二十一話 所詮、棒振り 下上
「なんですの、あれは!?」
「ルーテシア、あまり大声を出すな」
こそこそと靄に隠れるようにして、身を屈めているルーテシアから声が上がった。
勇者と貴族の息子が決闘している、というのは外聞が悪すぎて他人には見せられないが、もしもの時のために回復魔術が使えて身内であるルーテシアがいないわけにはいかない。
「……あれは、どういうわげだ」
ついでについてきたマゾーガも身を屈めてこそいるが、その巨体のせいで特に隠れられていなかった。
そして、二人の視線の先では、
「前は手を抜いていたという事ですか!」
ヨアヒムの放った矢が風を巻き起こし、朝靄を貫く。
しかし、その先にはすでに誰もおらず、ただ地面に矢の根元まで突き刺さるだけだ。
「ふしゅー……!」
「速いですわ……!」
遠くから眺めているルーテシアが、目で追えないほどの速度で走るリョウジは、ヨアヒムの右手側に円を描くように回り込む。
もはやリョウジに狙いを付ける間は残されていないが、そうはさせじと巨馬は自らの判断で身体を回し、ヨアヒムに狙いをつけさせる。
以心伝心というか、なんとも恐ろしく賢い馬だ。
「くっ……!」
正面に捉えて二射、間を置いて三射。
大樹に射てば、その幹の半ばまで穿つヨアヒムの射だが、そこにリョウジはいない。
四射目ともなれば、もはやリョウジの影にすらかすりはしなかった。
だが、それでもリョウジに距離を取らせる事は出来、ほんの僅かの間だろうが、仕切り直す事は出来たようだ。
しかし、見ている側の方が疲れるな。
「ど、どうなってますの!? この前は避けられなかったのに、今日のこれは!?」
「ただ力の抜き差しを教えただけだ」
勇者の力とやらはリョウジに剛力を与え、速さを得る。
その速さは一里を走るのであれば、国中を探してもリョウジ以上の速さの持ち主はいないだろう。
「そ、それだけでこんなに変わるものなんですの?
「……あいつ、これまでずっとベタ足だったからな」
だが立ち合いは一里の距離から走ってきて、戦いが始まるわけではないし、踵を地につけたままのベタ足ではヨアヒムの射を避けられる速度になるまで、どれだけの時間がかかるかわかったものではない。
正しい足運びを教え、正しい力の抜き差しを教えこんだだけでリョウジは化けた。
爪先をそっと地に着け、膝に速度を溜め、身体を前に送り、膝のバネを生かし、速度を作り出す。
それだけでヨアヒムを初手から追い込むだけの速度、いや始めの一歩の速さを手にしたのだ。
最高速こそ変わらないだろうが、そこに至るまでの時間がまったく違う。
「おでが、リョウジを殺していだのか……」
「あれは私の動きに似ているからなあ。 マゾーガでは基本が違い過ぎる」
マゾーガの基本は力だ。
如何なる相手が来ようと正面から粉砕し、一打で粉砕出来なくとも、重い戦斧を更に力で切り返す。
そんな動きをする分にはベタ足は間違ってはいない選択だ。
ただオークの、人間とは違う体格でなければマゾーガのようにはなれない。
マゾーガとリョウジはよく稽古をしていたが、その時にベタ足を覚えてしまったのだろう。
「だけど」
「見ていろ、マゾーガ」
何かを言おうとしたマゾーガを制する。
連続して放たれる射を、リョウジは軽やかに避け、弓矢の間合いを破った。
再び巨馬が飛び退いた次の瞬間、白銀に輝く刀身が宙を薙ぐ。
外れこそしたが、その振りで巻き起こった風は朝靄を吹き飛ばし、ヨアヒムの表情に焦りの色を生ませた。
「あれは私の剣ではないよ」
ベタ足で全身の力を籠めて振り抜くなど、私の身体では出来ない事だ。
無駄にでかくて重い聖剣を、私があのように振れば腕か肋骨が折れる。
どれだけ雑に扱っても壊れない身体と、無理矢理扱っても何とかなるだけの力があるというのは、何とも羨ましい話だ。
「これ以上、言う事はあるか?」
「いや、ない」
どことなく嬉しげなマゾーガの声を聞きながら、私は内心自嘲していた。
非力な女の身ではなく、病魔に犯された身体でもなく、ただ強い身体が欲しい。
そんな無い物ねだりをする、自分の浅ましさが何とも情けなかった。
人が渇望する二度目の生を得て、私はどれだけ求めるつもりなのやら。
「ところでずっと聞きたかった事があるんですの」
「なんだ?」
「どうしてアカツキは……」
ルーテシアは少しばかり考え込んだが、何も浮かばなかったらしく、正直に言った。
「どうしてアカツキは変な声をあげながら、戦ってますの?」
「知らん」
「即答過ぎて、何かしたと自白してるようなものじゃありませんか!?」
「知らん」
ここ数日、月が昇り沈んでから日が昇るまで、ひたすら足運びを覚えさせ、延々と私と打ち合いを続けさせた。
昼間の行軍中も私は輜重の馬車に潜り込み寝ていたが、リョウジはずっと兵達と歩かせたのだ。
つまり、今のリョウジはここしばらく一睡もしていない。
そうなれば何かを考える余裕もなくなり、誰でも明鏡止水だ。
まぁ普通なら動けなくなるだろうが、リョウジは動けたからそのままヨアヒムと戦わせている。
さすがにどうかと思ったが、結果として上手く行っているのだからいいだろう。
まぁつまりなんだ、今のリョウジは半分寝たまま
、身体が動くままに任せて戦っているのだ。
「決まる」
そんな私の内心に頓着する事なく、マゾーガら短く言った。
矢と矢の隙間に身を踊らせ、ヨアヒムへの最短経路を抜いたリョウジは下段から剣を振り抜く。
「クロ!」
ヨアヒムの声には、すでに余裕の欠片も見当たらない。
その声に巨馬は、激しい汗を流しながらもヨアヒムの意思にしっかりと応え、後ろに飛び退いた。
再び距離を離し、弓矢の間合いを作り、仕切り直そうというのだろう。
だが、それは悪手だ、ヨアヒム。
「来い」
聖剣を投げ捨てる瞬間、リョウジは詠唱を終えた。
振り抜いた聖剣が生み出した遠心力に身体を任せ、リョウジは身体を宙に舞わせる。
聖剣が再召喚される僅かの間に、身を軽くしたリョウジは即座に上段の構えに移り、その何もない両手の中に聖剣の柄が現れた。
「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!」
リョウジの雄叫びは勝利の叫びであり、
「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
ヨアヒムの叫びは敗北を認めようとしない足掻きであった。
ここに来て、ヨアヒムの手指は敗北への恐怖に萎え、正確な狙いを外す。
刀身に当て、狙いを外そうとした矢は僅かに外側へと膨む。
リョウジの剛剣の前に、無様に狙いを外した矢など意味はない。
鏃が聖剣にかすり、直進していた矢が綺麗に弾かれた。
「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオウ!?」
「え、え?」
ずざぁぁぁぁ、とヨアヒムに突っ込んだ勢いのまま、リョウジは顔面から地を滑って行き、呆けたヨアヒムの声。
「なんという……」
「ごれは、ひどい……」
「え、何がありましたの?」
「……弾いた矢が頭に当たったらしい」
リョウジが全力で聖剣を振り下ろしたせいで、矢は下方向に叩きつけられる事になり、回転までかかった矢が綺麗に頭に当たった。
「……矢羽に、当たっだだけ、マシだ」
「思ってもいない事を言うな」
初めて見たわ、あんなもん。
どれだけ運が悪いと、ああなるんだ。
「いったああああ!? 何か凄い頭痛い!? ってあれ、ここはどこ!?」
あー……。
「……なんだかわかりませんが、まだ終わってないなら!」
「え、なんでまた射たれてるの!? 何が起きてるんですか!? 第三次世界大戦!?」
目覚めたリョウジは、ヨアヒムに背を向けて逃げ出した。
「なっ!? 待ちなさい、何の真似ですか!」
「何の真似とか言われても!」
「僕をなぶる気ですか……!」
離れた所にいる私達にまで届く、肌をひりつかせるような意思がヨアヒムから発せられる。
「ひっ」
ルーテシアが短く悲鳴を上げるほどの強烈な意思だが、それも長くは続かず、それこそ矢のように収束し、リョウジの眉間のみを貫く。
「貴方にだけは、負けたくない!」
ヨアヒムは確かに一皮剥けた。
この一射は、これまでの一射と比べ物にならないだろう。
それに対して、
「催眠術とか超スピードとか、そんなちゃちなものじゃないなら、この状況はなんなんだ……」
これは本気でリョウジ死んだなあ……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます