最終話 世界の全てを敵に回してでも 上中

 空を仰ぐように、ぐいっと飲み干す。

 想像していたような、喉の焼けるような熱さは訪れず、丸く柔らかい喉越しだ。

 鼻を抜ける日本酒の豊潤な薫りは、緊張していた僕の心をほぐしてくれる。


「カカカ、いい飲みっぷりだ」


 と、いうよりは開き直れた。

 落ちてきそうな満天の星々、千年杉のように巨大な桜の木は霧雨のように花びらが散る。

 美味い酒があって、眼前には魔王。

 笑いたくなるほどに訳がわからない。


「返すよ」


 杯を投げ返し、地面に直接置いてあった徳利を左手に取る。


「僕の酌で飲めるのは……結構いる」


「そうかい。 けど勇者の酌で飲んだ魔王は、俺様だけだろうよ」


 そう言うと、魔王もなみなみと満たされた杯を一息で飲み干した。

 ぽんと投げ渡される杯、魔王は左手に徳利を持ち、こちらに突き出す。


「いやあ、すまねえな。 正直、あのおっかない姉ちゃんの方が来ると思って場を整えてたぜ」


 夜桜舞い散る風景は、ソフィアさんにはよく似合っていただろう。

 そこで交わされる剣戟の乱舞は、さぞ綺麗だったはずだ。


「それは悪かったと思ってる」


 ぐいと飲み干し、返杯。


「だけど、僕も約束がある」


 ソフィアさん本人に言ったわけじゃない。

 だけど、そう決めた。


「それとも僕が相手で不満か?」


「どうせなら『よく来たな、勇者よ!』とか言って、大笑いしたかったくらいだな。 この場じゃ、ちょいとばかり締まらねえよ」


「ドクロのついた玉座にでも座って?」


「そいつはいいな! あんな座りにくそうな椅子に座る気持ちはわかんねえけどな」


 そらよ、と杯が投げられる。


「しかし、あんたもわざわざ勇者なんてやってんだから、大したもんだな」


「成り行きだよ」


「成り行きだけで出来るもんかよ。 十分にロックだぜ」


「……ロック?」


 ドクロのついた玉座を知ってる事といい、ロックといい、何かがおかしい。

 こっちの世界でロックなんて聞いた事はないし、RPGネタを魔王から聞くなんて冗談にしかなってない。


「おうよ、お前はロックだ」


 僕の疑問をあえて取り違えてみせたのか、魔王は機嫌が良さそうに語る。


「知ってるか? ビートルズも最初はエレキ鳴らしてるだけの、やかましいバンドって言われてたんだぜ。 なのに、今じゃ世界のビートルズだ」


 その機嫌のよさに口を開く気にもなれず、僕は酒を煽って、杯を投げ返した。

 僕が注ぐのを待たず、魔王は手酌で酒を注いだ。


「自分を貫ける奴はかっけーよ。 文句ばかりぶちまけて、何もしねえ豚とは違う。 お前はロックだし、あのおっかない姉ちゃんもロックだ。 ペネやんもロックだった」


「あんたは……」


 僕と同じ世界の人間なのか。

 そう言おうとしたけど、魔王は言葉を続ける。


「そして、俺もなかなかのロックだ」


 ぐいと酒を飲み干し、自分の胸を指した魔王はこちらをぎろりと見据えてきた。


「勇者よ、お前は何のために俺様に挑む」


 杯を受け取り、ぐいと飲み干す。


「好きな人と、守るべき人達と、約束のために」


 杯を投げ返す。


「なら、俺様はお前の敵だ」


 それだけでいいだろう?と魔王は言って、杯を投げ返してくる。


「暴れなければ、僕達は敵じゃない」


「嫌だね。 てめえが勇者をやるように、俺様も魔王やってんだよ」


「なら」


 割り切るべきだし、僕は割り切れるだろう。

 それが同じ世界の人間だったとしても、だ。

 場に充満した空気。

 一方的に放たれていた魔王の気が、僕の発する気とぶつかり合う。

 視線は絡み合いながらも、まだ刀には手をかけてもおらず、魔王も拳を握っていない。


「斬って捨てるとも、魔王」


「やってみな、勇者」


 杯を投げた。

 空中で、くるりくるりと杯が回っている。


「『勇者』リョウジ・アカツキ」


「『魔王』名前は無くした」


 互いの視線にかかるように杯が落ち、


「参る!」


「来いよ、勇者!」


 膝立ちのままの抜き打ちは、杯を真っ二つに斬り捨て、 魔王を捉える。

 しかし、それは腕一本。 魔王の右腕がぽんと飛び、しかし僕くらいなら一発で吹き飛ばすだけの力が放たれる。

 残った左拳が地を這い、僕の顎を抉ろうとLの字を描くような急角度で変化。


「っ!」


 腰の入ったアッパーカットが、その風圧で花びらを散らす。

 だが、散らしただけだ。

 刀で少しばかり首を斬られただけで死ぬ。

 なら威力ばかりあっても、当たらない攻撃に意味はない。

 そう思っても鼻先すれすれを通る拳に、背筋から吹き出す冷や汗までは止めようがなかった。


「いきなり腕一本とはなあ!」


「なんで!?」


 アッパーで崩れた姿勢を、魔王は力で捩じ伏せると二打目を放つ構えにうつる。

 それは腰を落とした正拳突きの構え。

 右拳での正拳突き構えだ。

 斬り捨てたはずの右拳は、この一瞬の交差の中ですでに再生しており、何一つ問題がありそうにない。

 つまり、放たれる拳は万全。


「だからってっ……!」


 僕だってソフィアさんを見てきたんだ。

 迫り来る拳を、膝立ちのまま避けるのは不可能。

 だけど、刀は聖剣と比べればひどく軽く、抜き打ちからの斬り返しが綺麗に出来た。

 手首を返して、振り下ろせば魔王の腕だって斬れる。


「カカカカカ!」


 拳を止め、僅かに開いた間に腰から左手で鞘を抜き、そのまま叩きつけて吹き飛ばす。

 しかし、耳障りな笑い声はやまない。

 今の攻防は確かに僕の勝ちだろう。


「カカカカカカカカカカカカカカカ!」


 しかし、狂ったように笑う魔王の腕が、早送りでもしたかのように一瞬で生えてくる。


「なんてタチの悪い……」


 これは一体、どう斬ればいいのやら。

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