十三話 「ただの人間」 下上
「ル、ルーこっちに!?」
ソフィアさんはマシンガンのように魔王が撃ち出す拳大の火球全てを、ひたすら避けながら前に出る。
そして、外れた火球はあちこちに流れ球として飛んでくるわけで、僕はルーの手を引いて逃げるしかない。
魔王の火球は石壁に当たっても燃えもせず、ただ丸い穴がぽっかりと空き、断面はどれほどの高温で炙られたのかわからないけど硝子化している。
……魔王の気に当てられ、倒れていた人達が何人も巻き込まれているのを、ただ見ているしかない自分が歯痒い。
ソフィアさんの戦いを近くで何度も見たせいで、僕は強烈な気に慣れて動けているのに。
「なんとか……しなくちゃ」
そう思うけどルーの手を離してしまう事が、怖かった。
蒼白な顔で悲鳴一つ上げないルーは、手を離せば倒れてしまいそうだ。
それにマゾーガもいるし、ソフィアさんと二人がかりならきっと何とかしてくれるはず。
そう思い、振り返って見れば、
「何をしてるんだ……?」
いつも迷わないマゾーガが、明らかに戸惑っていた。
火球こそ避けているが、ソフィアさんに加勢するでもなく、倒れている人を助けるわけでもなく、ただ眉間に深い皺を刻み、口元を歪めて悩んでいる。
「ちっ」
「惜しかったな、かっけーお嬢ちゃん!」
近付けば近付くほど、避けるのが難しくなるのは言うまでもない。
ソフィアさんの踏み込みであと二歩といった距離で、避けきれなくなったのか彼女は大きく後退してしまった。
「どうする……」
実の所、ソフィアさんとマゾーガの二人がかりで、魔王が何とかなると思えてはいない。
ソフィアさんがあれだけの攻撃を加えたのに、けろりとしている魔王をどう倒せというのか。
勇者扱いされて調子に乗っていた『俺』も、あんな規格外を倒せるとは到底、思えない。
ただの兵隊さんじゃ魔王の前にすら立てず、ただ足手まといが増えるだけだ。
最善手を選んだとしても、今の材料じゃ魔王は絶対に倒せない、という結論しかない。
そして、まぁなんだ……このままじゃ皆、死ぬ。
「今度こそ、死ぬよなあ……」
数ブロックほど走り抜け、火球が飛んで来ないのを確認して、僕は足を止めた。
離れたせいで少しはマシになったのか、ルーはどさりと腰を落として、ぜえぜえと荒い息を吐く。
魔王のプレッシャーは、ほんの少し走っただけでルーの体力を根こそぎ持って行ったらしい。
汗で濡れた金髪がうなじに張り付き、こんな時なのに色っぽいと思ってしまった。
「なんだ」
まだそんな事を考える余裕が僕にはあるらしい。
覚悟は思ったより、すんなりと決められた。
「ねえ、ルー」
死ぬかもしれない事をしよう、と決めたのはこれで二回目だ。
ただゴブリンの巣とは違って、僕達だけなら、まだ何とか逃げられる可能性がある。
僕の言葉に顔を上げたルーは、その大きな瞳に今にも零れ落ちてしまいそうな涙を湛えていた。
彼女の泣き顔も綺麗だと思う。
でもやっぱりルーには笑っていて欲しい。
「僕に、魔法の言葉をちょうだい」
「え……?」
今日逃げられても明日、魔王がルーを殺すかもしれない。
やっぱりこの世界には勇者が必要だ。
ルーが死ぬのも嫌だ、ソフィアさんが死ぬのは駄目だ、マゾーガが死んだら世界の損失だし、Gさんの料理は絶品だし、シーザー先輩が死ぬのは悲しいし、団子も美味しかったし、小さな子供が死ぬのは想像するのも怖いし、誰かが死ぬのは嫌で嫌で仕方ない。
この世界に、勇者は必要なんだ。
「僕に勇気を与えてくれないかな」
そして、僕は勇者じゃない。
今度こそ神様が寝ぼけて選んだに違いない僕じゃなくて、マゾーガやソフィアさんみたいな立派な人が勇者になる。
その時、勇者の仲間に二人がいれば、どれだけ心強いだろう。
僕みたいな役立たずでも、こうして生きてられるくらいだ。
だから、あの二人には死んでもらっちゃ困る。
あの二人を、僕の命と引き換えにして逃がす。
「アカ……ツキ?」
「頼むよ、勇者としての確信が欲しいんだ」
世界を救う勇者にはなれないけど、今更……本当に今更だけど、ルーのための勇者でありたいと僕は思った。
「か、確信もなにも……アカツキは最初から勇者ですわ!」
「違うんだ」
死ぬのは怖い、でも何とかなりそうな気がする。
だけど、これから言う事で彼女に嫌われて、失望されるかと思うと、どうしようもなく怖い。
「城にいた時の僕は……その、調子に乗っててさ。 何というか、格好付けてたというか。 本当は……見てよ、膝とかすっごくガタガタ震えて。 本当はどうしようもない臆病で……」
今もルーの顔も見れないくらいの臆病者で。
「知ってますわ、そんな事」
「へ?」
ルーがどんな表情で、その言葉を口にしたのか見逃してしまった。
「わたくしだって、貴族ですの」
恐怖か、疲労か、よろよろと壁に手をつきながら立ち上がろうとするルーは、それでも僕から視線を外さない。
「何人も嘘吐きを見てきました。 でもアカツキくらいのへたっぴは、なかなかいませんでしたわね」
こんな時だっていうのに、ルーはくすくすと笑い出した。
「あまりに酷い演技で、いつも吹き出すのを我慢するのに必死でしたわ」
立ち上がったルーは、僕の首に手を回す。
腕を回し、抱き付くような姿勢ではなく、その細い手指で僕の襟首を掴んだ。
「でも!」
ついにルーの瞳から涙が流れだし、真っ赤に染まった頬を伝う。
「嘘を吐いて演技をしていたとしても……アカツキは何の関係もないこの世界のために、勇者として戦おうとしていたのでしょう!?」
「そ、それは……でも、ただ調子に乗ってただけで」
「だからなんですの! 動機なんてどうでもいいですわ! ただ我が身を弱き者の盾とするのが、わたくしたち貴族のたった一つの義務です! その貴い義務を果たそうとするアカツキが……!」
ルーの言葉は、もはや叫びだった。
「下手くそな演技で誰かに笑われようと、わたくしはアカツキが勇者だってわかっています! どんな理由でも、誰かのために戦おうとする気持ちが貴くないはずありません! そんな勇気の持ち主が、勇者でなくて誰が勇者ですの!」
ルーの手が、僕の首の後ろに回される。
「アカツキは、わたくしの信じるたった一人の勇者様です」
でも、とルーは言葉を切った。
言葉と涙が溢れて上手く話せないルーの背中に、僕は手を回す。
大丈夫だから、という気持ちが伝わるようにぽん、ぽん、と背を叩きながら、ルーの言葉を待った。
「………ないで」
「ごめん」
「行かないで……!
「ごめん」
「わたくしはアカツキを」
何かを、きっとわかりきっていて、今聞くわけにはいかない言葉を言おうとしたルーを、僕は止めた。
きっとその言葉は、未練になる。
「ごめん」
しかし、ひどい奴だなあ、僕は。
「好きだよ、ルー」
「どうして……どうして謝りますの……!?」
「ごめん。 後お願いします」
「はっ」
後の言葉は、いつの間にか来ていたセバスチャンさんへ向けて。
いつまでも抱いていたい、と思う暖かなルーの体温を、僕は引き剥がした。
必死にもがくルーを、しっかりと抱き止めるセバスチャンさんへ深く一礼。
きっとこれで大丈夫なはずだ。
結局、最後まで全部、人任せになっちゃったけど……うん、僕にしては上手く出来てる気がする。
生きるってだけの事が、僕にはどうしようもなく難しいなあ。
「待って、アカツキ!」
「ごめん」
でも勇気を貰った。
ルーの言葉は、やっぱり魔法の言葉だ。
『信じる心が力になる』
ルーの心を、貰った。
これ以上の物はなくて、これ以外は僕に必要ない。
この胸に湧き上がる確信に導かれて、僕は空に手を伸ばした。
「来い、聖剣!」
雷を撒き散らす事もなく、ただ静かに現れた聖剣は、やっぱり手には馴染まないけれど、何となく懐かしい重みがした。
「さよなら、ルー。 僕の事は忘れてください」
彼女が幸せでありますように、と神様に祈りながら、
「アカツキ! わたくしは……!」
彼女の泣き声を聞くのが辛くて、泣かせているのが自分だと思い知らされるのが怖くて、
「アカツキ……!」
僕は逃げ出るように、その場から走り出した。
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