今年の端午の節句は桜たちに柏餅を作らせよう

 さて5月5日は端午の節句で吉原の中通りだけでなく廓の中に花菖蒲や五月人形を飾って、きちんと客である武家などの健康を祝った。


 そしてこの日は夏の到来で布地が二重の袷(あわせ)から布地が一枚の単(ひとえ)に着替えるが今回はまあ針子に任せたり自分で縫い直せるものは自分でやるようにさせた。


 もちろん新しいものを買い求めたものもいる。


 そのあたりはもう強制しなくても良いだろうし太夫と新造や禿では対応が変わるのも当たり前だ。


 ちなみに3月3日の桃の節句が本来は男女関係なかったように、そもそも5月5日の端午の節句も本来は田植えや種まきなどの農作業が女性の仕事であり、この日は女性だけが魔除け厄除けの力のある菖蒲で屋根をふいた屋で過ごさせることで女性の無事を祈ったのが始まりだった。


 しかし、奈良時代頃に日本に伝わった時に男女は関係なくなり、貴族が厄除け物忌みの日として休日になり、鎌倉時代に武士が台頭した時期に「菖蒲」は武勇を重んじるという意味の「尚武」と同じ読みであることや、菖蒲の葉の形が剣を連想させることなどから、端午の節句は男の子の節句に、桃の節句は女の子のものとなっていったのだな。


 桃の節句では雛人形を飾るが端午の節句では商家は武者姿の人形の五月人形などを飾り段に飾る。


 むろん武士の家庭では、いざという時に使うための具足の虫干しをかねて奥座敷に広げて祝い、玄関には家紋の入った旗指物(のぼり)を飾った。


 鯉のぼりはこの武士が玄関先に飾った旗指物を真似て商人が旗指物の代わりに五色の吹流しを飾るようになって、いつの間にかそれに鯉の形のものがだんだん加わっていったらしいがこの時代には鯉のぼりはまだ揚げられていない。


 しかも鯉のぼりの風習は江戸だけの独特なものだったらしく全国的に広がるのは明治以降のようだ。


 最も21世紀ではマンションやアパートだらけになってしまって逆に鯉のぼりや五月人形を飾る家はだいぶ少なくなっていたが。


 また、戦国時代までは、端午の日に子供は河原などで小弓を打ち合ったり石を投げ合ったりしていたが、そんなことをすれば当然ながら負傷者や死亡者が相次いだために江戸時代には禁止されその後は、菖蒲を刀の代わりにした「菖蒲切り」という菖蒲の葉での擬似的な斬り合い叩き合いが流行したのだが、延宝年間(1673年から1681年)に吉原では菖蒲切りで大怪我をした禿がでたことから、その後はこの日に吉原は十五歳以下の子供は一切外から入れなくなった。


 まあ、禿は金と時間をかけて大切に育てている見世の宝だから気持ちはわかる。


 また、そういったこともあって菖蒲の葉で地面を叩いて大きな音を出したほうが勝ちという菖蒲たたきに変わっていったのだ。


 まあしかし、それでは吉原総合レジャーランド計画の支障になる。


 なのでそうならぬように予めなんとかしなくてはならないな。


 そして俺は桜と清兵衛に柏餅の作り方を俺が作り方を教えてこの日に吉原に持ってくるようにしてある。


「まいど~、三河屋さん。

 頼まれた柏餅持ってきましたー」


 清兵衛が汗をかきながら柏餅が入っているらしい重を三河屋の中に運び込む。


「おう、ちゃんと作ってきたな」


 桜が苦笑して答えた。


「そりゃ、大事な商売の機会だからって旦那と二人で一生懸命作りましたわ」


 俺はニヤッと笑って言う。


「まあ、これが来年から安定して求められればお前さんたちの店は後々まで安泰だ。

 動くべき時に誰よりも早く動くのは大事だぞ」


 二人は苦笑した。


「まあ、わかっておりんすよ」


「まあそういうとは思いましたがね」


 桜餅と同じく柏餅も江戸時代初期のこの時代にはまだ無い。


 柏餅ができたのは徳川九代将軍家重から十代将軍家治の頃らしく、柏の葉は新芽が育つまでは古い葉が落ちないことから、「家系が途切れない」ようにとの縁起担ぎで作られたようだ。


 なんせ将軍家は跡継ぎが早逝したりして何度も断絶の危機に晒されたからな。


 具体的な問題は大奥にあるとは思うけど。


 で、武家の大事な端午の節句に柏餅を食べて子孫繁栄を願うという風習は全国の大名家にすぐに取り入れられてその後参勤交代で日本全国に行き渡ったようだ、武士は縁起をとても大事にするし、跡継ぎがいないと家がつぶれてしまうからな。


 ちなみにあんこはこしあんでたっぷり砂糖入りだ。


 ちなみに砂糖は俺が大島の南蛮人経由で仕入れて二人に渡したものだ。


 大名様相手に砂糖餡は効果絶大だからな。


 そして、今日はお武家様の面々が藤乃の所へ来ている。


 そして俺はまた藤乃付きの禿の桃香に呼ばれて揚屋に向かう。


「水戸の若様が、戒斗様とお話しをしたいそうでありんすよ」


「おう、わかった今行くぜ」


 とりあえず、俺達は柏餅の入った重を持った桜を伴って、藤乃が接待している揚屋に向かい、座敷に上がることにする。


「三河屋楼主戒斗、失礼致します」


「元三河屋戒斗抱え桜、失礼致します。


 すっと障子を開けて中を見る。


 徳川御三家に甲府、館林、松代、会津などの殿様方が勢揃いしている。


「おお、楼主よ来たか。

 今日は何やら良いものを我らに献上するとのことで期待しているのだが桜太夫のもつ重の中身がそうかね?」


 俺は頷く。


「はい、俺が考えて桜たちに作らせたとても甘くて美味い子孫繁栄の祈りを込めた柏餅でございます」


 そして桜が重を差し出す。


「どうぞ皆さまにお召し上がりいただければ幸いにございます」


 柏の葉に包まれた白い餅を見て皆が目を輝かせた。


 この時代はまだまだ甘いものは貴重だからな。


 そして最初に手を伸ばしたのは水戸の若様。


「うむ、では遠慮なくいただこうか。

 して子孫繁栄とはいかなることか?」


「はい柏の葉は新芽が育つまでは古い葉は落ちずに見守るがごとく残り芽が育ちきってから落ちるといいます」


 水戸の若様は頷いた。


「ふむ、なるほどのう。

 ところでこの葉は食べるのかね?」


 その質問に俺は答える。


「食べても大丈夫でございますが食べなくともかまわないものでございます。

 皆さまのお好みに合わせてどちらでも大丈夫にしてあります」


 水戸の若様は頷くと柏餅を手に取った。


 そして葉を外して柏餅を口にする。


「うむ、なるほど甘くてうまいのう」


 それを見て他の殿様たちも餅に手を伸ばして口にしていく。


「うむ、まことあまくて美味よな」


「この餅についた柏の香りも良きものであるな」


「うむ、これはさっそく上様に献上しなくてはなるまい」


 そして会津の殿様が言う。


「うむ、我が藩邸のものにもわけたいがまだ餅は作り置きはあるのかね?」


 俺は答える。


「はい、そうおっしゃると思い多めに作らせてあります」


 そして他の殿様たちも言う。


「ならば我が藩邸にも」


「うむ、我が藩邸にもほしいぞ」


 俺は桜に目配せする。


 桜は頭を下げて言う。


「はい、では後ほど夫々の藩邸用へ10個ずつ。

 また将軍様への献上用に10個ずつあわせて皆様方の藩ひとつにつき合計20個お持ちさせていただきます」


 水戸の若様はちと不満げだ。


「もう少し数は揃えられなかったのかね?」


 桜は頭を下げて言う。


「申し訳ございません、私と夫の二人ではこれが限度でございます」


 水戸の若様は言う。


「ならば、作り方を周りにも広めるようにせよ。

 この日には必要なものとなるであろうからな」


 水戸の若様の言葉に俺は頭を下げる。


「はは、では他の茶屋などにも伝えさせていただきます」


 水戸の若様は笑った。


「うむ、そうせよ。

 どの家中でも子孫繁栄は大事であるからな」


 そして俺は続ける。


「また菖蒲切りでございますが菖蒲の葉は案外鋭く怪我をするものもでております。

 なのでもう少し安全な方法にしていただければと。

 せめて吉原の中にて禿に斬りつけることについてはこちらにて制限させていただきたいのですが」


 水戸の若様は頷く。


「うむ、吉原の内部においては惣名主の権限でやるのは構わぬ。

 江戸市中においても怪我のないように行うよう通達はだそう」


「は、ありがとうございます」


 これで桜と清兵衛の店はより安泰になるだろうし、吉原の禿がけがをすることもなくなると思いたいな。


 あと、清兵衛たちに嫌がらせや放火等があるとまずいので吉原裏同心として雇っている浪人と犬猫屋敷で訓練している犬を番犬として桜たちの店に行かせようか。


 浅草門前には夜は誰も居ないから念のためな。

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