七話 王都、脱出 上
詰めろ逃れの詰めろをかけられている。
すでに局面は如何にしようとも動かしようがない。
引けば追われ、押せば引かれ。
未熟な遣い手ならば、鉄扇を捻って剣を折るか、絡め取るくらいは出来るが、相手は剣聖アラストール卿、そんな曲芸を許してはくれる相手ではない。
じりじりと、じれったくなるような速度でアラストール卿は、少しずつ鉄扇の傷を広げていく。
手放して逃げれば、ずばっと斬られ、このまま待てばそのまま斬られる。
この状況からは逃げられそうにない。
敗れるのは仕方ないにしても、全力を尽くした上で敗れたいのだが困ったものだ。
まぁ多少は足掻かせてもらうとしよう。
「一つ聞きたい」
「賊と語る舌は持たん」
「我らの間に舌は要るまい。 それよりもわかりやすい言葉が、ここにあるだろう」
一振り見れば腕がわかり、十振り見れば性根がわかる。
更に剣に触れていれば、立ちどころに相手の心が読めるが武芸者だ。
ここまで逐一、動きがわかる場もあるまい、絶体絶命だが。
「おや、どうしましたか。 そんなに怒られて。 何か触れて欲しくない所がありましたか」
アラストール卿の剣に、水馬が水面を乱すほどの乱れが生まれた。
「ははあ、さては勇者様のお話でしょうか」
勇者は武芸者ではない、というのは別段、語るまでもない。
武芸者は武芸者、兵は兵、ならば勇者は勇者であろうが、かの勇者から鉄火場をくぐり抜けた臭いが感じられなかった。
あえて言うなら、戦場の後ろでふんぞり返っているだけの貴族のような覚悟のなさ。
「飼われている犬でも、もう少し気骨がありましょうに」
アラストール卿の下には、十高弟と呼ばれる十人の弟子がおり、この国の騎士団を纏めている。
そんな方がまさか人を育てるのに不慣れ、という事はないだろう。
ならば、勇者はアラストール卿の手にかかってはいないはずだ。
そこを責めるのは、何というか私の中でも釈然としないものがあるが、まぁあとで謝ろう。
許しを得れずとも、私のような美女と立ち合えるのだから、勘定に不足はあるまい。
「貴様に……」
「む」
そう思っていたが、なかなか痛い所を突いてしまったらしく、更にアラストール卿の剣は荒々しさを増す。
だが、それは私の付け込む隙だ。
僅かずつ押されていた攻防は、ぴたりと止まっていた。
「貴様のような野良犬に、何がわかる……!」
「アラストール卿がわかっている事、でしょうな」
豚に餌をやるように、適当に相手をあてがい、適当に強さを得られるはずがあるまい。
私のような凡才ならば、那由他の鍛錬の果てに、天に愛された者なら寝ていても手に入る何か。
そして、死闘が必ず必要になる。
勇者は文字通り神に愛された者だが、これでは死線の向こうは手に入らない。
「『信じる心が力になる』 聞いた事くらいはあるだろう」
「勇者様の力ですな」
過去の勇者が行った事績を、子供向けにした話の中でも何度か聞いた覚えが、私にもある。
「勇者様は必ず勝つ。 誰もがそう信じなければならないのだ」
「本人に道化を演じていると知らせないままに、ですか」
「世界のためだ」
「左様ですな」
世の中、騙す側が悪いが、騙される側は自らの間抜けさの代償を支払わなければならない。
勇者の恥は自らの愚かさのせいで、世界のためという大義の前では天秤にかける必要すらないだろう。
「だから、貴様は改めて勇者様と立ち合え。 そして負けて差し上げよ」
「その問い、答える必要がおありですかな」
「……野良犬め」
アラストール卿の心の内が伝わるように、私の心の内はアラストール卿に伝わっている。
私の背負うものは、ただ剣のみ。
他の余計なものは、どうしようもなくなれば捨てられる。
だが、私が自らの剣に嘘を付けば、私は私の道を失い、たちまち迷い子と化す。
勇者との茶番のようなお遊びではなく、負けろと言われればお断りだ。
「背負う物が多いのは大変ですな」
武芸者として、王国のお偉い様として、兵として。
今のアラストール卿は全ての道が、全て違う方向を向いていて、アラストール卿の心を千々に引き裂こうとしている。
「余計なお世話だ」
一呼吸。
「なんとも……まぁ」
この期に及んで、たったの一呼吸でアラストール卿は明鏡の境地に立ち戻ってみせた。
剣に乱れなく、波紋はない。
澄み切った心胆だ。
これはもはやお手上げというしかない。
だが、
「残念でしたな、アラストール卿」
私の言葉に、アラストール卿は無言で奥歯を噛み締めた。
「アカツキにィィィ……何してますのよ!」
「燃え尽きて……!」
「勇者の敵を討ち滅ぼせ!」
「やめろ、貴様達!」
アラストール卿の制止は、無意味だった。
いまさらながら勇者一味の女達が、一斉に魔術を使おうとする。
荒れ狂う海のような、凄まじい魔力を感じた観客が逃げ惑うが、まだ炎も天罰も雷も起こらない。
のんきな者が振り返っているが、多少の知識がある者は一目散に逃げ出している。
「またいずれお会いいたしましょう」
「貴様は必ず私が斬るぞ、野良犬」
私に狙いを付けていた三つの大魔術は、独楽をぶつけ合ったかのごとくあちこちに跳ね回り、私を囲むようにして、一斉に発現した。
同じ場所に魔術をぶつけ合う事により、起きる魔力の反発だ。
連携の取れていない未熟者達がよくやってしまう最低の結果。
最低の結果だが、術者としては彼女達はかなりの力を持っているらしく、正面のアラストール卿を跳ね飛ばすように、勢いよく火の壁が立ち上がった。
巻き込まれる寸前に見事、抜け出る手際はさすがではあるが、この火壁が消えるまでアラストール卿はこちらへは来れまい。
誰も制御をしていない魔術が規則性の欠片もなく、辺り一面にぶちまけられ、立ち入った者を粉々に砕く絶殺の領域となっている。
空に向かって氷の柱が打ち上げられ、吹き荒ぶ風の渦が雷に貫かれ、混沌という他ない。
だが、これは好機。
間髪入れずに走り、倒れていた勇者の首筋を右手で掴む。
さすがにこの身で、男一人はきついが……!
「勇者を殺されたくなければ、このまま魔術を行使し続けろ!」
「なんて卑怯な!」
「恥を知れ!」
女達の罵声が飛び交うが、知った事ではない。
このままいれば百を軽く超える敵に囲まれるだろうが、この荒れ狂う魔術の中、何人が来れるというのか。
私か、アラストール卿くらいのものだろう。 アラストール卿ほどの腕前が、もう一人いたら諦めるしかないが。
私は荒れ狂う広場を、一気に走り抜け、追っ手を撒く。
アラストール卿は、来なかった。
「お嬢様、何がどうなってるんですかってこれ勇者様じゃないですかっていうかどれだけ計画的犯行なんですかっていうか手際よすぎやしませんかっていうか自首しましょうって自首してもお家お取り潰しの上族滅じゃないですかこれぇ!?」
「やかましい! とりあえず勇者は袋にでも詰めておけ!」
追っ手の気配は感じられなかった私は、適当に走り回った後、路地裏に駆け込み、焼け焦げ、ボロボロになったドレスを破り捨てるように脱いだ。
あらかじめ用意しておいた炭で顔や手足を汚し、町娘風の薄汚れた服を着ていく。
すでにあちこち汚れていたが、念には念を入れておこう。
マゾーガは黙々と勇者を縄で縛り上げ、猿轡をかまし、ずた袋に放りこんだ。
「よし、逃げるぞ。 この作戦の主役は爺だ」
用意しておいた荷車に勇者を叩き込み、ござを被せておく。
そうだ。 一応、起きないように首筋をきゅっと一締めしておこう。
「ええっ、あらかじめ教えておいてくださいよ!?」
「お前に教えたら、絶対に動揺するだろ」
「ゾフィア、G、はよ」
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