十四話 敗北の後 上
「負けたなあ」
目を覚ました私は、いっそ清々しいくらいにそう思った。
頭が鉛を流し込まれたくらいに重いが、それだけははっきりしていた。
「救いようがないわね、貴方」
「まったくだ」
いきなりかけられた聞き覚えのない言葉に、私は反射的に返す。
見覚えの無い、丸太を組んで作られた天井や壁は、しっかりとしていて隙間風で凍えるような事もなさそうに見える。
そんな中、一人の女がベットに横になるこちらに、その薄い背を向け、何かの作業を行っていた。
白衣から見える彼女の尻は薄く、まるで少年のようだ。
「動ける?」
「ちょっと待ってくれ」
砕けていた両の腕には力が入らないが、とりあえずまったく動かないという事は無い。
僅かずつでも力を篭めれば、何とかなる。
足も同じように動かせるだろう。
「何とか、なるか」
ベットから上半身をゆっくり上げれば、錆び付いた節々がえらい音を立て、あちこちに鋭い痛みが走る。
「呆れたわね、半月も意識が戻らなかったくせに起きれるだなんて」
「武芸者をしているからな」
女はこちらを振り向き、呆れたという気分を一切、隠さない表情を見せてくれた。
寝込む事に関しては、なかなか慣れてもいる事だしな。
「それじゃ説明にならないのよ」
「そうとしか言いようがない」
剃刀で傷付けたような細い目に感情の光がなく、面倒だといわんばかりに真っ直ぐに切りそろえられた髪に、なかなか女を感じるのは難しい。
しかし、これぞ鴉の濡れ羽色という黒髪は艶やかで、はっとするほど目を引く厚めの唇は、鮮やかに色付いている。
どこかちぐはぐな女だった。
「それで……貴方が私を助けてくれたのだろうか?」
「一応ね」
そう言うと彼女は私に木の椀を押し付けて、言った。
「飲みなさい」
「……これをか」
椀の中には得体の知れない紫色の汁が、ぼこぼこと泡立っており、胃どころか身体が受け付けない悪臭を放っている。
「薬よ」
「これがか……」
身体中の肌が溶ける毒と言われた方が、よほど受け入れやすい。
良薬、口に逃がしという範疇に入るのか、これは。
命の恩人にこんな事を思いたくないが、私の身体で毒薬を試しているのではないか。
「武芸者なんでしょう?」
「武芸者とて、死にたいわけではない」
足の指先をゆっくりと動かし続ければ、少しずつ力が戻ってくる。
無論、元の力はないだろうが、三割程度でなら何とかなるはずだ。
「この臆病者」
「何と言われようと」
彼女は再び背を向けようとして、その半ばで私は動いた。
「御免被る!」
「なんで動けるの!?」
身を低くし、彼女の背中側を走り抜ける。
痛みと引っかかりが、あちこちにあるが、いつかはその引っかかりを壊すように動かねばならない。
ならば、とばかりに身体の引っかかりを引きちぎりながら、彼女の魔手から逃げ出した。
死ぬほど痛いが、死にはしない。
「くっ、捕らえなさい!」
魔術師だったらしい彼女は素早く魔術を構成し、不可視の力場を送り込んでくる。
捕らえる、との言葉通りイソギンチャクの触手のような力場を、背に感じた。
「ちょうどいい」
とん、と歩を進めていた足を止め、一回転。
「返すぞ」
持っていた椀を、力場に乗せた。
「飲みなさい!」
「嫌だ!」
そのまま後ろ向きに飛びずさり、扉から抜け、
「失礼します。 賢者さうわあ!?」
尻に何かが当たる感触と、空中で何かにぶつかったせいで体勢を崩してしまい、尻から地面に落ちる。
「くっ……!?」
「捕まえたわ!」
不可視の力場に、右腕を捕らえられてしまった。
力を篭めても伸びるだけで、引きちぎれる気配もない。
「私ね、どうしても許せない物が三つあるの」
一歩、彼女はこちらに踏み出す。
「一つはべしゃべしゃになったご飯。 丼物は大嫌い」
また一歩、こちらに踏み出した彼女の手には、椀が握られている。
「二つ目は勇者ね。 死ねばいいわ」
「な、何があったんだ」
「うるさいわね」
一歩、私の眼前に立つ彼女は、右目だけを見開き、手にした短い杖を振った。
「最後に半端な治療で逃げる患者よ。 私が地獄に叩き落としてやりたくなるわ」
「それは本末転倒だぐおっ!?」
不可視の触手が私の口の中に入り込む。
いきなり容赦の欠片もなく、喉奥にまで突っ込まれるがえずく事も出来ない。
「黙りなさい、貴方に出来るのはこれを飲み干す事だけよ!」
彼女が椀を傾けると、紫の汁が触手を伝い私の口を目掛けて流れてくる。
「うごごごごごご!?」
「あーっはっはっは、いい気味ね!」
舌に触れる事なく、喉奥に送り込まれた汁だが、味を感じずとも不味い事がわかる。
生臭さと胃がひっくり返ってしまうほどの突き刺すような臭さは、とんでもない物だ。
口端から溢れる唾液は恐らく身体が自らを守ろうとしているのだろうが、それくらいでは到底防ぎきれない。
いっそ気を失ってしまいたいが、鍛えた身体は勝手に動き、彼女に攻撃を加えようとする。
「あら、いけない子ね」
だが、私の手足を不可視の触手でからめ取った彼女は、嗜虐の喜びに染まっていた。
「まだまだ足りないのかしら、おかわりは必要?」
ぶんぶんと必死に首を振る私に、彼女は無慈悲に告げる。
「はい、まだまだあるわよー?」
彼女の手には二杯目の、無駄に蒼い汁が、
「……何をしてる、お前ら」
「あら、マゾーガ。 ちょっと貴方も手伝ってくれない?」
「拷問に手を貸す気はない」
「失礼ね、これは立派な治療よ!」
激発したせいか、わずかに緩んだ不可視の触手から、私は必死に身体を引き抜いた。
「ぶはっ!」
身体が勝手に汁を吐き出し、何故か足元で目を回しているリョウジに降り注いだ。
「ギャァァァァァ!? 痛い! 何か痛い!?」
「これが薬か!?」
肌にかかっただけで、のた打ち回るような薬があるか!
「貴方のために魔力を合わせた薬だもの、他人には害にしかならないわよ」
ため息を吐きながら、彼女はリョウジの臍の辺りに手を触れると、魔力を通し始める。
「あらやだ。 まだ貴方、ルーちゃんと寝てないの?」
「な、なんでそんな事があひん!」
下半身をまさぐられているようなとろけた、だが明らかに嫌がり七転八倒するリョウジを、彼女は軽々と押さえ込む。
「チェリー臭いのよ、貴方の気」
「ちくしょう! あ、あひん!」
「……なあ、マゾーガ」
「……紹介する」
疲れ切った声でマゾーガは言った。
「ごちらは、先代勇者と共に戦った賢者ユーティライネン様だ」
「私を呼ぶなら、大を付けなさい」
リョウジの臍に手をやっている彼女を、落ち着いてよくと見てみればまるで幼女のように非常に小さい。
「大賢者ユーティライネンよ! わかった?」
「……ああ」
彼女の言葉に私はそう答えるしかなかった。
足元であひんあひん言わされる事も、また薬という名の汁を飲まされるのも嫌だ。
リョウジは痛みは消えたらしいが、何か大切な物を失ったのか、顔を押さえてしくしくとすすり泣いている。
「こうはなるまい」
私は堅く誓った。
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