紅葉狩りの席で藤乃の引退後のことを話したよ

 さて、秋も深くなってくると木々の葉っぱも赤や黄色に色づいてくる。


 ちょうど紅葉狩りの季節だな。


 そして、藤乃の引退後どうしたいかを本人からはっきり聞いて、身請け話はすべて断ることになった。


 藤乃なら身請け金が2000両にもなるんだろうから、普通ならもったいないと思うんだろうけど、彼女を手元において置けるというというのは長く考えれば逆に金銭的にも得をするんじゃないかなとも思う。


 藤乃自身には特に金が懐に入るわけではないので早くやめたいとかでなければ、そこまで拘る必要もない。


 そして、藤乃が見世に残って後輩の育成を行ってくれるようになったのは素直に嬉しい。


 まあそれはそれとして桜の時にも思ったが、禿からずっと遊女をやっているような場合は、本当にそれ以外を知らない箱入りになってしまうのはちょっと問題ではあるよな。


 まあ藤乃はともかく他の遊女たちが年季明けの後に嫁に行けないとか、行ったけど追い出されたというような事態に落ちいらないように花嫁修業のための建物はあるんだけど、やっぱ普段から少しずつ家事とか買い物、育児になれておかないとな。


 俺は遊女たちを広間に集めて言う。


「というわけで今度の紅葉狩りのための弁当作りでは、皆には材料を買うことから始めてもらうぞ」


 唐突に俺が言い出したからか遊女たちは首をひねってる。


「はあ、弁当の材料の買い物でやすか?」


「おう、桜にも年季明け前には買い物をやらせたりしたが、弁当を作るために必要なものを買うとか皆全然したことないだろ」


「そりゃそうですな、見世の出来合いの飯を食うか惣菜を屋台で買うしか、しとりまへんし」


「今はそれでいいけど、年季が明けたら日常生活に必要なものを収入の範囲で適切に購入するというのができないと結婚したあとで間違いなく困るだろ」


「そうかもしれまへんな」


「というわけで自分の好きなように弁当を作ってくれていいが、魚の刺し身とか生の貝とかあっというまに腐るようなものはやめろよ」


「刺し身はあかんですか?」


「うん、刺し身はあかんだろ。

 常識的に考えて、せめて焼こうぜ。

 そんなに大変そうなやつじゃなく好きな具を入れた握り飯と沢庵くらいでいいと思うぞ」


 ちなみにおにぎりの歴史はかなり古く弥生時代には三角のおにぎりがもう食べられていたらしい。


「握り飯に沢庵ですか」


 というわけでまずは買い物。


「おにぎりにはやはり梅干しですやろ」


「ああ梅干しは良いな、うまいし腐りにくくなるし」


「ではわっちは菜飯おにぎりにしやしょう」


 刻んだ菜っ葉を米と一緒に炊き込んだ物を握るのもいいな。


「ああ、それもうまいよな」


「じゃあわっちは、わかめ飯にしやしょ」


「ああ、それもいいな」


 わかめ飯は菜飯をわかめに変えたものだな。


 更に桃香も言う。


「味噌をつけて焼いて食うのがうまいでやすよ」


「ああ、味噌の焼きおにぎりはうまいよな」


 俺も味噌の焼きおにぎりは大好物だ。


 醤油も悪くはないがやはり味噌のほうが良いな。


「なら焼いた鱒をいれてみやすかね」


「ああ、それもいいな」


 この時代は鮭より鱒のほうが手に入れやすいからな。


 ちなみのおにぎりというと海苔が欠かせないように思えるが、海苔の養殖が始まり安価で手に入るようになるのはもう少しあとだ。


 必要な具を棒手振りから買って、米を釜で炊き上げて、それを握って竹の皮に包んで紐で結べばお弁当の出来上がり。


 にぎりめしを笹の葉に包むのは、フィトンチッドやサルチル酸によって殺菌力が特に強いからだ。

 21世紀では緑色のビニールに置き換えられてしまった葉蘭やプラスチックになってしまったいわゆる”刺し身のたんぽぽ”の食用菊も本来は殺菌力を目的としたものだ。


「ま、あせらんでゆっくりやりましょか」


 藤乃はのんびりしたものだ。


「どうかな? おいしそうかな? お姉ちゃん」


「大丈夫よ、ちゃんと美味しそうに出来てるもの」


 鈴蘭と茉莉花もだいぶ落ち着いてきたな。


 親方のところに行ってもこれなら大丈夫だろう。


「戒斗様、こんな感じでどうでやんすか?」


 桃香がうまそうな焼き味噌おにぎりを持ってきて俺に見せた。


「おお、うまそうだな桃香。

 ちと食べてみてもいいか?」


「あい、どうぞ」


 俺は桃香からおにぎりを1つ受け取って食べてみた。


 うん、うまい、なんとなく母親の味って感じだ。


「うん、うまいぞ、だいぶ上達したな桃香」


 それを聞いた桃香はぱあっと笑顔を花開かせた。


「えへへ、そういっていただけるとうれしやす」


 桃香もだいぶ頑張ってるよな。


 妙もなんか四苦八苦しながら弁当を作って、清花もおにぎり作りをやりたがってたので、手を洗わせてから十分冷めた米を手のひらに乗せるように渡してやったら楽しそうにまるめてた。


「おいちょ、おいちょ、でー」


「おお、できたな」


 多分よくわからないけど面白そうだからとやってみたんだろうな。


 で、なんとか皆弁当を作り終わって用意もできたようだ。


 いつもどおり水戸藩や尾張藩、紀伊藩の若様などやそのお付の女中なんかも来てるし当然彼らの警護の武士も居る。


「よし、じゃあみんな紅葉狩りに行くぞ」


「あーい、いきやしょう」


 俺達は吉原の大門を出て日本堤を左側に向かって歩いて正燈寺に向かう。


「すみません、本日庭を使わせていただきます三河屋と申しますが」


 俺はそう言いながら寺の関係者にそっと金を包む。


「うむ、浄財確かに受け取りましたぞ」


 寺の敷地に美しく紅葉している紅葉の木の下に風よけも兼ねて幔幕を張りめぐらせて火鉢なども置き、ゴザや畳を敷きその中の緋色の毛氈の敷かれた上に皆で座り自分たちで作ったお弁当を出して見せあったりしている。


「おおー、山茶花ちゃんの手作り弁当が食べられるなんてめちゃくちゃうれしいぜー」


「そう言っていただければ」


「鈴蘭、茉莉花、俺の買ってきた弁当とお前さんたちの弁当を交換しようぜ」


「はい、ぜひそういたしましょう」


 権兵衛親方と弟子は相変わらずだ。



 で、俺はこの席で殿様たちに公表する。


「皆さん、藤乃を身請けしたいと、おっしゃってくださったことはまことに感謝しております。

 しかし、藤乃自身の意志を尊重し彼女には三河屋に残ってもらい後輩の育成に携わってもらうことにいたしました」


 水戸の若様は笑って言う。


「ふむ、それもよいのではないかな」


 彼はもともと身請けの話を持ってこなかったのもあるのだが、江戸に藤乃が残るのは嬉しいのだろう。


 一方で尾張の殿様は複雑な表情だ。


「そうか、それは残念だ」


 一番藤乃の身請けを熱望していたのは実は尾張のお殿様だったんだよな。


 財力的にも地位的にも藤乃の身請けの最有力候補だったのではあるので申し訳ないんだけど、こればかりは本人の意向を尊重せざるを得ないのでな。

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