034 - 瞳
迷路のようなビル内部を、三人は飛び続ける。正確には、内部構造を把握しているファーストが行く先を決め、博士は抱きかかえられ、フィオナがそれを補助する恰好だ。
「地下室だけじゃなく、ビル全体がブレスされ始めてる!」
「はい。早くビルから出なければ、私たちの身も危険です」
「急いでるところ、重りになんてなっちゃって、すまないね」
「いえ、あの場では、これが最良と判断してます」
程なく、三人はロビーに辿り着いた。出口はもう目の前だ。
ファーストが腰に巻いた携帯バッグから、一本の筒を取り出す。
「なんだい、それ?」
「こうゆうものです」
出口となる扉に向かってファーストが筒を向けた瞬間、その穴から何かが射出された。飛び出した小さな物体は、電子ロックなどがない重厚でアナログな扉に貼り付いた。そして、一瞬の後に、扉を粉砕するほどの爆発を生じさせる。
三人は扉を開ける手間なく、飛翔したままビルから脱出した。
「このような事態です。危険な床に降りてまで丁寧に扉を開ける手間を省きました」
「なるほどね。正しい判断だ」
ビルから出ると、高度を上げてビルの崩壊具合を確かめようとした。
しかし、眼前に広がる光景は、予想を超える惨状だった。
「ビルだけじゃない……。町が、飲み込まれていく」
ビルを中心に、放射状にブレスが始まっていた。
建物、植物、そして、
「人が……飲み込まれている……」
膝まで地面に飲み込まれた人が、混乱に陥り周囲に助けを求めている。
その様を目にした人が逃げようと駆け出すが、数秒も経たずにブレスの餌食となっていく。
カリナの言う通りだった。ヅィーの破壊を乗り越え、本来のブレスの力が、游骸町に猛威を振るっていた。
(成熟したFHIの存在、そして、この町において絶対的な権限を有する町長の肉体。游骸町のあらゆる認証を町長の人体物質がクリアしながらFHIがその能力を発揮した結果、ヅィーの論理破壊を上回ったんだ……)
「どうしますか?」
その一言に、博士は没頭していた思考から、現実に戻る。
ファーストがもう一度訪ねる。
「これからどうしますか、スカラ? この飛行ユニットの燃料では、あまり遠くまで行けません。游骸町を出るのが精々でしょう。游骸町の外まで飛べば、このブレスの脅威は届かないはずです。そこから隣町までは陸路で逃げる事がベストかと思いますが――」
「あ、あの……」
おずおずとフィオナが尋ねる。
「游骸町の方々を、助ける事は、出来ないでしょうか?」
「出来ません」ファーストが即答する。
「この飛行ユニットでは、私とあなたの二人掛かりでも一人を抱えるのが精一杯だと、先ほど会話したばかりでしょう。他の人を助ける余裕など、どこにもありません」
地面に飲み込まれていく人々を見つめながら、フィオナは俯く。
「フィオナ……誰かを助けようとして、僕ら三人も犠牲になるわけにはいかないんだ。僕らを逃がすために、ケイトは自ら犠牲になってくれたんだよ」
優しく聞こえるよう、声色には気を付けた。けれど、この光景を前にして、どれ程の意味があるだろうか。
(命を懸けたケイトの意思だ。フィオナも、ファーストも、ブレスさせるわけにはいかない)
そして、もう一つの思いがある。
第零次実験の頃の自分には出来なかった、命を懸けても己の意思を貫くという思いが。
「ファースト、游骸町の外まで飛ぶのには賛成だ。ただ、頼みがある。途中、ぼくの仕事場に寄ってくれ」
ファーストを見上げる。その表情には、肯定も否定も見て取れない。
「スカラ、あなたは何をしようと――」
「頼むよ」
博士の瞳をじっと見つめる。その瞳は、つい先ほど見たものと同じだった。
(彼が宿していた瞳と同じ……何か決心があるのでしょうか)
「分かりました。スカラの仕事場に向かいます」
「恩に着るよ」
三人は飛び去った。
崩れ行く町並み、そして助けを求める叫びを背中に感じながら。
*** ***
仕事場に辿り着くと、幸い、まだブレスされた様子はなかった。
「良かった。まだここには被害が及んでいないみたいだね」
同じ顔、同じ名前を持つ二人に振り返る。
「それじゃあ、ぼくはここでやる事があるから。二人は飛んで町の外まで逃げてくれ」
「ス、スカラさん⁉ ここに残るつもりですか?」
フィオナが驚愕する。てっきり、仕事場にある大事な物を取りにきたと思っていたからだ。
「ここもいつブレスされるか分からないんですよ! さっき、スカラさんが言ってたじゃないですか。私たちは生き延びなきゃいけないって!」
「ああ、そう言ったばかりだったね」
うーん、と首を捻り、
「だけど、ケイトが最初に逃がそうとしたのは、君たち二人だからなぁ。ぼくは含まれていないんだよねぇ」
「馬鹿な詭弁を弄さないでください! いいから、一緒に逃げましょう!」
博士を掴もうとするフィオナの手に、別の手が被さる。
「セカンド。スカラを止めてはいけません」
「ファーストまで何を言ってるんですか! こんな状況に陥って、あなたまで混乱してるんですか⁉」
「私は至って冷静です。ただ、興味があるんです」
貧弱で、飄々としていて、有事の際には我先に逃げ出しそうな男を見つめる。
「そのような瞳を宿した人が、この状況にどう抗うのか」
「……」
飄々とした表情を崩さず、博士は何も言わない。
「私もここに残ります」
「ファースト!」フィオナがまた涙声になる。
「大丈夫です。いざとなったら、私一人でも飛んで逃げますから」
「君らしい判断だね」思わず零れた苦笑と共に返す。
「……じゃあ、私も残ります! ここもブレスされそうになったら、さっきのビルの時のように、三人で飛んで逃げられます」
涙を浮かべた瞳で、博士を睨みつける。
「もうダメだと思ったら、博士も一緒に逃げるんですよ! 一人だけ残って死ぬなんて許しません! 縛り付けてでも、一緒に逃げますからね!」
ファーストに掴まれていた手を解き、博士に駆け寄った。
その勢いのまま、博士を抱きしめる。
小さな手が、白衣を握り締める。彼女にとって、それが目一杯の力だった。
「分かった。分かったよ、フィオナ。だから、泣き止んでおくれ」
フィオナの小さな背中に手を回し、優しく抱きしめる。
フィオナの想いが伝わるかのように、白衣に涙が染みていった。
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