脚気対策の食べ物を安く売り出そう・吉原揚げ饅頭”あげまん”の販売

 さて、水戸の若様に薩摩芋……この世界だともう薩摩芋と呼ばれないで琉球芋と呼ばれそうだが……の入手をお願いした。


 まあ、入手できるかどうかは正直わからんが、ちゃんと入手できてジャガイモと薩摩芋の栽培が日本中に広まれば、被害が大きかったという延宝3年(1675年)及び延宝8年(1680年)の延宝の飢饉もなんとかなるんじゃないかな。


 もしかしたら薩摩芋の病害虫などまで広がる可能性も在るかもしれない。


 だが、戦国から江戸時代初期にジャガイモを含め西洋からいろいろな野菜などが入ってきているのに、致命的な病害虫の拡散はなかったし、薩摩芋が琉球から種子島、薩摩、江戸から全国へ広がったときも特に何か有ったとは聞かないから多分大丈夫だとは思う。


 この時代は化学肥料などはないので、おそらく現代ほどは害虫なども繁殖しにくいんじゃなかろうか。


 そんなことを考えていたら、また俺は藤乃付きの禿の桃香に呼ばれた。


「藤乃様のお客はんが、戒斗様とお話しがしたいそうでありんすよ」


「ん、わかった、行くとするぜ」


 俺達は揚屋の藤乃が持ってる部屋へ向かい、座敷に上がることにする。


「三河屋楼主戒斗、失礼致します」


 すっと障子を開けて中を見る。


 今日の藤乃の客は時代劇の徳川光圀と同じくらいの年齢に見えるな。


「若旦那、こちらは尾張徳川家の御当主の徳川光義(とくがわみつよし)様でありんすえ」


「うむ、私が徳川光義だ。

 で、お前さんに聞きたいことだが、最近足がしびれたりむくんだりがひどくてね。

 おそらく江戸患いだとおもうのだが」


 それに藤乃が続ける。


「で、若旦那なら何か治す方法を知ってるんじゃないかと

 思うんで若旦那を呼んだのでありんすよ」


 なるほど、なんとなく状況はわかった。


「江戸患いか、なるほど。

 殿様はやはり白米ばかり食べていらっしゃいますか」


「うむ、江戸では出てくるのは皆白米だからな」


「大殿様でございやしたら蕎麦なども食ったりはしないのでしょうな」


「うむ、体面というものも在るしな。

 蕎麦など米が食えないようなものが食うものであろう」


「まあ、そうですな、本当は玄米や麦飯、蕎麦を食えば問題ないのですが」


「ふむ、そうなのか?」


「ええ、京のお公家さんや江戸でだけ流行るのは糠を取り去っちまうからなんです」


「ふむ、そうなのか。

 しかし、白米のほうが美味であるし、傷みにくいしな」


「そいつは否定しません」


 糠がついていると米を炊いた後、明らかに傷みやすくなるのだ。


 暖かくなってきたら、今のようにまとめて炊くのは玄米や雑穀米では危なくなる。


 今はまだ寒いからいいがな。


 江戸患いとは「足のしびれ」や「足のむくみ」、「疲労感」をきたしやがて死に至る奇病で、現代で言うところの脚気だ。


 平安時代以降、精米された白米を食べていた京都の皇族や貴族などの上層階級を中心に脚気は見られたが、江戸時代の江戸でも、精米された白米を食べる習慣が広まり、まずは上級の武士から広まっている。


 庶民は安い蕎麦もちょくちょく食うから、蕎麦からビタミンB1を摂れたので比較的脚気にはなりにくい。


 領地では玄米や麦飯を食べている地方武士も、江戸勤番では体面上白米を主食としたため、江戸在住の期間が長引くと脚気になることが多く、地方に戻るとすぐ治ることより、「江戸わずらい」と云われ恐れられているのだ。


 江戸時代にタイムスリップした医者が活躍するドラマにもなった漫画でも脚気が問題になっていて、安道名津(アンドーナッツ)というものを作って食べさせていたな。


「では、ちょっと作ってみましょう。

 しばし、お待ちください」


 俺は揚屋の台所へ行く。


「おーい、お前たちはうなぎの蒲焼を作ってくれ」


「へいわかりやした」


 その間に俺は俺で別のものを作る。


 用意するのは小麦粉、おから、米ぬか粉、砂糖、こしあん、胡麻ときなこに水。


 まずは小麦粉とおから、米ぬか粉、砂糖を混ぜて水を加え耳たぶくらいの硬さに混ぜる。


 胡麻を皿に入れ、練った餡をこねた皮で包み、そのうちに半分は皿の胡麻の上でころがして胡麻を付ける。


 後は油で胡麻の色が変わるまで揚げれば出来上がり。


 おから入りごま団子だ。


 胡麻をつけなかった方はきな粉を付けてやれば、きなこの揚げ団子だな。


「若旦那できましたぜ」


 開いて串をうち、タレが染みた鰻がうまそうに焼けている。


「おう、じゃあ、麦飯にそいつを載せてくれ」


「麦飯ですかい? 白米ではなくて」


「ああ、麦飯のほうがいいんだ」


「わかりやした」


 うな重の麦飯に吸い物をつけて、菓子はゴマ団子ときなこ団子。


 ビタミンB1は鰻、オカラ、米ぬか粉、きなこ、胡麻に多く含まれていてなおかつ胡麻はビタミンB1を吸収しやすくなるミネラルなども豊富だ。


「おまたせしやした。

 鰻の蒲焼き麦飯とゴマ団子にきなこ団子でございます。

 どうぞお食べください」


「うむ、いただこう」


 徳川光義が重を開けて中を見る。


「ふむ、これが鰻とな」


 徳川光義が俺をじろりと見てきた。


「まずは一口くってみてください」


「ふむ……ではいただこうか」


 徳川光義が俺を睨んだのはこの時代の鰻はマグロと同じくまずい魚とされていたからで、なおかつ現代風の身を開いて串を打って焼く調理法はまだ一般には広まっていないからだ。


 この頃は屋台の鰻なら1串16文(320円くらい)と蕎麦と同じくらいの値段で食べられたが、まずくて仕方のない魚、と言われている。


 この頃の鰻の食べ方は、筒状にぶつ切りにした鰻の真ん中に串を通して火で炙り、それに荒塩やたまり醤油、山椒味噌などをつけて食べるというものなんでな。


 やがて鰻の蒲焼が高級料亭での料理になると一人前の値段が銀10匁(おおよそ2万円)以上するようになったりするんだ。


 まあ時代の先取りってやつさ。


 箸で鰻の蒲焼きを麦飯ごと運ぶと彼は目を見開いた。


「なんと、これが鰻であるとな。

 とても美味いではないか」


 俺はホッとしながら答えた。


「ええ、鰻も調理の仕方次第ではうまくなるのですよ。

 そして江戸患いにもよいのです」


「うむ、このたれが染み込んだ麦飯も良いな。

 それからこれは?」


 と彼はゴマ団子を一つ食べる。


「うむ、ゴマ団子とやらは皮はカリッとしていながら、中はもちもちしており、こしあんの甘さが絶妙だな。

 きなこ団子もまた甘くて良いぞ」


「ええ、胡麻やきな粉も江戸患いに良いものでございます。

 鰻の他に鯉や鮒なども良いと聞きますので、なるべく食べるようにされるのがよろしいかと」


「うむ、良いことを聞いた。

 明日からそうさせようぞ」


 やれやれ、尾張の殿様の機嫌を損ねずにすんでよかったぜ。


「では俺はこれで失礼致します。

 何か有ったときはまたおよびください」


「うむ、そうさせてもらうとしよう」


 俺は揚屋から置屋に戻った。


 ふう、なんか徳川光圀経由で幕府のお偉いさんにいろいろ話が誇張されて伝わってる気がするんだが……。


 そういや、うちは食の内容を考えてるから脚気になるやつも出ないと思うが、他の見世の遊女は相変わらず白米と漬物と味噌汁ばかりで脚気になるやつも多そうだな。


 なんか、安くて脚気を防げそうなものを売り出したいところだ。


 安道名津みたいなものを考えるか、できれば遊女が手軽に食える安いものがいいな。


 ならまんじゅうはどうだろう。


 どうせなら和まんじゅうと中華まんじゅうの両方を作るか。


 中華まんじゅうの包子作りには現代ではドライイーストが在るが、今の時代には当然無いので天然酵母を作らないとダメだ。


 まあ天然酵母を作るの自体は結構簡単。


 まず酵母種を起こすための小麦粉に日本酒と水を加えて煮沸消毒した容器に入れよく混ぜて放置する。


 そして、一日経ったらまた少し小麦粉を加えて、かき混ぜて放置を繰り返す。


 すると、強いアルコールの香りの醗酵臭がしてくる。


 これを3日くらい放置すると天然酵母種のできあがりだ。


 小麦粉に雑穀粉や米ぬか粉、オカラに塩と砂糖をくわえて、耳たぶほどの柔らかさになるまでこねる。


 米ぬかは米屋で、オカラは豆腐屋でそれぞれ捨てられるものだから、ほぼただで手に入るのもいい。


 和まんじゅうの方はねったものを底の皮を薄くして中にあんこを入れる。


 包子には酵母を入れて、比較的温かい台所で発酵させる。


 発酵が完了したら、底の皮を薄くして中にあんこを入れる。


 なんだかんだで小豆もビタミン豊富だしな。


 和まんじゅうと包子を一緒に蒸し器で蒸して膨らませ、それから油であげる。


 ちょっと味見してみよう。


「うむ、なかなかに美味いぞ」


 それなりに思った通りできたし、一つ2文くらいで売ればいいか。


 砂糖は使えないからあんは塩あんになるけどな……。


 まあこれはこれで美味いしいいかね。


 早速、美人楼の隣にたてたもふもふ喫茶で売ることにしよう。


「新発売のあげまんはいかがですかー。

 マンマンの運気が上がる美味しいあげまんだよー。

 これを食えば江戸患いも吹き飛ぶよー」


 やがて一人の遊女が近寄ってきた。


「それ、いくらですの?」


 俺は愛想笑いを浮かべて答える。


「へい、1つ2文です」


「おや、安いね。

 じゃあ1つ貰おうか」


「へい、ありがとうございます。

 和風と唐風がありますがどちらにしやすか?」


「じゃあ、和風で」


「へい、毎度あり」


 俺はアゲマンを和紙に包んで手渡した。


 早速食べる遊女。


「ほほ、カリカリで美味しいでありんすな」


「どうぞ、今後もご贔屓に」


 こうして吉原にまた一つ名物ができたわけさ。


 ”あげまん”は遊女の験担ぎにもいいということで、どんどん買っていってくれたぜ。


 これで脚気に苦しむやつが減るといいな。

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