五話 誰かにとってのDEADline・下下

 何故、走っているのか、という自問はあるが答えはない。

 私は勢いよく扉を開いた。


「チィルダ」


「ソフィア様……ソフィア様が来られたという事は」


「ああ、斬ったよ」


 グレゴリウス氏の家には、特に変わる様子のないチィルダの姿がある。

 私の言葉を受けても、揺るぎはない。

 結局、今の際になってもまだ、グレゴリウス氏とチィルダの関係がなんなのか、まったく知らなかった。


「グレゴリウス様を、ソフィア様は認められましたか?」


「認めはするさ」


 ただ何もかもが遠過ぎて、受け入れられないだけで。


「それはグレゴリウス様にとって、幸いな事だったのかとチィルダは疑問です」


「わからない」


 人が何を思っているかなど、ただ棒振りしかして来なかった私が知るはずもない。

 この身に誰かを背負った事もなく、ただ剣だけに生きてきた。


「チィルダにとって」


 本を守るためか家の中は薄暗く、チィルダの表情は影になってしまい、よく見えないのがもどかしい。

 だが、あと一歩近付くのが、どうしようもなく遠く感じる。

 あと一歩。 その一歩が踏み出せない。


「恐らくグレゴリウス様は、父と呼ばれる存在なのだと、チィルダは考えます」


「そう、か」


 父を斬り、子に詰られるのには慣れている。

 私はチィルダの罵声をただ待つ。

 痛みが、欲しかった。


「チィルダはホムンクルスです」


「ホムンクルス……?」


 覚悟していた罵声はなく、私の知らない言葉をチィルダは紡ぐ。

 無感情ないつもの声ではなく、どこか喜びを滲ませて。


「初めてソフィア様に何かを教えられそうで、チィルダは非常に嬉しいです」


「私も大した事を教えたわけではないだろう」


「いえ」


 チィルダは右手を私に向けて伸ばすと、


「チィルダはグレゴリウス様に製造されたホムンクルス。 剣製用ホムンクルスです」


 その右手が、ぽろりと落ちた。


「なっ……!?」


「チィルダの使命は究極の魔剣を作る事です。 そのためにチィルダはチィルダの魂を、剣に作り替えます」


 落ちた右手は、さらさらとした砂となり、思わず踏み出してしまった私が生み出した風で、吹き飛んでしまった。


「あの時の答えを今、話してもいいでしょうか」


 魔力が一点に、人で言う所の子宮の位置に集まっていく。

 命そのものを振り絞っている、と言っても過言ではない、膨大な魔力。

 その事に気を取られ、昨晩の話だと気付くのに一瞬、遅れた。


「……ああ」


 幼子だってもう少しマシな話をする。

 だというのに、チィルダは律儀に私の返事を待っていた。


「チィルダは、ソフィア様がいいです」


 残っていた左腕が、肩からぽろりと落ちた。


「チィルダは、ソフィア様に認められたいです」


 しかし、その顔に苦痛はなく、満ち足りた表情すら浮かんでいる。


「チィルダ」


「だから、チィルダは、チィルダの出来る事で、ソフィア様に認められる努力をします」


 愛か恋か情欲か、それとも別な何かか。

 まだはっきりとした何かがあるわけでもなく、私の中にチィルダへ返す言葉が、無い。

 命全てに返す言葉など、私の中をどれだけ探そうと出てきはしない。


「随分と、重いな」


 それだけを、何とか言った。


「チィルダ、初めてなので加減がわかりませんでした」


「ならば、仕方ないか」


「納得して頂けると、幸いです」


 もうチィルダの身体からは魔力が消えて、どんどん砂へと変わっていく。

 光に輝くその姿は、言葉にならないほど美しかった。


「チィルダ、私はあまり言葉を作るのが上手くない」


「はい、チィルダもよく考えてみたら、ソフィア様は肝心な所ではダメダメな気がします」


「……ダメダメか」


「はい、ダメダメです」


 ならば仕方ない。


「行動で示すさ」


 可愛いあの子の襦袢に手をかけるように、私はチィルダの胸に手を突き入れた。

 抵抗はなく、だが奥底に堅い感触。


「お前の名を、歴史に残そう」


「いえ、それはグレゴリウス様の望みです」


 やっぱりダメダメですね、と笑うチィルダに、私は苦笑で応えた。


「チィルダは、ソフィア様が好きなのだと思います。 好きで好きで仕方がないのだと思います」


「私はまだわからないな」


「それは、きっと大丈夫だと、チィルダは確信しています」


「そう、かもしれないな」


 チィルダの胸の中にある堅い感触は、恐ろしいまでに私の手に馴染んでいた。

 ゆっくりと引き抜いていけば、支えを失ったチィルダの身体は、さらさらと崩れ落ちていく。


「チィルダは」


 続く言葉は刃鳴りの音。

 しゃらん、と鈴の音に似た響きは、どことなくチィルダの声に似ていた。

 二尺五寸ほどの長さで、上半で深く反って、柄糸の巻かれていない剥き出しの茎もぐっと反っている。

 刃文は小乱れが入り、それが何とも愛らしい。

 身体は砂に、風と消え、ただ残るは一本の刀。


「重いな、お前は」


 全てを賭して、ただ一刀に。

 ずしりと重い荷を、背に乗せられた。

 だが、この瞬間も馴染み過ぎて、手放す気はまったく起きない。


「一緒に行こうか、チィルダ」


 私はチィルダに何を返せるのか。

 ここまでされて何も返せないのであれば、私という存在が腐り落ちる。

 と、そこまで考えて、ふと思い付いた。


「勇者でも、斬ってみようか」


 勇者を斬った刀なら、永遠に名が残るだろう。

 悪名かもしれないが、名は残る。

 それはどうにも魅力的な案のように思えてしまい、


「勇者を、斬ろうか」


 私の頭から、こびり付いて離れなくなってしまうのだった。

 心浮き立つ私を、チィルダが笑っているような気がした。

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