切見世女郎の活用法も色々在るさ

 さて、今日は藤乃の所に水戸の若様が来ている。

そして俺はまた藤乃付きの禿の桃香に呼ばれて揚屋に向かっている。


「水戸の若様が、戒斗様とお話しがしたいそうでありんすよ」


「ん、わかった今行くぜ」


 とりあえず、俺達は揚屋の藤乃が持ってる部屋へ向かい、座敷に上がることにする。


「三河屋楼主戒斗、失礼致します」


 すっと障子を開けて中を見る。

そして徳川光圀は麺をすすりながらニンマリと笑う。


「おお、楼主よ来たか。

 この猪骨出汁の味噌中華麺(ミソラーメン)とやらは美味いのう。

 とくに猪の叉焼(チャーシュー)はとろとろと柔らかくて

 最高で余は満足じゃ。

 それに餃子じゃが焼いて羽根のような物が

 ついた物とはまことに面白い」


 相変わらず変わった食べ物が好きなこの人のために、俺は今日、麺に卵を練り込んだ黄色い中華麺に、猪の骨を砕いてじっくり煮込んで灰汁を取り続けた骨のスープと味噌を合わせたミソラーメンと、巻いて煮込んだあと焼いたイノシシ肉のチャーシューに、小麦粉をこねて伸ばした餃子をあえて焼いてその焼いた場所に小麦粉を薄く広げた羽根つき焼き餃子をだしてみたのだ。

中国の餃子はあくまでも水餃子や蒸し餃子で焼き餃子はないからな。

つけるのは酢だけだが、案外うまいんだぜ。


「へえ、ありがとうございます。

 ケンドン岩を安くゆずっていただけ

 こちらも助かってます、して水戸の若様に幾つか

 お願いしたいことがございます」


 徳川光圀はカカと笑った。


「うむ、申してみよ」


「まずは今月4月の8日に浅草の寺などでも執り行われる灌仏会(かんぶつえ)の祭へ

 うちの見世で寺への寄付を行いたいのです。

 むろん吉原の内部でも仏像に甘茶をかけるようなことはしますが

 あえて、浅草寺への花御堂への寄付を行わせていただければと」


 灌仏会とはお釈迦様の誕生日で、某漫画でもキリストのクリスマスに比べてブッダの誕生日知られなすぎ問題と言われていたな。

無論この江戸時代ではそんなことはないが。


 俺の言葉に徳川光圀は首をひねった。


「ふむ? 美人楼名義であれば別に良いのではないか。

 遊廓の名では困るかもしれぬがな」


「一応、移転の際の取り決めに吉原への江戸の祭りへの寄付免除

 がございましたので、やっても問題ないのか

 確認しておきたかったのです」


 徳川光圀は頷いた。


「うむ、確認は大切だからな」


 これで全国有数の観光名所である浅草寺のお釈迦様の誕生祭に吉原の見世がそれなりに大口の寄付をしたと観光客なんかに伝われば、口コミで良い噂も広まるんじゃないかな。


「もう一つは、吉原の中でのみ

 劇場にて女が芸をすることを公認していただきたいのです。

 そしてその座を私に持たせていただければと。

 吉原歌劇座と人形座を認めていただければ

 年季が過ぎても行くあてのない遊女に

 食うすべを与えられます」


 俺の言葉を聞いて徳川光圀はしばらく考えた。


「ふむ、それは私の一存ではなんとも言えぬのう。

 が、おそらく問題はないと思う。

 上様にも伝えてみるが、駄目とは申されぬであろう。

 遊廓の中でのみであれば風紀の乱れとも言われぬであろうしな」


「は、ありがたき次第にて御座います」


 とりあえず、灌仏会で美人楼の名義で浅草寺に寄付を行っておけば、吉原への寺社や浅草界隈からのあたりも少しは良くなっていくんじゃないかな。

本当は三河屋名義で寄付したいが、受取拒否されても困るしな。

まあ、同じ人間が経営してることを知ってる人間のほうが多いだろうから美人楼名義でも問題はないと思うが。

それと劇場と女芸人に関しては今のところ黙認は許されそうだ。

正式に認めてもらえればそれに越したことはないんだがな。


 さて、これで俺が預かった切見世女郎達、それぞれそれなりに銭を稼ぐ算段はついた。


 まず、顔は良くないが声が美しい奴や三味線などの楽器の得意なやつ手先が器用なやつの場合。

まず昼見世の時間に今劇場で行ってるのは傀儡芝居、つまり人形劇だな。


 価格は脱衣劇と同じで最前列は200文、それより後ろなら100文だ。


 傀儡女などによる傀儡芝居自体は平安時代からある歴史在る芸能の一つだ。

そしてこれは後に浄瑠璃と合わさって人形浄瑠璃になるのだが、歌舞伎がまだ未発達なのと同じで、浄瑠璃もまだ発展段階だったりする。

浄瑠璃や歌舞伎の脚本で有名な近松門左衛門(ちかまつもんざえもん)なんかもまだ生まれたばかりだしな。


 今日の演目は牛若丸と鬼弁慶だ。

まずは五条大橋での有名な創作話だな。

三味線がひかれはじめ、女の語り手が美しい声で語り始める。

黒子のように顔は隠し、ちょこんと正座している。

体つきは悪くないので美人だと思ってるやつかもいるかもな。


”熊野別当湛増は、熊野詣での最中の二位大納言の姫を

 力ずくでものにした。

 母の腹に18の月もの間いた、ややこは鬼若と名付けられ。

 京は比叡山に入れられる。

 だが、乱暴が過ぎて追い出されてしまった鬼若は

 自ら剃髪して武蔵坊弁慶と名乗るのです。

 やがて、弁慶は京で千本の太刀を集める悲願を立てました。

 弁慶は通りかかった帯刀の武者より999本まで集めたが。

 さあ、あと一本というところで、五条大橋の上。

 後の主従は出会いを果たすのです”


 弁慶の人形と牛若丸の人形がひょいひょいと舞台上に現れた。

語り手と人形師は別だ。


”弁慶は義経が腰に佩びた見事な太刀に目を留め、

 その刀をよこせと斬りかかる

 しかし身軽な牛若丸はひょいと飛び退き

 持った扇を弁慶へと投げつけて 

 さあ来い来いと欄干の上へあがって手を叩く

 薙刀を振分廻す弁慶の前やうしろや左右(ひだりみぎ)

 燕のような早業で牛若丸は弁慶の泣き所に蹴り入れる

 これにたまらず鬼の弁慶あやまって

 後の主従は出会ったのです”


 人形芝居のいいところは人間では無茶な動きを人形にはさせることができることだ。

ひらりひらりと舞い踊るかのように弁慶を翻弄する牛若丸なんてのは、実際に演じるのは難しいからな。

いや、ワイヤーアクションができるようになれば話は別だぜ。


 こういった人形劇は映画が広まるまでは大衆の娯楽として長く親しまれていた。

しかし、映画やテレビが普及するに連れてだんだんと廃れていってしまった。

時代に流れというやつだからしょうがないが、パペット劇は外国では21世紀でもまだ人気だったりするんだよな。


 この時代において歌舞伎や浄瑠璃で鎌倉時代の話が多用されるのは、江戸幕府の禁令ゆえの制限によるものだ、要するに幕府を批判するようなものはまかりならぬし、現存する大名家などに言いがかりをつけられても面倒なことになる。


 正保元年(1644年)に当代の実在の人名を作品中で用いてはならないという法令ができたので、忠臣蔵なども江戸時代ではなく南北朝時代の人物ということにされたりしたな。

しかし、足利幕府はつい最近まで存続していたことも有るし、残っている家のことを題材にするのは、その家からのクレームなどの面倒なことになりかねないと言うのも在るのだ。


 人形芝居は義経主従が活躍する一の谷や壇ノ浦、勧進帳で描かれる関所抜けの話から弁慶の立ち往生まで行って無事終わった。

狭い劇場だがそれなりに人は集まっていて、歌舞伎などに比べれば安いと気軽さがうけているようだ。


 そして夜になれば切見世の部屋での「艶噺紙芝居」を行う。

これは木枠に何枚か入った春画を差し替えつつ見せながら、顔を隠した切見世女郎がその場面や声を朗読していくというものだ。

人形芝居とは違って完全に夜の仕事だがこれが本職だしな。

見物は一回20文。

終わったあと遊女に抜いてもらうときは通常と同じで1切り(おおよそ30分)で100文。


 紙芝居で興奮しているうえに顔を隠していると、切見世女郎だとわかっていてもそれなりに興奮するのだろう。

なんだかんだで、延長したりするやつも多いみたいだぜ。


 罪を犯して非人に落とされてなどで教養がなく芸事もできないがそれなりに見目がいいやつは昼間は美人楼であんまをやらせている。

まあ、料金は安くしてるが。


「ああ、そこそこ。

 あんたは力が強くて気持ちいいな」


「ありがとうございやす」


 まあ切見世女郎は力ずくで男を引きずり込んだりするしな。

女でも俵の一俵や二俵くらいは持てたりするのだから別に驚くことでもないがな。

その他にも針子や料理手伝いなどをさせてるぜ。

これで男を無理に長屋につれ込んで、金をむしり取るなんて感じじゃなくなれば、むしろ稼ぎやすくなるんじゃないか、切見世の女郎でも。

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