされ小瑠璃太夫は思わず遊女を突き飛ばす。

 逃げるために全力で走っていく先の交差点の角。

 そこから出てきた若侍とぶつかってよろけ倒れてしまいました。”


「あいたた……」


「すみません、大丈夫ですか?」


 ”そう答えるは育ちの良さそうな物腰をした若い武家様”


「ああ、心配いらさんす、ぶつかったのはわっちの方でやすからな」


 ”小瑠璃太夫はその手を取ると立ち上がって衣装のホコリをはたき落とす。

 すると”チリン”と地面に小さな青い石とそれを吊るしている赤い紐に下げた鈴が落ちてしまったのです”


「あ、それはわっちの……お守りでありんす。」


 ”お武家様がそれをつまみ上げると手にとってじっと見たあと”


「紐が切れてしまったようですね。

 私のせいでしょうか、申し訳ない」


 ”そういってお武家様は小瑠璃太夫にそれを差し出しました”


「大事なものであったのであれば私の方で修繕するより

 あなたが直されたほうがよろしいでしょう」


 ”小瑠璃がそれを受け取るとお武家様は微笑み言った”


「その代わりとしてお詫びをさせていただきたい。

 貴女さえ良ければまたお会いできないでしょうか?。

 私は中条冬弥(なかじょうとうや)と申します。

 そなたの名をお聞きしたいのですが」


 ”小瑠璃太夫は微笑み返して答えました”


「わっちは木曽屋の小瑠璃太夫といいんす 」


 ”それが二人の出会いであった。

 やがて小瑠璃と中条冬弥は三度目で、ようやく「馴染み」となるのです

 小瑠璃太夫は専用の箸や箸箱を部屋に置き調え彼を部屋に案内しました”


「小瑠璃殿。ようやく二人きりでお会い出来ましたね。

 私から貴女にこれを送らせて頂きたい」


 ”そう言って中条冬弥が差し出したのは絹でできた豪華な布団と夜着、瑠璃石の飾りがついた鼈甲のかんざし、象牙でできた髪梳き櫛、金と黒檀製の煙管、朱で彩られた手鏡など高価なものばかり”


「わっちにこれをお寄越しか。すべて有難くいただきなんすえ」


 そして座布団をしいて彼を呼び寄せます。


「主様(ぬしさん)、こちらへはようきなんせ」


 ”三三九度の契をかわして小瑠璃と彼は正式に馴染みとなったのです”


「これでわっちらは仮初の夫婦でありんすな」


「ええ、そうですね。

 できることなら仮初ではなく本当の夫婦になっていただきたいものでは有りますが」


「主様は口がうまあござんすな。

  大かた、内にはおかみさんがござんしょうね。

 わっちのところで油を売っていてようござんすか?」


「いやいや、私には妻はいないし、今日は時間を十分とってるから心配いらないよ」


「ほんにかえ?」


「先程の杯に誓って」


「あいわかりんした。

 わっちもこのなぐさみをともにできるなぞ、これより嬉しきことは無さんすえ

 そして主様今日は何をしんしょうか?望みがあれば言っておくんなまし」


「そうだねそれでは歌を一曲お願いしようか。」


「あい、わかりんした。」


 ”そして小瑠璃太夫は三味線と共に歌を歌い、それに中条冬弥も加わって二人は華やかに歌い上げる”


 そして中条冬弥は小瑠璃に実は1年前からあなたを好きだったと告白する”

 その言葉を聞いた小瑠璃は彼が去った後で物想いにふける。


「不思議やすな、他の客にも何度も言われた言葉やのに」


 ”純情で一途な青年の求愛に心ときめかせている一方で”


「所詮は一時の熱病のようなものでやしょうな。

 わっちが吉原から抜け出せる訳が無いんでやすし」


 ”小瑠璃の心は千々に乱れた、やがて、中条冬弥の思いを小瑠璃は受け入れていた”

 やがて小瑠璃は身請けされ冬弥様との子供を身ごもりました。

 そして十月十日後のこと……

 無事女の子が生まれました。

 少々小さい体ではあるものの元気な女の子です

 しかし、その二日後……”


「どうにかならないのか!」


 ”冬弥は医師に詰め寄った。

 子を生んだ小瑠璃は血が止まらずにいたのだ”


「冬弥様、申し訳ありません。

 せっかくあなたに救っていただいた私の命もこれまでのようです」


「何を言ってるんだ、これからだ、これから幸せになるんじゃないか!」


「私は吉原の大門をくぐったあの日地獄の日々から、心を閉ざし諦めることに慣れすぎてしまいました。

 神仏の加護などなく吉原の色地獄に落ちたものに手を差し伸べてくれるものなど居ない。

 ならば希望など抱かず人として生きるのではなく男に抱かれるだけの肉の傀儡として

 生きればいいのだと。

 でも、今はこう思うのです、私は今まで何のために生きてきたのだろう。

 幸せってなんだろう、私には何があったのだろう。

 冬弥様、あの地獄にあってあなたと過ごした時間だけが私にとっての幸福でした。

 そうでなければ心を持たぬ私は心なく死になにもないまま、誰も私を覚えるものも居ないまま

 消えていったでしょう。

 あなたが、あなただけが私を忘れずにいてくれたこと、私に優しくしてくれたこと

 心を失って居た私があなたの優しさにつけこんであなたから財産をむしりとろうとしていた

 こんな私でも……。」


「瑠璃!もういい、しゃべるな。医者をよべ、早く!」


「冬弥様私たちの子供をお頼みします。

 私が得られなかった幸せを与えてやってください。

 あなたは本当に私のような女にはもったいない方……。」


「瑠璃?」


「だから……これは……あなたに……お返し……致し……ます……。」


 "小瑠璃は青石のお守りを手に取り彼に渡そうとしました”


「瑠璃?!死なないでくれ?!瑠璃ぃー!」


 ”こうして苦界から抜けだした花魁は最愛の人に見守られながら果てました。

 彼女の部屋には馬酔木とホトトギスの花が残されていました。”


「わかったよ瑠璃、君と私の子供はきっと幸せになれるように育ててみせる。」


 ”その後生まれた子供は大事に大事に育てられたそうです”


「おお、なんと悲しい……」


 カピタンは涙ぐんでいた。


 どうやら成功のようだな。

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