022 - 第二号

 鏡の前で、自分の姿を確認する。

 いつも通りの葬儀屋としての恰好だ。

 葬儀屋として然るべき仕立て、それは初仕事の前に厳重に注意されたことだ。


 自宅で丁寧に準備を整えたケイトは、今日の仕事の資料を手に取る。

 厚みが紙片三枚ほどのデバイスだ。透明なディスプレイに、今日、自分がリネットに送る人物の情報が載っていた。


 チザキ、元町長。

 町長を辞する時期に、御上からのリネット誘致の話を断っていたことは、博士から聞いていた。

 退任の原因はリネット絡みと考えるのが自然だろう。

 チザキの年齢はまだ50代だった。持病などの記録はない。死因は心臓発作とされている。

(死因までそう勘繰ってしまうのは、疑い過ぎか?)


 スケジュールにも一通り目を通し、デバイスを鞄にしまう。

 今日の葬儀には、珍しく町長が参列する。町長秘書であるカリナも同行予定だ。

 不正ブレスの主犯である二人を間近にして、葬儀として自分がブレスを行う。

(深く考えるな。いつも通り、葬儀を行えばいい。今日は、それだけだ)


 元町長の葬儀とあり、町の重鎮や町民も多く参列する。

 ケイト側からはもちろん、町長たちからこちらに何かすることもないだろうと、自分に言い聞かせる。


 無意識に浅くなっていた呼吸に気付き、深呼吸で調子を整えようとする。

 しかし、呼吸が整う前に、一瞬だけ、葬儀の途中で理性を失う自分の姿を想像してしまった。

 心拍数が上がることを自覚する。汗を帯びた手のひらが、何かを求めるように宙を彷徨うが、掴むものは何もない。


 ふと思い出したように、ケイトは煙草を取り出す。震える左手で、震える右手の煙草に火を付ける。

 落ち着け、落ち着け、とそれだけを心の中で唱える。

 足にうまく力が入らず、壁にもたれる形で座り込む。壁と背中に挟まれたシャツに、自分の汗が染み込んでいく感覚がある。

 煙草が短くなり、ぷっ、と口から吐き捨てる。吸殻が床に吸収される様を見ることなく、ケイトは二本目を吸い始めた。


(ひどい精神状態だ……。自分がいつ理性を失うか分からない、それが、こんなにも恐いとは……)


 長さがまだ半分ほど残っていた煙草が、口から零れ落ちた。

 ケイトは力なく笑う。声は出ない。


 左手首に巻いているデバイスが震えた。

 仕事のため、家を出なければならない時刻を示すアラームだ。

 だが、ケイトは立ち上がれない。アラームを止める気力もない。

 自分の理性が、自分の意識が保証されないという事実を考えると、震えが止まらなかった。


(研究所で、自分の出生を博士に聞かされたときは、ここまでショックを受けていなかった筈だ。……誰かがいないと、おれは――)


 ケイトは、自分の頬が濡れていることに気付かない。

 ケイトは、泣いていた。

 理性を失い、博士たちを襲った時のような血の涙ではない。透明な、混じり気のない涙だった。


 *** ***


 その時、チャイムが鳴った。

 恐怖と不安に支配されていたケイトは、その音にビクッと身体を強張らせる。


「ケイトさーん! いらっしゃいますかー? いや、いるのは分かってるんですよー! もしかして、寝てるんですかー? 起きてくださーい! お仕事の時間ですよー!」


 玄関の扉の奥から、間延びした声が聞こえる。

 声色からして女性だ。それも、少女のように聞こえる。

(博士ではない……。誰だ……?)


 ケイトの疑問が解消される前に、扉の鍵が開錠された。

 勢いよく開けられた扉の奥には、一人の少女が立っていた。


「起きてるじゃないですかー! お仕事行きま――って泣いてますか? もしかして、泣いてるんですか? どうしたんですか⁉」


 少女が慌てた様子でケイトに駆け寄る。ケイトはようやく自分が泣いていたことに気付き、袖でぬぐう。


「いや……何でもない」

「何でもなく見えないですよー。大丈夫ですか?」

 少女はハンカチを取り出し、ケイトが拭いきれなかった涙の跡を拭く。

 正体不明の少女に涙を拭かれる姿が鏡に映る。


(滑稽だ……)


 鏡に映る自分の姿を見て、ケイトは素直にそう思う。

 少女が涙を拭き終わる頃には、先ほどまで苦しめていた恐怖はいなくなっていた。

 冷静になったケイトは、デバイスが鳴らすアラームを止めた。


「ええと……きみは、一体?」

 ポケットにハンカチをしまう少女に問い掛ける。十代半ばと思われる外見だ。幼さが残るその顔に、見覚えはない。

「わたしは――そうですね、言うならば、あなたの助手! かつ、お目付け役第二号です!」

 お目付け役、という言葉は先日耳にしたばかりだ。複合人間である自分に対しての博士の役割の一つだ。


「お目付け役……ということは、リネット関係者か?」

「はい!」

「助手っていうのは、葬儀屋の助手ってことだよな?」

「その通り!」


 えへん、と少女は胸を張る。今のやり取りに誇るところはなかったと思うが、とケイトは内心で思いつつ、

「その若さでリネット関係者になれるんだな」

「ええ。というか、ケイトさん、第零次実験についてご存知ですよね? わたし、その頃からリネット関係者ですよ?」


 なにっ⁉ と素の反応が出てしまう。

 游骸町にリネットが誘致されて五年、第零次実験はそれより前だから……。


「きみ、ちっちゃな頃から技術者やってたの?」

「ああ、いえいえ。そうゆう、幼少時からの天才、みたいなものじゃないです。この見た目は、第零次実験の副産物です。不老不死みたいな?」

 まあ不老不死なんて実現できなかったんですけど、と残念そうに少女は零す。


「実験のおかげで、あまり老いなくなったんです」

 少女はまた、えへんと胸を張る。乙女にとって、若い姿を保てるというのは、嬉しい話ではあるのだろうが……。


「リネット関係者でありながら……自分自身を実験体にしたのか?」

「そんなの、第零次実験ではしょっちゅうでしたよ」

 誰誰がどのような実験をしたかなどを少女は語り出したが、突然、立ち上がる。


「ああ! こんな話をしてる場合じゃないですよ! お仕事! お仕事に行かなければ!」


 少女に腕を絡め取られ、無理矢理、玄関の外に連れ出される。

 靴を足先に何とか引っ掛けるが、踵まで靴に収める余裕を、少女は与えてくれない。


「ちょ、ちょっと待って!」

「何ですか! お仕事の時間は、待ってくれませんよ!」


 ケイトの住居の前には、一台の車が停まっていた。

 後部座席のドアが自動的に開き、ケイトは少女に蹴り入れられる形で押し込まれた。

 少女も後部座席に座ると、ドアが閉まり、少女のテンションに釣られるように車が急発進する。

「これなら、間に合いそうですね」

 少女はふう、と安心したように息を吐く。


「なあ、色々聞きたいことが残ってるんだが」

 ケイトは靴を履き直しつつ、少女に問い掛ける。

「ドタバタしてすみませんね、ケイトさんが中々部屋から出てこないものでしたから」

 軽い皮肉を交えつつ、少女とケイトはようやく落ち着いて会話を始めた。


「わたしはフィオナと申します。以後、お見知りおきを」

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