遊女の一日 中見世の遊女小太夫の場合

 わっちは伊勢屋のお職(売り上げトップの遊女のこと)小太夫でありんす。


 少し前までは潰れた湯屋の湯女や水茶屋の散茶が吉原に引っ越してきて、客を取られて食うや食わずの生活でやんしたが今では大奥の奥女中様の所にて芸事を行ったり、大奥で書かれた本を預かって吉原へ持っていくようなこともやるようになりました。


 大奥への伝手ができるなど思ってもおりませんでしたが、まっこと不思議な事でございます。


 わっちらは昼間に色々行うことが多いので朝起きるのは朝五ツのたつ(おおよそ朝8時)です。


 まずは寝ていた布団を畳んで押入れに上げ、風呂に入るために湯屋に向かいます。


 見世の外は非人が道の掃除を始め、若い衆が店前を掃除し、肥取りの人たちが大門から入ってくる時間帯です。


「肥取りの運ぶ下肥も臭くなくなってありがたいこってすな」


 三河屋の楼主さんがはじめたというおがくず厠は吉原ではほぼそれに置き換わっています。


 臭くならずウジもわかず黒くなったおがくずを蒔いても根腐れなども起こらずとても良い肥料になるらしく、以前の吉原はこの時間は糞尿の匂いで包まれていたけど今はそれもありません。


 そして三河屋さんが掘り当てた吉原の”黒湯温泉”は江戸の街にある他の「薬湯温泉」に比べて格段に安いのです。


 薬湯は熱海、伊東、箱根湯河原などの湯を温泉から樽詰めにして江戸に運んできたり、草津温泉の湯の華を買って入れたり、様々な薬草を入れたというものなのですけど、当然ながらこういった薬湯を使った日の湯屋の入浴料は高くて、20文以上が普通ですし、箱根や草津の湯であれば32文以上するのだけどここは8文と他と変わらないのですからありがたいものです。


 そしてまだ朝早い時間帯であればそれほど混んでいることもありません。


 私は受付で銭を払って黒湯の温泉に入りました。


 浴槽のお湯を湯おけでお湯をかぶって内湯に入って垢を流し落として糠袋で体を洗い、その後黒黒としたお湯に入れば体もポカポカ温まるというものです。


「はあ、広々とした温泉は極楽だねぇ」


 そうしたら先客の親子連れに声をかけられたのです。


「おや、あなたはもしかして三河屋さんの小太夫様ではございませんか?」


「あい、そうでやすが?」


 厳密に言えば私は三河屋の遊女ではないのですけどね。


「ああ、吉原娘の皆さんの歌や踊りはみな素晴らしいと思います。

 これからもがんばってくださいね」


「がんばってー」


 ちっちゃい女の子が笑顔で言ってくれたのは誠に嬉しいことです。


「あい、頑張りんすよ」


 風呂をあがったら、見世にもどって今日の予定を確認します。


「今日は大奥に行って早踊パラパラを披露するのと大奥の書き上がった本を三河屋さんに届ける……んですね」


 確認が終わったら広間に向かって朝食をとります。


 少し前までは毎日食うや食わずの一汁一菜が有れば御の字であったのを考えれば地獄と極楽ほどの差がありますね。


「ほんまに食える飯が良うなったのはまっことありがたいことでありんすな」


 今日の献立はわかめとしじみの味噌汁、雑穀と玄米のご飯、大根の漬物、小魚の佃煮、それに焼き海苔に茹でた鶏卵。


「ではみなはんいただきんすか」


「いただきんしょう」


 吉原娘。と演奏を行う仲間で一緒に飯を食べて腹がたまったらお膳をかたずけて今日大奥で行うことの予行演習リハーサルを行います。


 三味線の演奏を行い各自の立ち位置や動作に問題がないか確認し問題はないことは確認できたとおもいます。


「じゃあ、本番も頑張りましょ」


「あい!」


 大奥で何度か女歌舞伎を演じているとは言え一緒になって踊ってもらうというのははたしてうまくいくだろうか、ちょっと心配ではありますな。


 それから皆で髪をきちんと結い、化粧を施し、歯を磨きうがいをして、外出の準備を整えます。


 太夫のみなさんみたいに華々しく道中を飾るわけではないとは言え私たちは大奥への出入りが公認されてるからこそ、吉原の代表であることを忘れてはいけないのです。


 もっとも太夫さんではなくわっちらが出入りできる理由は、万が一上様の目に入っても大丈夫なようにというのはちょっと悲しいものはありますが。


 もちろん太夫さんたちや御台所様などに比べればわっちらの外見は綺麗であるとはいえないのでしょうけどね。


 そこへ三河屋の楼主である戒斗様がやってきました。


「小太夫、今日は大奥での早踊りの初披露だが大丈夫そうか」


「あい、わっちらに任せておいてくんなまし」


「ああ、大奥の女中さんたちの運動不足を解消できるといいんだがな。

 尤も奥女中の女性は最初はちょこっと踊ったら疲れて動けなくなるかもしれないからそのあたりもうまくやってくれな。

 一般庶民より遥かに腕を動かす機会もないだろうし」


「たしかにそうでっしゃろうなぁ」


 見世を出て皆で歩き昼八ツの未(ひつじ)の刻に江戸城へとたどり着きます。


 大奥への通用門である平川門は江戸城の裏門ですがそちらへ赴いて、門番さんに顔を見せてから大奥の入り口である広敷向から七ツ口をぬけて奥女中のみなさんが住まう長局へ向かいます。


「本日はお招きいただき誠にありがとうございます。

 拙い芸ではございますが皆様にお楽しみいただければ幸いでございます。

 そして皆様できれば一緒に踊ってくださいませ」


 女歌舞伎が出来る舞台がしつらえてある部屋に暇を持て余した奥女中のみなさんが集まっています。


「ではいきますえ」


 速弾き三味線が音を上げると私達吉原娘。は皆で揃って手や腕を曲に合わせて動かしながら足を左右移動させます。


 舞踊でも無く吉原娘。の今までの踊りでもなく踊り自体はかなり簡単なもの。


「これは私達にも踊れそう」


「そうね」


 そして奥女中のみなさんが見よう見まねでそれっぽく踊リ始めます。


 とは言え腕を曲に合わせて振り続けるというのは意外と体力がいるのであっという間に皆さんバテてしまいましたけど。


 きっと明日は肩とか腕が痛くて上がらないとかになりそうな気がしますね。


 私たちは踊りを終わると一息ついて奥女中の皆さんへ伝える。


「ありがとうございました。

 あと赤子本や定本を三河屋さんのところへお持ちしますので出来上がっている方はお渡し願います」


 そうすると何冊かの本を私たちは預かることになりました。 


 申の刻(午後4時くらい)に私たちは江戸城を出て吉原へ歩いて帰ります。


「成功したみていでよかったでんな」


「ほんまほんま」


 そして三河屋さんのところに立ち寄って風呂敷に包まれた本を渡します。


「三河屋さん、大奥の女中さんたちの本ですえ」


「ああ、ありがとうな。

 踊りの方はどうだった?」


「あい、皆さん楽しんでいただけたかと思います」


「ああ、そりゃなによりだ。

 ありがとうな小太夫、みんな」


 見世に帰れば夕食です。


 朝食に比べれば質素ともいえますけどそれでも十分な食事を取った後で化粧を直したりして夜見世の用意をします。


 そして暮れ六つの酉の刻(おおよそ午後6時)日が暮れると吉原は賑わい始めます。


 妓楼に行灯や提灯の灯りがともされてゆき、吉原の往来を歩く人が増えて活気づくのです。


 三味線による清掻と呼ばれるお囃子が弾き鳴らされ、これが合図となり夜見世が始まるのですね。


 最も私たちは格子に座るまでもなく予約が入っていたりしますけど。


「へへへ、ようやく予約が取れたんだ。

 よろしくな」


「あい、わっちこそ」


 予約客を伴って2階に上がって自分の部屋へ通します。


「まずは酒でも一献いかが?」


「おう、適当に膳も持ってきてくれ」


 二階番が膳と酒を持ってくると私は酌をしながら世間話をして場の空気をほぐし、適当な頃合を見て二人で床につく。


 事を済ませて二人で身なりを整えたら階段まで見送りをします。


「またきてくださいやし」


「ああ、また来るぜ」


 本日のお仕事はこれで終わりです。


 以前は張り見世にいつまでも残り、冷やかしをうけつつも最後まで売れ残り悲しい思いをしたことを考えれば今は極楽ですね。


 そして夜四ツ亥の刻(22時)になれば後は寝るだけです。


 今は忙しくて大変だけども暇で苦しいよりはずっと良いものです。

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